必要なデータがないため事業の採算を判断できない
そううまく運ぶかどうかは疑問ですが、仮に誘因問題をなんとか克服できたとしましょう。ところが社会主義にはもう一つ、もっと深刻な問題があるのです。それは「経済計算問題」と呼ばれます。
この問題を早くから指摘したのは、オーストリア出身の経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスです。ミーゼスは次のように説きます。
社会主義とは、原材料、土地、道具、機械、建物といった「生産手段」を国有化する体制です。国有化されている以上、市場で売買されませんから、価格が存在しません。するとこれらの生産手段を使った事業の採算を判断できません。
資本主義であれば、ある事業が黒字ならさらに多くの資本や労働を投入し、逆に赤字なら事業の規模を縮小するといった判断ができます。社会主義ではそれができません。社会主義政府の指導者がどれほど頭脳明晰であっても、ある事業を続けたほうがよいか、それとも廃止したほうがよいか、合理的に判断できません。判断に必要なデータがないからです。
合理的な経済計画を立てることができなくても、社会主義がすぐに破綻するわけではありません。しかし経済は非効率にならざるをえず、少なくとも資本主義と比較して、貧困が広がり、経済成長が阻害されるでしょう。
ミーゼスが最初にこう主張したのは1920年。ロシア革命の勃発(ぼっぱつ)からまだ3年しかたっていない時期です。当時、世界の知識人や学生の間では社会主義が人類の希望として、今の社会主義ブーム以上に熱狂的に支持されていました。資本主義を上回る繁栄を社会主義によって実現できるという幻想に、ミーゼスは冷水を浴びせたのです。
ミーゼスの主張に社会主義側の経済学者たちは猛然と反発しました。やりがい問題は気の持ちようで克服できても、経済計算問題は社会主義そのものを論理的に不可能にしてしまうのですから、猛反発するのもうなずけます。
有力な反論とみられたのは、ポーランド人経済学者、オスカー・ランゲらによるものです。ランゲは、物の生産量と生産方法を決定するには、市場価格を使う代わりに、政府が中立な「せり人」となり、需要と供給がつりあう均衡価格を発見すればよいと主張しました(尾近裕幸・橋本努編著『オーストリア学派の経済学』)。
具体的には、まず企業が生産物の需要量を把握し供給量を決定して政府に報告します。それを受けて政府は「需要量が供給量を上回ったら価格を引き上げる」「下回ったら価格を引き下げる」という試行錯誤を繰り返し、すべての生産物の需要量と供給量がつりあうまで価格を調節するというものです。
しかしこの方法は、ミーゼスの批判に答えていません。企業が生産物の供給量を決めるには、費用を最小化する原材料の組み合わせを選択しなければなりませんが、原材料の市場価格が存在しなければ、その判断は不可能です。政府も、企業の決定が正しいかどうか判断できません。結局、生産手段に対する私有財産権が否定され、売買できない社会主義で正しい経営判断はできないのです。
ミーゼスやその弟子のハイエクは社会主義の経済学者と論争を繰り広げましたが、その後、ソ連の経済5カ年計画が当初はうまくいっているように見えたことから、ミーゼスらの社会主義批判は誤りとの見方が広がります。しかし実際にはソ連国民は貧困にあえいでおり、ミーゼスの予言から71年後の1991年、ソ連はついに崩壊します。
米国の著名な経済思想家、ロバート・ハイルブローナーは「ミーゼスが正しかったことが判明した」と述べています。
ソ連の経験から学んだはずの経験を忘れたかのように、世界は再び社会主義のバラ色の幻想に惑わされようとしています。天国のミーゼスはどんな思いでこの光景を見つめているでしょうか。
(木村貴)
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