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徽宗皇帝のブログ

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古いは新しい、新しいは古い
「紙屋研究所」から記事の一部を転載。
「計画的陳腐化」という概念は面白い。しかし、言葉が適切かどうかは疑問だ。この言い方だと「最初から陳腐化が計画されている」と受け取られるだろうし、それは資本主義の生産活動ではある意味実際そうなのだろう。(昔、「ソニータイマー」という言葉が流行ったことがあったが、それはソニーへの陰謀的風評被害だった可能性が高い。しかし、最近の電化製品などの商品寿命の短さは歴然としているのではないか。しかも、それを「修理して直す」ということが普通人には不可能なのである。)しかし、都市計画などで、最初から陳腐化が計画されているというのは極論なのではないか。
計画されているのではなく、「『新しいもの』は宿命的に陳腐化が生じる」だけだろう。だが、そう理解することで、「無意味な都市計画」への用心が起こることは大切だ。それが「税金の無駄遣い」を戒める機能になるからだ。
都市としての奈良や京都の価値は「古いこと」にあり、堅牢性を持った古いものは古くなればなるほど価値を増すのであり、そういう意味では常に新しい。

(以下引用)

計画的陳腐化と都市開発

 三つ目は「計画的陳腐化を終わらせる」という話で思い至ったことがある。


 計画的陳腐化とは「売上を伸ばしたくてたまらない企業は、比較的短期間で故障して買い替えが必要になる製品を作ろうとする」(p.212)という意味に著者は使っている。その例として家電やハイテク機器をあげる。


 この話はかなり昔から資本主義の問題点としてあげられている。


 ぼくは、「都市開発」もそうではないかと思う。


 福岡市の髙島市政は、「天神ビッグバン」といって規制緩和と税金投入によるオフィスビルの大量更新を行い都市を新しくしようとしている。こうした都市開発は都市の競争力や価値を高めるというのが現在の福岡市政がとっている経済政策であるが、都市開発による「新しい感じ」の創出は、しかしながら、創出された瞬間に陳腐化が始まる。一定の年数が経てば古臭いものとなって、再び大規模な投資を呼び起こさざるを得ない。まさに計画的な陳腐化である。




「天神ビッグバン」で生み出された大名小跡地のカフェと公開スペース。(福岡市)

 それに見合う効果が果たして生み出され、しかもそれは、貧困層を富を切実に必要としている人たちに届いているのか? という疑問を絶えず生み出し続けるのだ。


 計画的陳腐化としての都市開発は見直されるべきであり、「人が住める、住みやすい都市」という必要から発想されるべきだろう。

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