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徽宗皇帝のブログ

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好戦気分醸成のための意図的「弱腰外交」か?
日露戦争で「勝利」した日本国民は、ロシアから巨額の賠償金や領土が勝ち取れると思いこんでいた。しかし、賠償金は微々たるもので、割譲された領土も少なかったことが日本国民の多くを怒らせたのだが、引き続いて起こった「三国干渉」によってその割譲された領土も一部を返還することになった。
この日本の弱腰外交は国民を憤激させ、「日比谷焼き打ち事件」などの暴動まで起こったというのは、世界史や日本史で習ったことだ。この「弱腰外交への不満」が後の太平洋戦争での国民の好戦的気分の根底にあったのは疑いない。

さて、言うまでもないことだが、この前置きは「中国船船長逮捕事件」とその釈放に対する国民の今後の動きに警鐘を鳴らすためのものである。つまり、わざと「弱腰外交」で国民を怒らせ、国民の好戦的気分を煽ったところで第二の「盧溝橋事件」を起こせば、一部の人間の予定どおり、めでたく日中戦争突入となるわけだ。
日本だけではなく中国にも、自分が利益を得るために戦争を望む人間はたくさんいるし、日中が戦争すればそれ以外の国々はみな大喜びである。他人の不幸は自分の幸福というのが世界政治の原則だ。
特にアメリカは経済破綻が目前であり、日中戦争を利用して自国の経済的回復を図ることができると計算しているだろう。
さて、日本国民は過去の歴史から少しは何かを学んだだろうか?



(注)
日比谷事件:
講和は成立したが、その内容は国民の過大な期待にはほど遠く、とりわけ賠償金が獲得できず、巨額の戦費を自国で負担しなければならなくなったことは、国民を失望させた。連戦連勝のニュースだけを聞かされてきた国民は、講和にあたって政府が譲歩せねばならぬ理由がわからなかった。無賠償の平和は恐慌の到来を意味すると聞かされた民衆は、「よろしく五十億内外の償金を要求し、彼若し応ぜずんば断然講和を停止し、永久戦の覚悟を復すべきのみ」という景気のよい新聞論調に動かされて、政府への不満を高めた。その不満に火をつけたのが、九月五日、日比谷公園に予定された講和反対国民大会が禁止されたことだった。民衆は禁止を無視して大会を開き、それを解散させようとする警官と衝突して暴動化し、内相官邸や国民新聞社を襲い、ついで警察署や交番を焼き打ちした。
            ( 藤村道生著「日本現代史」P46,47)


















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