「東海アマブログ」から記事の一部を転載。他の部分はともかく、私が赤字にした部分には完全に同意する。いわば、「権力犯罪」への処罰をきちんと法制化するということだ。
共産党、れいわ新選組などに、この問題に取り組むことを期待したい。そういう意味では、政治には「下級国民の味方」「弱者を守る存在」としての野党こそがもっとも必要な存在なのである。第二与党・与党応援団としての偽野党(維新、立憲、国民)などまったく必要ないどころか有害無益である。
票を入れたい候補者がいなければ、とりあえず「野党議員の数を増やす」投票行動をするべきだろう。与党が議会の100%を占めるのは「独裁国家」と言う。
与党も、議会の過半数を占めて以降、悪事悪行のやり放題だった安倍政権が「国民の敵」だったことを反省し、議員の数を減らしても、精選された議員だけで自党を作るべきである。
(以下引用)畝本の顔が醜いことに関してはまったく同感だが、「ブス」という差別語に関して美的価値と倫理を混同する意見は愚。弁舌は鋭いが、論理基盤が怪しいところがアマ氏の最大の欠点である。念のために、その部分も色字にして載せておくが、氏の意見とは逆にハンサムや美人、あるいは一見堂々とした顔だが、そこに本性の下品さがにじみ出た顔というのもある。芸能界の整形美人・美男子、新興宗教教祖にはその種の顔が多いようだ。悪行を続けると、顔もそれを反映するのである。だから、顔を見れば本性は分かるわけだ。常習的暴力犯罪者には、見るからに悪相である者が多いことは誰でも感じるだろう。
本日は2024年10月11日、昨夜0時で、袴田巌さんの上訴期限が切れたので、袴田さんは自由の身となった。
1966年の不当逮捕以来、実に58年ぶりだ。
私は、父が社会党役員で、自宅に袴田救援会の通信が来ていたので、中学生のころから袴田事件を知っていた。
当時は、冤罪死刑事件が驚くほどたくさんあったのだ。
免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件、(いずれも死刑確定、再審)それに白鳥事件、下山事件、三鷹事件、松川事件など、右翼思想の捜査当局が反体制運動を敵視していたことから冤罪を捏造されたたくさんの事件があった。
なかには、冤罪であることが確定的であるにもかかわらず、死刑判決が執行されてしまった飯塚事件の久間三千年さんのようなケースもあった。
畝本直美検事総長は、10月9日の上訴断念所感表明で、それでも本当は袴田さんが真犯人である可能性が高いが、長期拘留を勘案して、情けをかけてやり上訴しないという内容を話した。
検察は、冤罪再審で被告人の無実が証明されても、自分たちの捜査ミスや証拠捏造を謝罪したことなど一度もない。
ひたすら、自分たちは正しいと正当化に終始し、司法のメンツを守ることに固執した。
これを聞いて、私は、冤罪で無実の被疑者を苦しめた責任を誰もとらないでいる捜査当局に対し、冤罪が明らかになった場合は、捜査員と検事の責任を追求し処罰する刑事法を作るべきだと強く思った。
冤罪証拠捏造によって被疑者を苦しめて、ときには処刑してしまったのだから殺人犯罪に準じた刑罰が必要だと思う。
袴田無罪確定の翌日、大川原化工機事件の冤罪糾弾裁判(賠償訴訟)が報じられ、捜査員が「決定権を持った上司の欲で冤罪を作った」と証言した。
問題の本質を素直に吐露証言した捜査員に、私は良心の一端を見た。
この事件も、無実の被疑者を一人、未必の故意によって殺害してしまっている。これが刑事責任を負わないことなど、あってはならない。立派な殺人事件じゃないか!
私は、無実の袴田さんに、何の証拠もなかったので証拠を捏造した警察・検察の悪質な姿勢を何一つ反省しないで、未だにメンツ第一の正当化を繰り返している検察側に、刑事責任を負わせるべきだと確信している。
検察の責任を問わないから、無数の冤罪が繰り返され、犠牲者が続いているのだ。
私は畝本直美の発言を見ていて、言っちゃ悪いが、この人こそ「ブス」という表現に適合すると思った。
ブスは、附子というトリカブトを加工した薬を飲んだ人から、人間的な表情が消えることを形容したものだが、まさに畝本直美の表情には人間性が存在しなかった。
人に対する苛酷な取り締まり、人を苦しめることだけに生き甲斐を感じている人物は、こんな人相をしているのだと思った。こんなのと付き合いたくねーわ。
女というのは、命に対する優しさをプログラムされて生まれてくる生き物だ。女というのは優しいということだ。優しくない女は女ではない。
共産党、れいわ新選組などに、この問題に取り組むことを期待したい。そういう意味では、政治には「下級国民の味方」「弱者を守る存在」としての野党こそがもっとも必要な存在なのである。第二与党・与党応援団としての偽野党(維新、立憲、国民)などまったく必要ないどころか有害無益である。
票を入れたい候補者がいなければ、とりあえず「野党議員の数を増やす」投票行動をするべきだろう。与党が議会の100%を占めるのは「独裁国家」と言う。
与党も、議会の過半数を占めて以降、悪事悪行のやり放題だった安倍政権が「国民の敵」だったことを反省し、議員の数を減らしても、精選された議員だけで自党を作るべきである。
(以下引用)畝本の顔が醜いことに関してはまったく同感だが、「ブス」という差別語に関して美的価値と倫理を混同する意見は愚。弁舌は鋭いが、論理基盤が怪しいところがアマ氏の最大の欠点である。念のために、その部分も色字にして載せておくが、氏の意見とは逆にハンサムや美人、あるいは一見堂々とした顔だが、そこに本性の下品さがにじみ出た顔というのもある。芸能界の整形美人・美男子、新興宗教教祖にはその種の顔が多いようだ。悪行を続けると、顔もそれを反映するのである。だから、顔を見れば本性は分かるわけだ。常習的暴力犯罪者には、見るからに悪相である者が多いことは誰でも感じるだろう。
本日は2024年10月11日、昨夜0時で、袴田巌さんの上訴期限が切れたので、袴田さんは自由の身となった。
1966年の不当逮捕以来、実に58年ぶりだ。
私は、父が社会党役員で、自宅に袴田救援会の通信が来ていたので、中学生のころから袴田事件を知っていた。
当時は、冤罪死刑事件が驚くほどたくさんあったのだ。
免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件、(いずれも死刑確定、再審)それに白鳥事件、下山事件、三鷹事件、松川事件など、右翼思想の捜査当局が反体制運動を敵視していたことから冤罪を捏造されたたくさんの事件があった。
なかには、冤罪であることが確定的であるにもかかわらず、死刑判決が執行されてしまった飯塚事件の久間三千年さんのようなケースもあった。
畝本直美検事総長は、10月9日の上訴断念所感表明で、それでも本当は袴田さんが真犯人である可能性が高いが、長期拘留を勘案して、情けをかけてやり上訴しないという内容を話した。
検察は、冤罪再審で被告人の無実が証明されても、自分たちの捜査ミスや証拠捏造を謝罪したことなど一度もない。
ひたすら、自分たちは正しいと正当化に終始し、司法のメンツを守ることに固執した。
これを聞いて、私は、冤罪で無実の被疑者を苦しめた責任を誰もとらないでいる捜査当局に対し、冤罪が明らかになった場合は、捜査員と検事の責任を追求し処罰する刑事法を作るべきだと強く思った。
冤罪証拠捏造によって被疑者を苦しめて、ときには処刑してしまったのだから殺人犯罪に準じた刑罰が必要だと思う。
袴田無罪確定の翌日、大川原化工機事件の冤罪糾弾裁判(賠償訴訟)が報じられ、捜査員が「決定権を持った上司の欲で冤罪を作った」と証言した。
問題の本質を素直に吐露証言した捜査員に、私は良心の一端を見た。
この事件も、無実の被疑者を一人、未必の故意によって殺害してしまっている。これが刑事責任を負わないことなど、あってはならない。立派な殺人事件じゃないか!
私は、無実の袴田さんに、何の証拠もなかったので証拠を捏造した警察・検察の悪質な姿勢を何一つ反省しないで、未だにメンツ第一の正当化を繰り返している検察側に、刑事責任を負わせるべきだと確信している。
検察の責任を問わないから、無数の冤罪が繰り返され、犠牲者が続いているのだ。
私は畝本直美の発言を見ていて、言っちゃ悪いが、この人こそ「ブス」という表現に適合すると思った。
ブスは、附子というトリカブトを加工した薬を飲んだ人から、人間的な表情が消えることを形容したものだが、まさに畝本直美の表情には人間性が存在しなかった。
人に対する苛酷な取り締まり、人を苦しめることだけに生き甲斐を感じている人物は、こんな人相をしているのだと思った。こんなのと付き合いたくねーわ。
女というのは、命に対する優しさをプログラムされて生まれてくる生き物だ。女というのは優しいということだ。優しくない女は女ではない。
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