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徽宗皇帝のブログ

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共産党の党名変更について
共産党という党名について、「世に倦む日々」の連続ツィートを転載。
まったく同感である。日本共産党が自民党の補完勢力と呼ばれるような弱小政党のままでいることを肯んじず、そして周囲から「アカ」呼ばわりされることを恐怖する一般市民の当然の気持ちを真面目に考えるならば、党名変更は必須だろう。下にも書かれているように、党名など、いつでも変更できるのである。何も、元祖や本家の名称を後生大事にする商売人のマネをする必要などない。(これは少し前に志位委員長が「共産党という伝統ある党名を変えるつもりはない」と言ったことを批判しての言葉だ。)
「世に倦む日々」氏のような、こうした親切な助言にもまったく耳を傾けないなら、共産党には未来は無い、と私は思う。であるならば、国民は「新社会党」や「真社会党」の誕生を待つしかないだろう。あるいは沖縄にすでにある「社会大衆党」という名前もなかなかいい。
学生運動最盛期のころから、左翼のもっとも大きな欠点は、第一に言葉というものに鈍感なこと、第二に大衆心理に鈍感なことである。だから常に大衆にそっぽを向かれてきたのに、いまだにそれが分かっていない。国会で少し議席が増えたと喜んでいる場合ではない。そんなのは、少し不祥事が出てくればあっというまに雲散霧消するに決まっているのである。




(以下引用)







世に倦む日日 @yoniumuhibi · 12月30日


丸山真男のこの考え方は、きわめて本質を衝いている。個人中心というのは、いわゆる米国流のリベラリズム。ネオリベに通じ、市場原理主義に通じる。米国のティーパーティのエゴイズム。国家中心というのは、言うまでもなく全体主義。国家主義。ナチスドイツ、戦前日本、20世紀のソ連・中国。











世に倦む日日 @yoniumuhibi · 12月30日


丸山真男も、自分は社会主義だと言っていた。無論、その意味は通常一般の社会主義ではなくて、丸山真男自身の独特の定義と範疇のものだが。政策思想や政治思想は、個人中心か、社会中心か、国家中心か、その三つの考え方があって、自分(丸山)は社会中心で問題解決を考えた方がいいとする立場だと。











世に倦む日日 @yoniumuhibi · 12月30日


だから、この際、まずは社会主義と共産主義を切り分けて、20世紀の悪の負債はすべて共産主義の名前で引き受けてもらって(国鉄清算事業団みたいに)社会主義を生かす方向でいいのではないかという考え方。党名は社会党とか社民党でいいだろう。新しい定義が確立できれば共産党に戻せばいい。












世に倦む日日 @yoniumuhibi · 12月30日


日本だけでなく世界の共産党が抱えている問題は、共産主義を新しく定義できてないこと。19世紀のままの共産主義で、20世紀初頭のままの共産党を続けている。時代の変化の中で、そもそもの共産主義の理念を見失い、理論的に実践的にも破綻している。中国の党も、日本の党も。新しい理論が要る。












世に倦む日日 @yoniumuhibi · 12月30日


共産党の党名変更の問題についてだが、私が変更すべしと判断する理由あるいは歴史的背景として、共産党の党名の戦略性というか、フレクシビリティの問題がある。レーニンの党も最初は社会民主労働党(ボ)。革命に成功してから共産党を名乗るパターン。ベトナムもそう。朝鮮もそう。暫定党名。





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