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徽宗皇帝のブログ

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天皇君主制と象徴天皇制
別ブログに載せていた記事の一部だが、白井聡の考えは私の考えに近い(中島岳志はそれを批判しているが)ので、参考までに載せておく。とは言っても、ここで言われている「天皇」は現上皇なので、現在の天皇(今上天皇)に関しては、私は「天皇を国政の一機関とする」ことが妥当かどうかは危ぶんでもいる。まあ、政治権力の中心である総理大臣と別に、権力は持たないが権威を持つ存在がある、というのは、政治権力の独裁化を防止するシステムになるのではないか、という構想である。(日本で三権分立が機能していないのは明白だろう。)まあ、「象徴天皇制」というのは上手く使えば権力暴走の抑止力にできるかもしれない、という話だ。
江戸時代の庶民は天皇の存在などほとんど知らず、天皇や公家は落剝した生活をしていたが、明治維新で天皇が討幕の勅令を出した瞬間に、幕府は天皇に恭順の姿勢を示し、日本の社会全体が一夜で維新勢力こそが正当(正統)という空気にがらりと変わったことを、外国の研究者が驚嘆したという話がある。この「権威」の力は危険な威力があるが、その威力を知っていたからこそ織田信長も豊臣秀吉もそれを利用し、鎌倉幕府も江戸幕府も朝廷を潰しはせず、官位は朝廷から貰うという形でその権威を認め続けたのだろう。そして幕府の天皇への「大政奉還」で維新の被害は最小限に抑えられたのである。
日本が明治維新で近代国家として生まれ変われたのは、幕府と維新勢力の内乱で疲弊しなかったからだと私は思っている。そこが、他のアジア諸国(ほとんどが内乱を利用して植民地化された)との違いで、帝国主義の時代に日本が植民地化されなかった理由だろう。だが、明治維新の成功でそれまでの「象徴天皇制」的な伝統を捨て、「天皇君主制」「天皇神格化」が行われた結果、大東亜戦争の悲劇に至ったわけだ。

(以下引用)


天皇アメリカ――誰も書けない“激しい問題提起”
中島岳志が『国体論 菊と星条旗』(白井聡 著)を読む

中島 岳志
2018/06/17
source : 文藝春秋 2018年7月号
genre : ニュース, 読書, 社会, 政治, 国際

 戦前の日本は天皇統治の正当性を唱える「国体」が支配し、戦後になって解放されたと考えられている。しかし、著者の見解では、国体は連続している。「『国体』は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編されたかたちで生き残った」。そして「現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、『国体』である」と言う。どういうことか。白井の見るところ、「戦後の国体」は「菊と星条旗の結合」、つまり天皇アメリカの共犯関係である。アメリカが構想した戦後日本のあり方は、天皇制から軍国主義を抜き取り、「平和と民主主義」を注入することにあった。そのため、「対米追随構造の下」に「天皇の権威」が措定された。「象徴天皇制とは、大枠として対米従属構造の一部を成すものとして設計されたもの」である。


 しかし、「戦後の国体」は、すでに破たんしている。発端は冷戦の終結にある。ソ連という共通敵が存在する時代、アメリカは日本を庇護する理由があったが、冷戦の崩壊によって、アメリカが日本を守らなければならない理由はなくなった。これにより日本へのスタンスが「庇護」から「収奪」へと変化する。


 ここに天皇アメリカの分離が生じる。今上天皇が志向するのは国民統合である。天皇・皇后の特徴は「動く」こと。被災地に赴き、慰めとねぎらいの言葉をかける。戦地に赴き、祈る。天皇は「動き、祈ること」で日本国の象徴となり、「国民の統合」をつくりだす。天皇が「日本という共同体の霊的中心」となる。


 この「国民統合」の障害となっているのがアメリカだ。親米保守アメリカの国益のために行動し、日本社会を荒廃させる。沖縄の声を無視し、辺野古の基地建設を強行する。


 天皇は、加齢によって「動く」ことが満足にできなくなることを、退位の理由とした。しかし、安倍政権を支える親米保守論者は、天皇の生き方を否定し、「天皇は祈っているだけでいい」と言い放つ。そして、天皇よりもアメリカを選択する。


 天皇のお言葉は危機意識の表れに他ならないと白井は言う。腐敗した「戦後の国体」が日本国民を破たんへ導こうとしているとき、「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」。


 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。


 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。


 激しい問題提起の一冊である。

(文春オンラインより)




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