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徽宗皇帝のブログ

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国家という組織の集団的発狂へのフロイトの説明
「蚊居肢」という奇妙な(どう読むのかもわからない)名前のブログの記事だが、非常に素晴らしい内容である。まさに、私が常々言う「組織悪」の精神分析学的本質だろう。で、国家というのもひとつの組織だ、というのが私の主張である。その組織が発狂状態になるのが「戦争」であり、新たに登場した(最初は「911」だろうが、あれは米国限定だった。)のがここ数年の新コロパニックだ。つまり、意図的に作られた国家的発狂状態である。特に、引用文中でフロイトが指摘した下のような状況だ。

最も優れた知性をもつ人々によって示された洞察力の欠如、頑迷さ、極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向、そして容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向

このブログの存在は「混沌堂主人雑記(旧題)」で知った。感謝する。

(以下引用)読みやすくするために、一部を赤字にするので、そこだけ読むのもいい。

2023年12月28日木曜日

この3年のあいだの「インテリのケッタイさの赤裸々の露顕」


 



今年ももうすぐ終わりだが、しかし2020年代に入って、実に反主流メディアの情報を探ったよ。人生でこんなに熱心にそうしたのは初めてだね。



ワクチンなる生物兵器戦争、宇露戦争、イスラエルのガザジェノサイドと立て続けに戦争が起こって、いわゆるインテリのケッタイさが赤裸々に露顕したからな。


 


フロイトは第一次世界大戦勃発の半年後に書かれた『戦争と死に関する時評』で、次のように言ってるけどね。



・・・しかし、我々の同胞である世界市民には、我々に大きな苦痛を与えた倫理的高みからの転落に劣らず、我々を驚かせショックを与えたもうひとつの症状がある。


Vielleicht hat uns aber ein anderes Symptom bei unseren Weltmitbürgern nicht weniger überrascht und geschreckt als das so schmerzlich empfundene Herabsinken von ihrer ethischen Höhe.


私が念頭に置いているのは、最も優れた知性をもつ人々によって示された洞察力の欠如、頑迷さ、極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向、そして容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向である。


Ich meine die Einsichtslosigkeit, die sich bei den besten Köpfen zeigt, ihre Verstocktheit, Unzugänglichkeit gegen die eindringlichsten Argumente, ihre kritiklose Leichtgläubigkeit für die anfechtbarsten Behauptungen. (フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


まさにこの《洞察力の欠如、頑迷さ、極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向、そして容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向》をもった医学者、国際政治学者、インテリが跳梁跋扈した3年だったね。


 


こうもあるな。




今回の戦争が私たちの同胞の最良の人々の間で呼び起こした論理的な妄想は、二次的な現象であり、感情的興奮の結果である。Die logische Verblendung, die dieser Krieg oft gerade bei den besten unserer Mitbürger hervorgezaubert hat, ist also ein sekundäres Phänomen, eine Folge der Gefühlserregung, (フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


この『戦争と死に関する時評』は後の『集団心理学と自我の分析』や『ある幻想の未来』の次の記述の先駆けだね。


 




集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動[Affektivität]は異常にたかまり、彼の知的活動[intellektuelle Leistung] はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 [Triebhemmungen]が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理[Massenpsychologie]の根本事実である原集団における情動興奮と思考制止 [der Affektsteigerung und der Denkhemmung]という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年)


集団は怠惰で短視眼である。集団は、欲動を断念することを好まず、いくら道理を説いてもその必要性など納得するものではなく、かえって、たがいに嗾しかけあっては、したい放題をする。denn die Massen sind träge und einsichtslos, sie lieben den Triebverzicht nicht, sind durch Argumente nicht von dessen Unvermeidlichkeit zu überzeugen, und ihre Individuen bestärken einander im Gewährenlassen ihrer Zügellosigkeit. (フロイト『ある幻想の未来 Die Zukunft einer Illusion』第1章、1927年)



まさにこうなったんだよな。



あるいはーー、


集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。Die Masse ist außerordentlich beeinflußbar und leichtgläubig, sie ist kritiklos〔・・・〕


集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。Wer auf sie wirken will, bedarf keiner logischen Abmessung seiner Argumente, er muß in den kräftigsten Bildern malen, übertreiben und immer das gleiche wiederholen.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)


 


で、どうして人はこうなるのかといえば、フロイトは戦争は退行を生み出す力だと言ってるね。


 




心的発達において、すべての初期の発達段階は、そこから生じた後の段階と並行して存続する。ここでの継承には共存も含まれるが、一連の変容全体が同じ素材に対して適用されている。より初期の心的状態は長いあいだ現れないかもしれないが、それにも拘らず現前しており、いつでも心的力の表現様式となり、あたかもすべての後の発達が無効にされたり取り消されたりするかのように実に唯一の状態になりうる。


seelischen Entwicklung…daß jede frühere Entwicklungsstufe neben der späteren, die aus ihr geworden ist, erhalten bleibt; die Sukzession bedingt eine Koexistenz mit, obwohl es doch dieselben Materialien sind, an denen die ganze Reihenfolge von Veränderungen abgelaufen ist. Der frühere seelische Zustand mag sich jahrelang nicht geäußert haben, er bleibt doch soweit bestehen, daß er eines Tages wiederum die Äußerungsform der seelischen Kräfte werden kann, und zwar die einzige, als ob alle späteren Entwicklungen annulliert, rückgängig gemacht worden wären.


心的発達のこの並外れた可塑性は方向性に関しては制限がないわけではない。それは特殊な退行作用[besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression –]として説明しうる。というのは、後のより高次な段階が一旦放棄されると再び取り返せない事態がとしばしば起こるから。しかし原初の段階へはいつでも戻りうる。原初の心的状態は、言葉の十全な意味で、不滅である。


Diese außerordentliche Plastizität der seelischen Entwicklungen ist in ihrer Richtung nicht unbeschränkt; man kann sie als eine besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression – bezeichnen, denn es kommt wohl vor, daß eine spätere und höhere Entwicklungsstufe, die verlassen wurde, nicht wieder erreicht werden kann. Aber die primitiven Zustände können immer wieder hergestellt werden; das primitive Seelische ist im vollsten Sinne unvergänglich.



精神疾患と呼ばれるものは、一般の人には知的生や心的生が破壊されているという印象を必然的に与える。だが実際には、破壊は後に獲得されたものや発達にのみ適用される。精神疾患の本質は、情動的生と機能が以前の状態に回帰することにある。


Die sogenannten Geisteskrankheiten müssen beim Laien den Eindruck hervorrufen, daß das Geistes- und Seelenleben der Zerstörung anheimgefallen sei. In Wirklichkeit betrifft die Zerstörung nur spätere Erwerbungen und Entwicklungen. Das Wesen der Geisteskrankheit besteht in der Rückkehr zu früheren Zuständen des Affektlebens und der Funktion.



したがって、文化に対する我々の感受性の基礎となる欲動の変容も、人生の影響によって永久的または一時的に取り消される可能性がある。戦争の影響は、このような退行を生み出す力のうちのひとつであることは疑いない。


Es kann also auch die Triebumbildung, auf welcher unsere Kultureignung beruht, durch Einwirkungen des Lebens – dauernd oder zeitweilig – rückgängig gemacht werden. Ohne Zweifel gehören die Einflüsse des Krieges zu den Mächten, welche solche Rückbildung erzeugen können


(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


 


どうだろうな、一般大衆はもとより、あれらインテリたちの「精神疾患」をこれ以上巧みに説明する仕方があるかい?





(以下省略)

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