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徽宗皇帝のブログ

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公教育と日本人の政治的水準
「ギャラリー酔いどれ」所載の「日刊ゲンダイ」記事の一部である。
まあ、国民は、そのレベル以上の政府は持てない、ということである。
日本には国民はいても市民はほとんどいない。市民とは、国政に関与できる資質を持つ国民のことだ。都市国家アテネなどの市政における市民のようなものである。奴隷は投票権が無く、市政に関与できない。その資格も資質も無い。日本において、国政に関与できる市民、つまり、国政選挙における投票権を行使する資格や資質のある国民がどの程度の割合でいるだろうか。
市民という言い方では曖昧だ、と言うなら「公民」という言葉でもいいが、その方が耳になじみが無いだろう。高校の社会科で「公民」という科目があるが、その名称を最初に聞いた時はかなりな違和感を覚えた記憶がある。「公民」を学ぶ、とは何なのだ、と思ったし、その「公民」という言葉の意味そのものは社会科教師から聞いた記憶も無い。
さて、我々は公民なのだろうか。高校で「公民」という教科を習って、何か現実の政治についての有益な知見を得ただろうか。私の場合は、その教科書に書かれたことは、ひとつも理解できなかったし、自分に関係があることだとはまったく思わなかった。
私が特別に馬鹿だったのか、それとも、日本国民のほとんどはそうなのか。
後者だとしたら、日本には公民はいないし、日本の政治の現状がこうなっても当たり前の話ではないだろうか。
つまり、すべての淵源は公教育にある、ということだ。


(以下引用)



無責任体質は戦時中から変わらない

「首相の周辺に便宜が図られていた森友学園や加計学園の問題は、

内閣が2つ3つ吹っ飛んでもおかしくない疑獄事件なのに、

大マスコミは本気で安倍政権と対峙する気概がない。

二階幹事長のメディア批判は看過しがたい暴言であり、メディアへの脅しですが、

こんなヒドイことを平気で言わせる番記者にも問題があります。

疑惑隠しのために官邸が煽る北朝鮮危機に大マスコミが悪ノリの体たらくですから、

このままでは、あっという間に6月の会期末を迎え、

森友疑獄もウヤムヤ決着にされてしまうでしょう。

早くも、森友疑惑で下がった支持率は回復しつつある。

国民もあまりに忘れっぽいと言わざるを得ません。

ロシアの文豪プーシキンは
来世をわきまえざる教養の低い為政者にリードされる国民は不幸である
という言葉を残しました。

まさしく日本の現状を言い得ています。

今さえよければいいと、権力を利用して好き放題やっているのが安倍政権です。

それをなぜ、国民が黙って許しているのか不思議です」(本澤二郎氏=前出)

国民は自ら考えることを放棄して、お上任せ。

政府は自分たちの利権と保身しか頭にない。

自民党政権の無責任体質は、戦時中から変わっていないのかもしれない。

東日本大震災の原発事故で誰も責任を取らず、あれだけの被害が出たことを
まるで“なかったこと”のように、政府は原発推進にかじを切った。

そういう姿勢が、被災地を切り捨てるような今村前復興相の暴言に表れている。

豊洲移転問題にしてもそうだ。

有権者が知りたい事実は明らかにされず、誰も責任を取らないまま、
一時的には過熱した問題意識も風化されていく。

旧日本軍の戦闘でも、事実を知らされない多くの一般国民が前線に送り込まれ、
命を失った。

特権階級の人ほど無事に帰還し、あるいは戦地に赴くことさえなかった。

そして、上層部は誰も失敗の責任を取らない

A級戦犯容疑者だった岸信介が戦後は首相に上り詰め、その祖父を敬愛する安倍が、
秘密保護法や安保法を強行、さらには森友疑惑にフタをして、
共謀罪を成立させようともくろんでいる


責任の所在を曖昧にしたまま、政府の悪行を見逃していれば、
そのツケは必ず国民に降りかかってくることを忘れてはならない。




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