「ギャラリー酔いどれ」所載、「長周新聞」記事の後半である。(長い記事なので前半は省略。短いほうがポイントがわかりやすいだろう。)
事(こと)は宜野湾市民だけの問題ではない、ということだ。
全沖縄を代表して、宜野湾市長選に臨む、という覚悟で宜野湾市民は投票場に向かってほしい。くれぐれも目先の利益(鼻先のニンジン。それも一部の人間へのごほうびでしかない)に迷わされないことだ。利よりも義を選ぶ、という姿勢を宜野湾市民が(名護市長選での名護市民に続いて)示せば、日本国民全員に対して沖縄は胸を張ることができるだろう。ここに、金よりも人間性を選ぶ人々がいる、と。
なお、長い目で見れば、「利」を選んだはずがけっして利益にも何にもならなかったというのはフクシマを見ればよく分かるはずである。
普天間の辺野古移転を主張する人々が、実は普天間基地返還そのものを望んですらいない、というのが本当のところだろう。本当は、「普天間に加えて辺野古も欲しい」だと私は見ている。佐喜眞候補支持層が自民党主体であるだけで、それは分かる話である。自民党すなわち既得権益層ではないか。(軍用地地主など、けっして普天間を返還してもらいたくないはずだ。佐喜眞候補周辺にそういう連中はいないか?)そういう連中が自分の利益に反する行為をするはずはないだろう。上級国民の利益とは大衆の不利益に決まっている。
(以下引用)
選挙は「佐喜真志村」という候補者同士の対決という範ちゅうをこえて、
島ぐるみのオール沖縄でたたかう県民と、
安倍政府、アメリカとの全面対決の様相を呈している。
戦後71年経ってなお、街のど真ん中に広大な米軍基地が居座り、
基地労働者や周辺地域の経済を含めて米軍が支配する宜野湾市にあって、
これと真っ向からたたかって、沖縄県民の世論を突きつけようという思いが強まっている。
☆県民愚弄する人質交渉
この間、普天間基地といえば「辺野古への移設が唯一の解決策」
「世界一危険な普天間基地の固定化は許さない」
と自民党政府はもっともらしく主張してきた。
「普天間が危険だから辺野古基地建設が必要」で
「辺野古基地建設が進まなければ、普天間は返還されない」というものだ。
それは辺野古基地建設に反対する者は
普天間を危険に晒す者といわんばかりの響きをともない、
辺野古と普天間のどっちを優先させるかという別問題にすり替えて、
両地域の住民利害を対立させるインチキ論法として意図的に持ち込まれてきた。
普天間を人質にした強盗が 老朽化して使い古した基地よりも
新品の「辺野古よこせ!」といっているだけなのに、
さも良いことをするような振る舞いで「危険除去」などといってきた。
はっきりしていることはもともと普天間基地も
米軍が銃剣とブルドーザーで奪ったものであり
その代替用地を提供しなければならない義理など何もないことだ。
普天間を返せ! 辺野古もやらない! 基地はアメリカに持って帰れ!
が沖縄県民の要求であり、
はじめから「普天間か、辺野古か」などという問題ではない。
ちなみに、米国防総省が1968年に作成した文書
「日本と沖縄の米軍基地・部隊」の中では、すでに普天間基地は閉鎖候補にあがっており、
当時から米軍は使い勝手の悪い基地と見なしていた。
それをもったいぶって「普天間を危険に晒したくなければ辺野古をよこせ」と
人質交渉しているのである。
70年前の沖縄戦で沖縄を焼き尽くし、
殺し尽くして基地として奪っていったのが米軍だった。
辺野古基地建設は、戦後71年を迎えながら、この期に及んで新しい基地を整備し、
その耐用年数も加えると100年以上居座ろうというものである。
沖縄県内には普天間に限らずいたるところに米軍基地が置かれ、
そのうち1カ所だけ危険がなくなればよいと見なしている者はいない。
というより、この基地がベトナム戦争やイラク・アフガン戦争など、
米国が戦争を引き起こす度に出撃拠点として利用され、
米国の軍事的・戦略的配置の都合から置いてきたこと、
米軍にとって日本人は守る対象ではなく、犯したり好き勝手に振る舞ってきたし、
植民地従属国の劣等人種くらいにしか見なしていないことは、
沖縄県民が70年かけて肌身に感じてきたことである。
守るどころか身内を殺して力づくで奪った基地にほかならない。
安倍政府になってから集団的自衛権の行使を盛り込んだ安保法制を強行し、
今度は米軍になりかわって 日本の若者が戦斗地域に放り込まれる 法整備が進み、
沖縄をはじめとした日本列島は米国本土防衛の盾として
ミサイル攻撃の標的になることが現実問題となっている。
ディズニーランドをつくったところで、いざ戦争になれば
最前線基地が真っ先に攻撃にさらされ、「地獄の沙汰もカネ次第」で得た
経済的利害や諸諸の建物など、みな吹き飛んでいく関係だ。
デラックスな遊戯施設を電源3法交付金でつくった挙げ句、
原発事故でゴーストタウンと化した福島と同じで、
目先の経済的利害で郷土を売り飛ばすことなどできない。
沖縄では近年、名護市長選、県知事選と幾度も日米政府の圧力をはねのけて、
明確な意志を突きつけてきた。
しかし、その後も何もなかったような顔をして辺野古基地建設の手続きを進め、
ボーリング調査を強行したり、抵抗する沖縄県を訴えたり恫喝を加え、
県民がどれだけ抵抗してもムダなのだと聞く耳のない姿勢を貫いてきた。
しかし、それに対してあきらめるどころか、むしろ斗争は島ぐるみに発展し、
民意を無視すればするほど 沖縄の為政者たち、すなわち日米両政府の番頭たちは
袋叩きにされて力を失い、今日のような全面対決の局面を作り出した。
米軍基地撤去を望む県民世論は、翁長知事をして基地反対を表明させ、
その後もひるむことなく全国世論と連帯しながら発展してきた。
沖縄の経験は、大衆運動によって 候補者を締め上げながらいうことを聞かせ、
裏切り者は叩き落とし、その力関係を圧倒的なものにすることでしか、
政治を揺り動かすことなどできないことを示してきた。
宜野湾市長選もそうした島ぐるみ斗争の力を示すものとして全国から注目を浴びている。
政府や国家機構あげて襲いかかっている選挙で、
金力や権力をはねのけて世論を統一し、完全勝利するのは生半可な事ではないが、
年明け早早に、安倍戦争政治に鉄槌を加える斗争の
端緒を切り開くものとして 期待が高まっている。
事(こと)は宜野湾市民だけの問題ではない、ということだ。
全沖縄を代表して、宜野湾市長選に臨む、という覚悟で宜野湾市民は投票場に向かってほしい。くれぐれも目先の利益(鼻先のニンジン。それも一部の人間へのごほうびでしかない)に迷わされないことだ。利よりも義を選ぶ、という姿勢を宜野湾市民が(名護市長選での名護市民に続いて)示せば、日本国民全員に対して沖縄は胸を張ることができるだろう。ここに、金よりも人間性を選ぶ人々がいる、と。
なお、長い目で見れば、「利」を選んだはずがけっして利益にも何にもならなかったというのはフクシマを見ればよく分かるはずである。
普天間の辺野古移転を主張する人々が、実は普天間基地返還そのものを望んですらいない、というのが本当のところだろう。本当は、「普天間に加えて辺野古も欲しい」だと私は見ている。佐喜眞候補支持層が自民党主体であるだけで、それは分かる話である。自民党すなわち既得権益層ではないか。(軍用地地主など、けっして普天間を返還してもらいたくないはずだ。佐喜眞候補周辺にそういう連中はいないか?)そういう連中が自分の利益に反する行為をするはずはないだろう。上級国民の利益とは大衆の不利益に決まっている。
(以下引用)
選挙は「佐喜真志村」という候補者同士の対決という範ちゅうをこえて、
島ぐるみのオール沖縄でたたかう県民と、
安倍政府、アメリカとの全面対決の様相を呈している。
戦後71年経ってなお、街のど真ん中に広大な米軍基地が居座り、
基地労働者や周辺地域の経済を含めて米軍が支配する宜野湾市にあって、
これと真っ向からたたかって、沖縄県民の世論を突きつけようという思いが強まっている。
☆県民愚弄する人質交渉
この間、普天間基地といえば「辺野古への移設が唯一の解決策」
「世界一危険な普天間基地の固定化は許さない」
と自民党政府はもっともらしく主張してきた。
「普天間が危険だから辺野古基地建設が必要」で
「辺野古基地建設が進まなければ、普天間は返還されない」というものだ。
それは辺野古基地建設に反対する者は
普天間を危険に晒す者といわんばかりの響きをともない、
辺野古と普天間のどっちを優先させるかという別問題にすり替えて、
両地域の住民利害を対立させるインチキ論法として意図的に持ち込まれてきた。
普天間を人質にした強盗が 老朽化して使い古した基地よりも
新品の「辺野古よこせ!」といっているだけなのに、
さも良いことをするような振る舞いで「危険除去」などといってきた。
はっきりしていることはもともと普天間基地も
米軍が銃剣とブルドーザーで奪ったものであり
その代替用地を提供しなければならない義理など何もないことだ。
普天間を返せ! 辺野古もやらない! 基地はアメリカに持って帰れ!
が沖縄県民の要求であり、
はじめから「普天間か、辺野古か」などという問題ではない。
ちなみに、米国防総省が1968年に作成した文書
「日本と沖縄の米軍基地・部隊」の中では、すでに普天間基地は閉鎖候補にあがっており、
当時から米軍は使い勝手の悪い基地と見なしていた。
それをもったいぶって「普天間を危険に晒したくなければ辺野古をよこせ」と
人質交渉しているのである。
70年前の沖縄戦で沖縄を焼き尽くし、
殺し尽くして基地として奪っていったのが米軍だった。
辺野古基地建設は、戦後71年を迎えながら、この期に及んで新しい基地を整備し、
その耐用年数も加えると100年以上居座ろうというものである。
沖縄県内には普天間に限らずいたるところに米軍基地が置かれ、
そのうち1カ所だけ危険がなくなればよいと見なしている者はいない。
というより、この基地がベトナム戦争やイラク・アフガン戦争など、
米国が戦争を引き起こす度に出撃拠点として利用され、
米国の軍事的・戦略的配置の都合から置いてきたこと、
米軍にとって日本人は守る対象ではなく、犯したり好き勝手に振る舞ってきたし、
植民地従属国の劣等人種くらいにしか見なしていないことは、
沖縄県民が70年かけて肌身に感じてきたことである。
守るどころか身内を殺して力づくで奪った基地にほかならない。
安倍政府になってから集団的自衛権の行使を盛り込んだ安保法制を強行し、
今度は米軍になりかわって 日本の若者が戦斗地域に放り込まれる 法整備が進み、
沖縄をはじめとした日本列島は米国本土防衛の盾として
ミサイル攻撃の標的になることが現実問題となっている。
ディズニーランドをつくったところで、いざ戦争になれば
最前線基地が真っ先に攻撃にさらされ、「地獄の沙汰もカネ次第」で得た
経済的利害や諸諸の建物など、みな吹き飛んでいく関係だ。
デラックスな遊戯施設を電源3法交付金でつくった挙げ句、
原発事故でゴーストタウンと化した福島と同じで、
目先の経済的利害で郷土を売り飛ばすことなどできない。
沖縄では近年、名護市長選、県知事選と幾度も日米政府の圧力をはねのけて、
明確な意志を突きつけてきた。
しかし、その後も何もなかったような顔をして辺野古基地建設の手続きを進め、
ボーリング調査を強行したり、抵抗する沖縄県を訴えたり恫喝を加え、
県民がどれだけ抵抗してもムダなのだと聞く耳のない姿勢を貫いてきた。
しかし、それに対してあきらめるどころか、むしろ斗争は島ぐるみに発展し、
民意を無視すればするほど 沖縄の為政者たち、すなわち日米両政府の番頭たちは
袋叩きにされて力を失い、今日のような全面対決の局面を作り出した。
米軍基地撤去を望む県民世論は、翁長知事をして基地反対を表明させ、
その後もひるむことなく全国世論と連帯しながら発展してきた。
沖縄の経験は、大衆運動によって 候補者を締め上げながらいうことを聞かせ、
裏切り者は叩き落とし、その力関係を圧倒的なものにすることでしか、
政治を揺り動かすことなどできないことを示してきた。
宜野湾市長選もそうした島ぐるみ斗争の力を示すものとして全国から注目を浴びている。
政府や国家機構あげて襲いかかっている選挙で、
金力や権力をはねのけて世論を統一し、完全勝利するのは生半可な事ではないが、
年明け早早に、安倍戦争政治に鉄槌を加える斗争の
端緒を切り開くものとして 期待が高まっている。
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