小沢事件における検察審議会の異常さを調べる森ゆうこ参議院議員に対し「(俺たちに逆らったら)鉄鎚を下してやる」と検察幹部が恫喝発言をした件に関連する「阿修羅」記事の一部から、事件とは直接の関係はないが、日本の司法制度の奇妙さを説明した部分を転載する。常識に属する内容かもしれないが、常識であるべき知識が常識でないから今の日本の悲惨な現実があるのだろう。だから、あえて掲載する。
そもそも、検察審議会は検察に対立する在野の存在である「はず」なのに、その異常性に関する調査を検察や裁判所が邪魔するというのはおかしな話である。もちろん、検審が検察の下部組織にすぎないことや、検察がアメリカの指示で動いていることは一部国民にとっては常識だが、大マスコミにしか接しない人々はそれを知らない。ここにも「常識が常識でない」という悲しい現実がある。しかし、近い将来に、すべての国民が日本と世界の真実の姿を知る日が来ると信じよう。
(以下引用)
この記事で一番の注目点は「裁判所、検察審査会、検察庁の一体化」の指摘です。
日本の司法の実態は裁判所と検察が一体化している事です。
日本の有罪率99.9%は裁判所と検察が一体化しているからこそ可能なのです。
日本独特の「判検交流」という制度は、裁判官と検察官が交互に出向し合って、裁判官→検事、検事→裁判官となる許し難い制度なのです。
今回検察官役の3名の弁護士が小沢一郎元代表を「検審起訴」しましたが、本来被告の無罪と人権を擁護する弁護士が被告を起訴し有罪にする検事役に なっているのです。
これは「判検交流」どころではなく、弁護士→検事という本来の司法の3権分立(裁判官、検事、弁護士)を真っ向から否定する「判検弁交流」なのです。
そもそも、検察審議会は検察に対立する在野の存在である「はず」なのに、その異常性に関する調査を検察や裁判所が邪魔するというのはおかしな話である。もちろん、検審が検察の下部組織にすぎないことや、検察がアメリカの指示で動いていることは一部国民にとっては常識だが、大マスコミにしか接しない人々はそれを知らない。ここにも「常識が常識でない」という悲しい現実がある。しかし、近い将来に、すべての国民が日本と世界の真実の姿を知る日が来ると信じよう。
(以下引用)
この記事で一番の注目点は「裁判所、検察審査会、検察庁の一体化」の指摘です。
日本の司法の実態は裁判所と検察が一体化している事です。
日本の有罪率99.9%は裁判所と検察が一体化しているからこそ可能なのです。
日本独特の「判検交流」という制度は、裁判官と検察官が交互に出向し合って、裁判官→検事、検事→裁判官となる許し難い制度なのです。
今回検察官役の3名の弁護士が小沢一郎元代表を「検審起訴」しましたが、本来被告の無罪と人権を擁護する弁護士が被告を起訴し有罪にする検事役に なっているのです。
これは「判検交流」どころではなく、弁護士→検事という本来の司法の3権分立(裁判官、検事、弁護士)を真っ向から否定する「判検弁交流」なのです。
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