法というものは本来、人々の平和と安全と幸福を守るためにあり、そのための社会秩序の規範として存在するのだ、という「法の精神」に鑑みるならば、一審二審のような、状況にがんじがらめにされて生活自体が困難な社会的弱者に対し「不可能な要求をする」判決が出ること自体がおかしいのではないか。私が弁護士ならば、被告家族をこういう状況に追い込んだ政府に対し、訴訟を起こせ、と言いたいくらいだ。
まあ、私は、認知症患者は死んだほうが家族のためではないか、という冷酷な考えの持ち主だが、この事件は、家族に認知症患者がいることが引き起こした(膨大に顕在し、かつ潜在する)悲劇の一つだ。もちろん、認知症患者を無料で養い、医療をほどこし保護する国家施設を作るのであれば、それですべて解決する問題である。税金というものは、そういうところに用いるべきものではないか? それが無理なら、「ナチスを見習って」(by麻生大臣)まとめてガス室送りにするほうが。家族と社会全体の幸福のためだろう。(もちろん、「ナチスを見習って」は別の文脈で言われた発言だが、その精神は常に彼や彼ら安部政権幹部の心の中にあるかと思う。だから、麻生氏はつい口に出したわけだ。)
(以下引用)
<認知症男性JR事故死>「家族に責任なし」監督義務を限定
毎日新聞 3月1日(火)21時22分配信
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認知症の高齢者が列車にはねられ、鉄道会社に損害を与えた場合に家族が賠償責任を負うべきかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、「同居の夫婦だからといって直ちに監督義務者になるわけではなく、介護の実態を総合考慮して責任を判断すべきだ」との初判断を示した。その上で、家族に賠償を命じた2審判決を破棄して鉄道会社側の請求を棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。
認知症の高齢者の急増が見込まれる中、介護する家族の監督義務を限定的にとらえた判決で、今後は家族が可能な範囲で介護を尽くした場合には賠償を免れる例が出てきそうだ。
2007年に愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出して列車にはねられ死亡した。JR東海が「列車に遅れが出た」として、男性の妻(93)と長男(65)に約720万円の支払いを求めた。
民法は、責任能力のない精神障害者らが第三者に損害を与えた場合、監督義務者が代わって責任を負うとする一方、義務を怠らなければ例外的に免責されると定めている。このため裁判では、(1)妻と長男は監督義務者に当たるか(2)当たる場合に免責は認められるか--の2点が争われた。
1審・名古屋地裁は長男を事実上の監督義務者と判断し、妻の責任も認めて2人に全額の支払いを命じた。2審・名古屋高裁は長男の監督義務は否定したが、「同居する妻には夫婦としての協力扶助義務があり、監督義務を負う」として、妻に約360万円の賠償を命じた。
これに対し、小法廷は「民法が定める夫婦の扶助義務は相互に負う義務であり、第三者との関係で監督義務を基礎付ける理由にはならない」と判断。一方で「自ら引き受けたとみるべき特段の事情があれば、事実上の監督義務者として賠償責任を問うことができる」とした。監督義務者に当たるかどうかは「同居の有無や問題行動の有無、介護の実態を総合考慮して、責任を問うのが相当といえるか公平の見地から判断すべきだ」と指摘した。
そのうえで、「妻は介護に当たっていたが自身も要介護度1の認定を受けていた」と指摘。長男についても「20年以上同居しておらず、事故直前も月に3回程度、男性宅を訪ねていたに過ぎない」とし、いずれも男性を監督することはできなかったと認定した。
裁判官5人全員一致の意見。岡部裁判長と大谷剛彦裁判官は「長男は事実上の監督義務者に当たるが、免責される」とする意見を述べた。【山本将克】
JR東海の話 最高裁の判断であり、真摯(しんし)に受け止める。
男性の長男の話 大変温かい判断をしていただき心より感謝する。良い結果に父も喜んでいると思う。
<判決骨子>
・同居の夫婦だからといって直ちに民法が定める認知症の人の監督義務者にあたるとはいえない
・監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情があれば、事実上の監督義務者として責任を問われることがある。事情を総合考慮して判断すべきだ
・男性の家族に賠償責任はない
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