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徽宗皇帝のブログ

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中央政府を否定する国民
アメリカの年中行事と言うか、風物詩である銃乱射事件についての「ネットゲリラ」愛読者コメントのひとつだが、アメリカ人と日本人の精神的特徴について、なかなか的を射た考察をしているかと思うので、転載する。まあ、7割がた賛同するが、完全賛同というわけでもない。一番の問題点は「犬」という名前に嫌悪感を感じるところかもしれないwww 誰の犬なのだよ。
アメリカ人の「福祉」「共産主義」への嫌悪は、犬氏の言うとおりだが、その原因が中央集権に対する嫌悪によるものかどうかは議論の余地があるだろう。まあ、「自由」というものに強迫観念的な執着心があれば、どうしても個人主義になるし、それは祖国での抑圧から逃れてアメリカにやってきた移民たちが作った国家の基本精神だとは言えるかもしれない。
中央集権制度の否定とは、中央政府の否定であり、それで州政府は肯定するなら、アメリカとは「合衆国」ではなく「合州国」であり、いわば江戸幕府的な幕藩体制だ、というのは確か大昔に本田何とか言う元朝日新聞記者だった人が言っていたことである。
なお、リベラルとリバタリアンの違いとは、リベラルが従来の自由主義者であるのに対し、リバタリアンとは新自由主義者である、と私は解しているが、そうすると、下の文章の最後の一文の「リバタリアンが多い」というのは、どの階層に多いのか、あるいは全階層に多いのか、保留が必要な発言だろう。もちろん、「気分的リバタリアンが多い」というのなら賛同する。それは日本に「気分的ネトウヨが多い」というのと同様だ。誰でも自由(自分が何をしてもいいという、「ウルトラスーパーデラックスマン」的な自由)は大好きだし、自分と異質なものは心の底では大嫌いなのである。



(以下引用)



アメリカでは銃をぶっ放すのがトレンドだけど、日本では刃物振り回すほかに携行缶でガソリン撒き散らすのもこれからのトレンドになるかもね。



銃乱射事件は発生する度、アメリカの銃社会は批判され、日本の社会の方が良いっていう話になるんだけど、そうとも言い切れない部分はある。個人が自衛の拳銃を持つ社会は、悪いことばかりじゃなくて、個人に責任を持たせる社会でもある。悪いことばかりじゃない。自主独立精神が育つ。


日本は下々から武器を没収し、御上に権力を集中させる政策で、下々は経済活動に集中し、御上には余計な文句は言わず、逆らわずなので、御上が腐敗してきても長年の習慣で御上に盾突くような行動は取り難く、住民自治が育ち難く、御上からのお仕着せをそのまま受け入れるのが美徳とされている。長年の意識づけは御上≒政治への無関心に繋がり、政治に関わることは格好悪いことみたいな風潮にもなり、投票率は上がらない。日本人の御上に対する熱い信任は大きな政府を志向させる。自営業よりもサラリーマン志向が強い。


アメリカは個人が銃を持つ権利を保証されており、御上に対する警戒感というか、根強い不信感はある。連邦政府に対して州は結構自治権あるし、FRBは中々設立されなかったのは中央集権に対する警戒感のせい。やたらと「自由」を信奉したり、リバタリアンが多いのも御上に対する警戒感からのもの。そういった社会では「自由」「自己責任」「小さな政府」「減税」が持て囃され、「福祉」「共産主義」は脅迫的に嫌われる。


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