横浜市の山中竹春市長の「3つのゼロ公約の予算計上ゼロ」を厳しく批判して話題になったばかりだ。
こういう、引用文章の細部からも、「へえ、そうだったのか」と感心させられる。つまり、「立憲民主党の勝利」とされていたものがこんなくだらない人物を市長にしたことだったわけだ。東京都の緑タヌキも実は当選時の選挙公約(7つのゼロだったか)を何ひとつ達成していないし、達成のために何かをしたということもないようだが、それが問題にされない都民の盲目ぶりを想起させる。「予算計上」というのは、「公約実現への誠意」の可視化ということで、これから「政権担当者(地方自治体含む)の正体」を洗い出す簡明な手段として野党は用いるべきだろう。
(以下引用)
石井紘基議員暗殺事件、“愛弟子”泉房穂・明石市長「国家を挙げてのもみ消し工作だった」
金銭トラブルによる単独説に「そんなわけない」- 石井紘基氏への想いを、元秘書でもある泉房穂明石市長に聞いた
- 暗殺事件については「国家を挙げてのもみ消し工作だった」と指摘
- 鳩山由紀夫氏の入手した資料は、過去にも相当に調査が行われていた模様
鳩山由紀夫氏が引き継いだ石井紘基氏の資料が収められた段ボール63箱の資料に関して、石井氏の元秘書で、兵庫県明石市の泉房穂市長に思いを聞いた。
泉市長はNHK退職後に石井氏の秘書を経て司法試験に合格。衆院議員を経て、2011年から現職。最近始めたツイッターはたちまち10万人を超えるフォロワーを集め、横浜市の山中竹春市長の「3つのゼロ公約の予算計上ゼロ」を厳しく批判して話題になったばかりだ。
石井氏が暗殺されたのは2002年10月。亡くなった当初から、民主党内で事件の真相解明に向けた調査が行われていたという。
「私が国会議員になった2003年には、すでに民主党で調査を進めていました。ただ、その時点でも真相は分からない状態でした。民主党の調査が終わったあと、私も段ボール箱を見返したりご家族に話を聞いたりして、自分なりにベストを尽くたつもりです。それでも、膨大な資料のなかからヒントを見つけることはできなかった。相当調べたつもりでしたが、分からなかったです」
鳩山由紀夫氏がツイートをする直前、泉氏も石井氏についてツイートした。だが、これはまったくの偶然だったようだ。
「自分がツイートしたあとに鳩山さんや首藤さんのツイートを見て、色々動きあるなあとは思っていました。ただ、お二人と連絡を取り合ったわけではないので、偶然やと思います」
暗殺事件の裁判結果には、今も懐疑的だという。
「明らかに揉み消しですからね。検察自身が金銭トラブルと主張するんだから、国家を挙げてのもみ消し工作だったと思います。裁判も不信感のある裁判ではありました。怨恨による単なる金銭トラブルで単独説と説明されましたが、そんなわけがない。それで鞄を持ち去られたり鞄の中身がなくなったりするわけがない。作られたようなストーリーでした」
明石市長という立場ではこの件に関してできることは少ないが、石井氏への思いは強い様子だった。
「『偲ぶ会』の友人代表は、私が冒頭で挨拶をしたし、石井さんが一番最初に駅立ちをしたときも一緒に立ちました。最初にマイクを握ったときに横にいたのが私でした。石井さんに導かれるように政治の道に進んだんです
弁護士資格があり、政治をしているのも、石井さんのおかげです。文字通りの恩師です。石井さんの正義感を引き継いで、国民や市民に寄り添うような政治を明石市長として精一杯政治をやっていきたい」
事件発生後は、紀藤正樹弁護士が真相究明調査を続けていて、ホームページで粘り強く情報提供を呼びかけていた。暗殺事件は、すでに相当な調査が行われたようだが、もしかしたら20年後の今だから分かることもあるかもしれない。鳩山由紀夫氏の調査結果に期待したい。
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