「埼玉的研究ノート」という、或る大学の先生らしい人のブログの一節である。
以前に、「世に倦む日々」で、このブログがけなされてたので、逆に興味を持って読み始めたブログだが、教師らしい硬い内容ではあるものの、論理的で客観的で理性的な、好ましい文章だと感じている。大学生も、こういう先生に教わっているならまだ安心である。もっとも、私は文系学部など、法学部以外は不要であり、その法学部も最初から司法試験だけを視野に入れて教えればよく、他の「教養」は自分で本を読み、自学して身につければいい、と思っているのだが。まあ、昔の大学の先生のように、「この人に学びたい」という有名教授がいれば別だが、今どき、教授の名前で大学や学部を選ぶ受験生はいないだろう。昔の東京帝大ではラフカディオ・ハーンや夏目漱石の授業が聞けたのだから、羨ましい。
閑話休題。下の文章には、「人が自分と国家(政府)を同一視しがちであること」という重大な問題が論じられている。これが愛国心の起源でもあり、また右翼をも生む土壌であることは推測できる。だが、自分を政府と同一視した場合、政府への批判をする者を「自分に敵対する者」として捉えることになる。逆に、外国、特に周辺国家や非同盟国家を攻撃する言説は「愛国心の発露」として許容されやすい。その結果は、帝国主義的なファシズム国家(今のアメリカがその代表)となることは論を待つまい。
(以下引用)
以前に、「世に倦む日々」で、このブログがけなされてたので、逆に興味を持って読み始めたブログだが、教師らしい硬い内容ではあるものの、論理的で客観的で理性的な、好ましい文章だと感じている。大学生も、こういう先生に教わっているならまだ安心である。もっとも、私は文系学部など、法学部以外は不要であり、その法学部も最初から司法試験だけを視野に入れて教えればよく、他の「教養」は自分で本を読み、自学して身につければいい、と思っているのだが。まあ、昔の大学の先生のように、「この人に学びたい」という有名教授がいれば別だが、今どき、教授の名前で大学や学部を選ぶ受験生はいないだろう。昔の東京帝大ではラフカディオ・ハーンや夏目漱石の授業が聞けたのだから、羨ましい。
閑話休題。下の文章には、「人が自分と国家(政府)を同一視しがちであること」という重大な問題が論じられている。これが愛国心の起源でもあり、また右翼をも生む土壌であることは推測できる。だが、自分を政府と同一視した場合、政府への批判をする者を「自分に敵対する者」として捉えることになる。逆に、外国、特に周辺国家や非同盟国家を攻撃する言説は「愛国心の発露」として許容されやすい。その結果は、帝国主義的なファシズム国家(今のアメリカがその代表)となることは論を待つまい。
(以下引用)
戦時中の不幸に対して、(ここが重要である)戦時中は幼少期であった人々を含む、今日生きている日本人の多くは、自分が直接責められていると考える必要はない。中国や韓国からの批判に反発するのは、自分が責められていると感じるからだろう。しかし本来、直接責任を負うべきは日本政府である。むろん、政府に対して責任を負うのは国民である。だが、このことは、日本政府と日本国民がイコールであることを意味しない。日本政府を責める責任が日本国民にはある、ということである(ここも重要である)。逆に言えば、日本人に降りかかった苦悩に対する政府の責任を追及する権利も日本国民は持つ。被害は甚大であるものの、戦争と比べればはるかに限定的だった水俣病でも、政府は最終的に監督不行き届きの責任を認めたのだから、政府が率先して行った戦争に対して同様の謝罪があっても何ら不思議ではない。
こう考えると、政府の責任に目をつぶる議論こそがむしろ「自虐的」とさえいえる。にもかかわらず、なぜお詫びに対して否定的な見解が勢いを増しつつあるのか。中国・韓国政府は、日本政府の責任を追及しているのであって、とりたてて日本国民を攻撃しているわけではない。政治家一族として、国民というよりも政府に近い位置にもともと座している安倍晋三氏が心情的に日本政府の責任を認めたがらないというのはまだわかる(首相という公務にそれを持ち込まないでほしいが)。しかし政治家一族ではない「普通の」日本人もまた、自分が攻撃されていると考えるのはなぜか。つまるところ、「普通の」日本人の間で、日本政府と日本国民を同一視し、政府批判を自分に対する批判と錯覚する傾向が増しているということである。「朕は国家なり」と思う人が増えているのである。
ではなぜそのような傾向が増しているのか。また、そうした状況下で起こりうる弊害に対して有効な批判の方法とはいかなるものか。
鍵は、日本政府という重厚な存在に対して怖れをなす、あるいはうまく活用しよう(長いものには巻かれよう)という権威主義的傾向の増加にある。そして、それに対していたずらに挑発するのではない批判や議論のあり方を考えなければならない。
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