この解説の中の「指導者原理」というのは、指導者への絶対服従を要求する思想だが、これは多くの組織、たとえば宗教団体でも見られるものだろう。軍隊では上官の命令が絶対であることが根本原理であるはずだ。そうでないと戦闘は不可能だろう。
で、ナチス特有のものは、ドイツ民族を絶対的に優秀な民族だとする、無根拠で幼稚極まりない思想で、その理論的脆弱性の強化のために「ユダヤ人憎悪」が政策とされたと思われる。そして、他国家や他民族は劣等国家、劣等民族だから侵略して良い、となる。では、ネオナチはどうなのか。不思議なことに、ドイツ人以外でもネオナチに加盟する者が多いようなのである。とすると、ネオナチはどういう思想だということになるのだろうか。
ついでながら、私はヒトラーの「ユダヤ人憎悪」も意味が分からないのである。まあ、日本人の「朝鮮人憎悪」や「中国人蔑視・嫌悪」のようなものだろうか。なぜユダヤ人全体が憎悪や嫌悪の対象になる(なった)のか、私には分からない。貧しいユダヤ人など、たくさんいただろうし、彼らが社会の害悪だったとは思われないからである。と言って、ヒトラーがユダ金(ユダヤ人大富豪)だけを敵視したとも思われない。一部のユダヤ人富豪から資産没収したようだが、それは経済政策として理解できる。しかし、ユダヤ人全体を大量殺戮した理由が分からない。まさか、「ユダヤ人はキリストを殺した」から、などではあるまい。もっと現実的な理由があったのではないか。もちろん、「目に見える敵を作って、自分の政治基盤を強化する」というのは、橋下徹の公務員敵視政策などのように、いつでも有効ではある。
(以下引用)
ナチズムは、民族を軸に国民を統合しようとする国民主義と、マルクス主義や階級意識を克服して国民を束ねる共同体主義を融合したものである[9]。なお、ヒトラーは、前者と後者は同一であると主張していた[9]。国民主義と共同体主義という意味での社会主義の融合であることを示すために「国民社会主義」と称していた[9]。別の定義では、国家主義・民族主義的な政権によって社会を全面的に統制しようとする思想・運動とされる[26]。結束主義(ファシズム)や全体主義の一種で、特徴としては反共産主義、反マルクス主義、反民主主義、反自由主義、反個人主義、反議会主義、反資本主義、社会ダーウィン主義などを持っている[26][10]。
アドルフ・ヒトラーはナチズムを「あらゆる活動を拘束し、義務づける法則」という「一個の世界観である」と定義した[27]。またナチ党の運動の目的は「すべてのドイツ人の生活が(ナチズムの世界観という)根本的価値に基づいて形成され、日々新たに営まれるようになる」ことであった[28]。このため「ナチズムはドイツ民族のためにのみ生み出されたもの」であり「決して輸出品とならない」思想であるため、人類普遍の法則とは考えられなかった[29]。
しかしナチ党がその世界観を体系的に示した例は数少ない。初期に発表された25カ条綱領は永久不変の綱領とされたが、ナチズムの創始者であるヒトラーが生前出版したのは「我が闘争」の前後編のみである。しかしナチズムの思想はこの本に全て示されたわけではなく、ヒトラーの演説や、指導的立場にある幹部の著作・演説等も民族が従うべき「ナチズムの見解」とされた。アルフレート・ローゼンベルクの「二十世紀の神話」、リヒャルト・ヴァルター・ダレの「血と土」イデオロギーに基づく著作、党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」などがその代表的なものである。しかし、これらの細部には各人の思想が現れており、ナチズム運動参加者全体で統一された認識とならないものも多かった。また、「ヒトラー第二の書」や「ヒトラーのテーブル・トーク」など戦後になって公開された資料も存在している。
この状況はヨーゼフ・ゲッベルスが「ナチズムは個別の事柄や問題を検討してきたのであって、その意味では一つの教義を持ったことがない」と述べている[30]ことに現れている。また、政治的状況に応じて時には主張も次第に変化した。政権獲得までには第三の位置的思想を持つナチス左派も影響力を持っており、一方で突撃隊による褐色革命を唱えたエルンスト・レームのような主張もあった。
しかしこれらの幹部達も、当時流行していた人種学に基づくドイツ民族による民族共同体(独: Volksgemeinschaft)の思想と、反ユダヤ主義、そして唯一の指導者が指導者原理に基づいて行う指導体制がナチズムの根幹であることを強く認識していた。このため多くの幹部は、基本的に指導者ヒトラーの指導に従った。この点に不満を持ったオットー・シュトラッサーらは党から離脱し、正当な国家社会主義を称する黒色戦線などの組織を設立した。
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