しつこいが、気がついた時に保存しておかないと、インターネット上のいい記事も見失われてしまうことがあるので、「おじいさん」医師の手記をもう一つ転載しておく。救急医療の崩壊および医療崩壊全体の原因がわかりやすく書かれている。
(以下引用)
ところで、救急システムが崩壊、、のニュースはみなさんもあちこちで聞いていると思います。
確かに崩壊しておるのですよ。崩壊とは、ようするに緊急を要する患者に適切な医療を提供できない状態を指しておるのですね。
例えば私がある患者を見てもらいたいときに、救急病院へ連絡すると、だいたい、5~6件は断られます。
あーまたか、、みたいになるので、もう慣れてしまいました。
昔はこんな事はなかったとです。
これは、救急患者の供給と受け入れる側の需要にアンバランスがあるわけです。供給が多すぎる。
供給の内訳をみてみると、実はほとんどが、「救急を要しない」患者様たちなのですよ。
なのに、救急車を利用して患者は津波のように押し寄せてくる。
そこには、
1)救急事態であるかどうかは、判断できないから、救急病院へ。
2)救急事態ではないが、家族に文句を言われ、場合によっては訴えられるから。。救急病院へ。
3)病気の見逃し、によって、昨今書類送検されている医師が増えている、、のを知っており、怖いから、救急病院へ。
4)開業医が、「夜はうちは開いてないから、何かあれば、救急病院へ行ってください。」と指導されているから。
5)ホンとは怖い、何々病の前兆、みたいな情報ですり込まれ不安状態になって、とりあえず、夜だろうが何だろうが、救急病院へきた。
6)昼は忙しくて、病院へ行けないから、夜の救急病院へ来た。
等々、の理由があるのです。
上記はすべて、本来的には必要ないけど、救急車を呼ぶ側の不安が「理由」になっていることが理解されると思います。
もっと他にもあるでしょう。
一方で、例えば、交通事故で車が大破した、、これなら、どこのだれでも救急車を呼びますよね。あるいは、会話してた相手が突然倒れ、意識がなくなった、、これももちろん、呼びますよね。学校で、子供が転んだ、痛がって歩けない、、骨折れてるかも、、と誰でも思うから救急病院へ行きます。
かつてはそうだったんです。誰が見てもこれは救急だと。。
そして、それはほとんどの場合、救急の病気でした。
もちろん、そこには、静かだけど重篤な病気であって、本来は緊急で治療しなければならないのに見逃されてきた不幸な人たちもある一定の確率で存在しました。納得いかない人もいたでしょう。
あるいは、高齢になればいろんな異常値が増えるのは当たり前で、それをすべて正常化することが天寿を真っ当することにはならない、、という暗黙の死生観というか、戦後の驚異的な平均寿命の伸びから、「うちのじいさん、ばあさん、もう寿命だよ。。」みたいな、ほどよいあきらめ感があったと思うのですね。
しかし、これを、否定して、長生きすべてがいいことだ、寝たきりで、胃に穴開けて生きても、いいことだ、呆けようが、廃人になろうが、「生きていること、それだけで美しい。」という、考えが世の中に蔓延するようになりました。
人の命は地球より重い。。それを実践したのが、日本なのでした。
もし、国家が永遠にお金持ちなら、経済成長が永遠ならば、そうした、ユートピア的発想も許されるでしょう。
しかし、税収より借金が多い国でそんな事が許されるでしょうか。
子供がどんどん減り、若者が街を理由もなく徘徊して、希望もない、そんな社会において、許される哲学なのでしょうか。
さて、資本主義社会では当然であるところの、儲けることが至上命題である、製薬会社は考えました。
薬を売るためには、、人々が薬が必要だと考えるようになればよい。
その戦略には、、
1)病気を作る、いままではほっておいてもよかったものが、実は、、将来何々病の危険因子になる、、等の理由で。
2)特に高齢者をターゲットにする。もうじき死ぬから、不安を煽ることができる。子供の場合は母親をターゲットにして不安を煽る。
3)政府の規制緩和、薬剤規制についてロビー活動する。
4)薬を現場で供給する医師を増やし洗脳する。
5)医師を製薬会社の管理下(学会、治験などのお金を供給する)に置く。
があると思います。
いままさに、この戦略が行われていることは、僭越ながらこれまでの私の投稿をごらんになればわかると思います。
すなわち、開業医をどんどん増やし、彼らをどんどん洗脳し、大学教授を使って、洗脳情報を繰り返しながし、処方させる。。
これで、患者は作られ、大量に増産されます。
これが供給する側が多い理由です。
さて、需要側はどうでしょう。
実は救急病院の多くは赤字経営です。赤字になるように診療報酬が設定されているからです。すなわち、必要な時に必要な患者へ集中的に施す医療体系にすると、赤字になるように設定されているのです。
なぜなら、いくら重症でも、1人の患者は一つのベットしか埋めないから。
重症の患者を適切に治療した、その行為について、診療報酬がきめられるのではなく、ベット一つ埋めて、いくら、、の診療報酬となっているため、治療が必要な人のために医療資源をつかうのではなく、ベットを埋めるのが重要課題になってしまうわけです。
だから、多くの救急病院は、空床が目立ち出すと、ほとんどお家にかえってよろしい的な患者でも、「念のため、検査入院しましょうか。」とか、「もしかすると、急変するかもしれません。入院しましょう。」とか、あくまで病院の都合で入院を勧めたりします。それを経営者が現場の医師に半ば強制します。多くの医師は奴隷状態なので、ははーー、と馬鹿理事長に従います。またそうしたマイナーな病気発見がすばらしいことなんだ、いいことなんだ、命だけは平等だ、、胃に穴開けて30年生きることはすばらしいことなんだ、と、若い研修医にすり込みます。そして、「訴えられたら困るから。」として、ありとあらゆる検査をオーダーさせます。
救急病院は常に、過剰検査と満床を維持しないと黒字になりません。
さて、このように、隙間のない救急病院で、本当に「救急」の患者を受け入れる体制はあるでしょうか。
あるはずもないのです。
医者の良心が働いて、がんばってその患者を受け入れたとしましょう。
もし、治療失敗したら、確実に訴訟です。
みのがしたら書類送検です。
新聞で叩かれるかもしれません。
特に、妊婦は究極の地雷です。
福島で起きた産婦人科医加藤先生の巻き込まれた大野事件は典型例です。
医療行為自体はなんら問題ないのに、患者は不幸にして死んでしまって、この先生、家族がにらむなか、墓前で、土下座して涙して謝ったんですよ。
救って当たり前、救わなかったら、死刑、
こんな仕事が世の中にありますか?
人間は不老不死が当たり前ですか?
これが人間のプライドを崩壊させずにおれますか?
そして、刑事事件として天下の極悪人にされ、まだ、30代の働き盛りですよ。
3年間も医療行為ができなかった。
多くの病院はそんな、コスト高の患者をとったところで、人員も食ってしまうし、軽症だけど、不安を煽って、入院してくれた、年寄りの方が楽だし、儲かるわけです。
何しろ、これから生まれてくる子供達なんかより、現に存在している、寝たきり、90歳の胃ろうをつけた、アルツハイマー病末期のお年寄りの方が、現場の医師にとっては、大事な「命」なわけですから。。
病院が本当に救急そうな患者を断りたくなるのは経済的にも、医師個人の防衛思考としても、理にかなっているのですよ。
めんどくさいし、儲からないから、、訴訟も怖いし、受診拒否!
日本はそもそも、病院を作りすぎたんです。
病院が雇用対策の票田になってしまった、政策時期があるんです。特に1970年代から80年代にかけて。。
それらがすべて生き残るためには、診療報酬を全体としてさげなけばならなかった。あまりにもコストを食いすぎたんです。
だから作りすぎた病院をつぶす政策を厚労省はここ10年くらいずっとやってんですけど、なかなか、思うようにつぶれてくれない。病床が減ってくれない。
そこには、増えすぎた患者、作りすぎた患者を受け入れる供給側の理屈もあって、病院がつぶれすぎると、彼らの安全弁がなくなってしまう。
開業医にとっては、「めんどくさかったり、なんかあったら、とりあえず、救急イキナ!」的な安心を保証してもらいたい。
だから、医者が足りない、救急システム崩壊、病院が足りない、と日本医師会は煽る必要がある。
以上から、ようするに、救急のパンク、ひとつとってみても、大本には製薬会社が大きく絡んでおり、そこに、検察という、日本一の権力集団と仕事がほしい弁護士会が、訴訟の圧力をかけて、タッグチームを組んで、病院経営者を中核とする日本医師会とバランスをとっているというなんか、三流童話みたいな話があるのです。
無論、バックにはアメリカがおりますけど。。
医者の給料というのは、実は、30年前くらいから、全く変わってないばかりか、どんどん落ちております。これは要するに社会保障費のコストが、薬剤や検査へシフトし医者個人の技能は評価が低くなっていると言うことだと思います。これでは、3分診療も当たり前です。
医者は儲けているというか、まあ、そういうやつもいますが、より、奴隷化しているといった方がいいでしょう。救急で働く医者はほんと、かわいそうです。気の毒です。
私立大学など、先日の投稿に載せたように全くコストがあわんのですよ。
さて、
製薬会社を規制するだけで、どれだけの社会保障費が浮くか、おわかりいただけると思います。
規制が悪いのであれば、薬剤を自費にすべきです。
資本主義の論理を国民皆保険という社会主義の温情で蝕むことは許されないはずです。
いままさに日本はそうした病にかかっております。
(以下引用)
ところで、救急システムが崩壊、、のニュースはみなさんもあちこちで聞いていると思います。
確かに崩壊しておるのですよ。崩壊とは、ようするに緊急を要する患者に適切な医療を提供できない状態を指しておるのですね。
例えば私がある患者を見てもらいたいときに、救急病院へ連絡すると、だいたい、5~6件は断られます。
あーまたか、、みたいになるので、もう慣れてしまいました。
昔はこんな事はなかったとです。
これは、救急患者の供給と受け入れる側の需要にアンバランスがあるわけです。供給が多すぎる。
供給の内訳をみてみると、実はほとんどが、「救急を要しない」患者様たちなのですよ。
なのに、救急車を利用して患者は津波のように押し寄せてくる。
そこには、
1)救急事態であるかどうかは、判断できないから、救急病院へ。
2)救急事態ではないが、家族に文句を言われ、場合によっては訴えられるから。。救急病院へ。
3)病気の見逃し、によって、昨今書類送検されている医師が増えている、、のを知っており、怖いから、救急病院へ。
4)開業医が、「夜はうちは開いてないから、何かあれば、救急病院へ行ってください。」と指導されているから。
5)ホンとは怖い、何々病の前兆、みたいな情報ですり込まれ不安状態になって、とりあえず、夜だろうが何だろうが、救急病院へきた。
6)昼は忙しくて、病院へ行けないから、夜の救急病院へ来た。
等々、の理由があるのです。
上記はすべて、本来的には必要ないけど、救急車を呼ぶ側の不安が「理由」になっていることが理解されると思います。
もっと他にもあるでしょう。
一方で、例えば、交通事故で車が大破した、、これなら、どこのだれでも救急車を呼びますよね。あるいは、会話してた相手が突然倒れ、意識がなくなった、、これももちろん、呼びますよね。学校で、子供が転んだ、痛がって歩けない、、骨折れてるかも、、と誰でも思うから救急病院へ行きます。
かつてはそうだったんです。誰が見てもこれは救急だと。。
そして、それはほとんどの場合、救急の病気でした。
もちろん、そこには、静かだけど重篤な病気であって、本来は緊急で治療しなければならないのに見逃されてきた不幸な人たちもある一定の確率で存在しました。納得いかない人もいたでしょう。
あるいは、高齢になればいろんな異常値が増えるのは当たり前で、それをすべて正常化することが天寿を真っ当することにはならない、、という暗黙の死生観というか、戦後の驚異的な平均寿命の伸びから、「うちのじいさん、ばあさん、もう寿命だよ。。」みたいな、ほどよいあきらめ感があったと思うのですね。
しかし、これを、否定して、長生きすべてがいいことだ、寝たきりで、胃に穴開けて生きても、いいことだ、呆けようが、廃人になろうが、「生きていること、それだけで美しい。」という、考えが世の中に蔓延するようになりました。
人の命は地球より重い。。それを実践したのが、日本なのでした。
もし、国家が永遠にお金持ちなら、経済成長が永遠ならば、そうした、ユートピア的発想も許されるでしょう。
しかし、税収より借金が多い国でそんな事が許されるでしょうか。
子供がどんどん減り、若者が街を理由もなく徘徊して、希望もない、そんな社会において、許される哲学なのでしょうか。
さて、資本主義社会では当然であるところの、儲けることが至上命題である、製薬会社は考えました。
薬を売るためには、、人々が薬が必要だと考えるようになればよい。
その戦略には、、
1)病気を作る、いままではほっておいてもよかったものが、実は、、将来何々病の危険因子になる、、等の理由で。
2)特に高齢者をターゲットにする。もうじき死ぬから、不安を煽ることができる。子供の場合は母親をターゲットにして不安を煽る。
3)政府の規制緩和、薬剤規制についてロビー活動する。
4)薬を現場で供給する医師を増やし洗脳する。
5)医師を製薬会社の管理下(学会、治験などのお金を供給する)に置く。
があると思います。
いままさに、この戦略が行われていることは、僭越ながらこれまでの私の投稿をごらんになればわかると思います。
すなわち、開業医をどんどん増やし、彼らをどんどん洗脳し、大学教授を使って、洗脳情報を繰り返しながし、処方させる。。
これで、患者は作られ、大量に増産されます。
これが供給する側が多い理由です。
さて、需要側はどうでしょう。
実は救急病院の多くは赤字経営です。赤字になるように診療報酬が設定されているからです。すなわち、必要な時に必要な患者へ集中的に施す医療体系にすると、赤字になるように設定されているのです。
なぜなら、いくら重症でも、1人の患者は一つのベットしか埋めないから。
重症の患者を適切に治療した、その行為について、診療報酬がきめられるのではなく、ベット一つ埋めて、いくら、、の診療報酬となっているため、治療が必要な人のために医療資源をつかうのではなく、ベットを埋めるのが重要課題になってしまうわけです。
だから、多くの救急病院は、空床が目立ち出すと、ほとんどお家にかえってよろしい的な患者でも、「念のため、検査入院しましょうか。」とか、「もしかすると、急変するかもしれません。入院しましょう。」とか、あくまで病院の都合で入院を勧めたりします。それを経営者が現場の医師に半ば強制します。多くの医師は奴隷状態なので、ははーー、と馬鹿理事長に従います。またそうしたマイナーな病気発見がすばらしいことなんだ、いいことなんだ、命だけは平等だ、、胃に穴開けて30年生きることはすばらしいことなんだ、と、若い研修医にすり込みます。そして、「訴えられたら困るから。」として、ありとあらゆる検査をオーダーさせます。
救急病院は常に、過剰検査と満床を維持しないと黒字になりません。
さて、このように、隙間のない救急病院で、本当に「救急」の患者を受け入れる体制はあるでしょうか。
あるはずもないのです。
医者の良心が働いて、がんばってその患者を受け入れたとしましょう。
もし、治療失敗したら、確実に訴訟です。
みのがしたら書類送検です。
新聞で叩かれるかもしれません。
特に、妊婦は究極の地雷です。
福島で起きた産婦人科医加藤先生の巻き込まれた大野事件は典型例です。
医療行為自体はなんら問題ないのに、患者は不幸にして死んでしまって、この先生、家族がにらむなか、墓前で、土下座して涙して謝ったんですよ。
救って当たり前、救わなかったら、死刑、
こんな仕事が世の中にありますか?
人間は不老不死が当たり前ですか?
これが人間のプライドを崩壊させずにおれますか?
そして、刑事事件として天下の極悪人にされ、まだ、30代の働き盛りですよ。
3年間も医療行為ができなかった。
多くの病院はそんな、コスト高の患者をとったところで、人員も食ってしまうし、軽症だけど、不安を煽って、入院してくれた、年寄りの方が楽だし、儲かるわけです。
何しろ、これから生まれてくる子供達なんかより、現に存在している、寝たきり、90歳の胃ろうをつけた、アルツハイマー病末期のお年寄りの方が、現場の医師にとっては、大事な「命」なわけですから。。
病院が本当に救急そうな患者を断りたくなるのは経済的にも、医師個人の防衛思考としても、理にかなっているのですよ。
めんどくさいし、儲からないから、、訴訟も怖いし、受診拒否!
日本はそもそも、病院を作りすぎたんです。
病院が雇用対策の票田になってしまった、政策時期があるんです。特に1970年代から80年代にかけて。。
それらがすべて生き残るためには、診療報酬を全体としてさげなけばならなかった。あまりにもコストを食いすぎたんです。
だから作りすぎた病院をつぶす政策を厚労省はここ10年くらいずっとやってんですけど、なかなか、思うようにつぶれてくれない。病床が減ってくれない。
そこには、増えすぎた患者、作りすぎた患者を受け入れる供給側の理屈もあって、病院がつぶれすぎると、彼らの安全弁がなくなってしまう。
開業医にとっては、「めんどくさかったり、なんかあったら、とりあえず、救急イキナ!」的な安心を保証してもらいたい。
だから、医者が足りない、救急システム崩壊、病院が足りない、と日本医師会は煽る必要がある。
以上から、ようするに、救急のパンク、ひとつとってみても、大本には製薬会社が大きく絡んでおり、そこに、検察という、日本一の権力集団と仕事がほしい弁護士会が、訴訟の圧力をかけて、タッグチームを組んで、病院経営者を中核とする日本医師会とバランスをとっているというなんか、三流童話みたいな話があるのです。
無論、バックにはアメリカがおりますけど。。
医者の給料というのは、実は、30年前くらいから、全く変わってないばかりか、どんどん落ちております。これは要するに社会保障費のコストが、薬剤や検査へシフトし医者個人の技能は評価が低くなっていると言うことだと思います。これでは、3分診療も当たり前です。
医者は儲けているというか、まあ、そういうやつもいますが、より、奴隷化しているといった方がいいでしょう。救急で働く医者はほんと、かわいそうです。気の毒です。
私立大学など、先日の投稿に載せたように全くコストがあわんのですよ。
さて、
製薬会社を規制するだけで、どれだけの社会保障費が浮くか、おわかりいただけると思います。
規制が悪いのであれば、薬剤を自費にすべきです。
資本主義の論理を国民皆保険という社会主義の温情で蝕むことは許されないはずです。
いままさに日本はそうした病にかかっております。
PR
コメント