孔徳秋水さんが久しぶりに非常にいいことを書いている。「株式会社中心資本主義」と共産主義が、実は「無責任体制」に近づいていくという共通性を持っている、という指摘だ。まあ、ご当人はそういうことは言っていない、と言われるかもしれないが、私にはそう読み取れる。
市場経済と共産主義が共存不能かどうかは、現在の中国が実験中だが、そこではもはや共産主義は名ばかりであり、実際、市場経済と共産主義は共存不可能なのだろう。
市場経済を否定することは、貨幣制度の否定(物の売り買いの否定)であり、現代文明全体を否定しない限りはありえない事態だろう。
市場経済を肯定するなら、共産主義は成り立たない。市場経済を否定した共産主義は原始共産主義にしかなりえない。つまり、野蛮時代に戻るだけだ。
結論として、共産主義とは、実現不可能な御伽噺か一種の宗教思想だと言えるのではないか。
だが、現在の「資本主義の地獄」つまり、世界的な貧困化と極度の貧富の差と、それによる貧民の生活苦、家畜化を見れば、「現在の資本主義」(自由競争主義経済の極北としての新自由主義)が悪魔的思想であることも確かだ。(悪魔というより、ゲスと野獣の思想だ。人道性に著しく欠けた思想である。)
とりあえず、下記ツィートの中の共産主義否定論だけを見るなら、
さて、あともうひとつ根本的な問題だが…前にも述べたようにマルクスのイメージした共産主義は資本の民主化であった。だから、実現は簡単にみえる…ところが、「だれのものでもない」とそこに責任の空白が生じる。その資本を運用しようにも誰と交渉していいかがわからない…
交渉責任者を決めたところで、資本やカネが交渉人のモノでなければ結局は「信用がない」ことになる。それでは結局権力はそこに留まることができない。つまり、私有、支配、所有というものがあって初めて富は富となり、富が権力を生む。共産化した時点で資本は富でも権力でもなくなる…
市場経済と共産主義が、ここで共存不能となる…これを解決できなければ共産主義は実現しない。実現したところで、程なく瓦解するだろう…
は、共産主義支持者に突きつけられた、最終的なアポリア(難問)、おそらく解決不能の根本的共産主義否定論になるのではないだろうか。
ただし、毎度言うとおり、社会主義は共産主義とはまったく別であると私は言っている。社会主義とは単純に「社会全体としての利益を特定個人や特定集団の利益より優先させる」ということであり、資本主義では「政治の私物化」と企業の横暴が必ず生じるのに対し、社会主義はそれを否定し、一般大衆の利益を最優先させるものだ、というのが私の考えだ。
現在の資本主義が退廃の極致にあり、1%による99%の富の収奪に世界全体が怒りを覚えているのは確かだが、その解決策は共産主義にではなく、バーニー・サンダースの主張するような社会民主主義(この言葉は不適切だと思うが、そう表現する人が多いようなので使っておく。)、つまり「社会主義と資本主義の結婚」にあることは明白だろう。
つまり、もう一度政治の根本に立ち戻り、「政治は人民全体の幸福のためにある」ことを皆が承認したなら、特定集団(官僚、政治家、企業、資本家、上級国民)の利益だけに奉仕する政策を行う政党や政権など、簡単に選挙で打倒できるはずである。それを行うのが白い猫だろうが黒い猫だろうが、鼠を捕る猫であればいい、ということだ。ただし、猫のふりをしている鼠もいるからご用心。
(以下引用)
市場経済と共産主義が、ここで共存不能となる…これを解決できなければ共産主義は実現しない。実現したところで、程なく瓦解するだろう…
[2分前] 交渉責任者を決めたところで、資本やカネが交渉人のモノでなければ結局は「信用がない」ことになる。それでは結局権力はそこに留まることができない。つまり、私有、支配、所有というものがあって初めて富は富となり、富が権力を生む。共産化した時点で資本は富でも権力でもなくなる…
[5分前] さて、あともうひとつ根本的な問題だが…前にも述べたようにマルクスのイメージした共産主義は資本の民主化であった。だから、実現は簡単にみえる…ところが、「だれのものでもない」とそこに責任の空白が生じる。その資本を運用しようにも誰と交渉していいかがわからない…
[10分前] 国債にしろ株式にしろ、売買できるというとことがミソで、怖がるほどのものではない。が、基本的に”ババ抜き”ゲームである点は覚えておかないといけない。国債は税金の前借だし、株式は会社のリスクを投資家になすりつけるためのものだ。会社の責任を他者に転嫁するシステム。ここが東電を生む原因。
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