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徽宗皇帝のブログ

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安部政権のキチガイ論理
「逝きし世の面影」記事の最後の部分だけ転載。例によって長い記事だが、この部分だけ独立させたほうが、日本政府の非論理性、つまり、最初から「安部政権維持最優先」の結論ありきで、後は思いつきの言動ばかりだから、支離滅裂な論理になっているのが明瞭になる。

言葉も論理もすべていい加減、政治や経済の責任者がまったく責任を取らない、というのが9.11以降の世界的傾向である。これほど由々しき事態は近代以降、初めてではないか。つまり、政治や経済が「力こそ正義」「問答無用」の暴力の時代に先祖がえりしたのである。いったい、ヴォルテールやルソー以降の近代政治の歩みは何だったのか。民主主義も何も、すべて論理が意味を成すという前提での話でしかなかったのに。政治家は嘘をつくものだ、という暗黙の了解は、政治家は建前を大事にしないと政治生命が終わる、という前提に基づいていたのである。建前を大事にするからこそ、嘘をつく必要も出てくるのだ。(嘘とは論理に基づくものだ、というのを案外知らない人もいるのではないか。)ところが、論理も言葉も滅茶苦茶、となると、世界全体がキチガイの世界になるしかない。

なお、私がしばしば「合理性」を批判するのは、合理性は抽象と捨象を原理として成り立つため、捨象される大事な事柄があまりに多い、ということに注意をうながすためである。理性そのものを否定しているわけではないのは言うまでもない。(「合理主義者」という言葉がしばしば「冷血人間」に近い響きを持つことは誰でも知っているだろう。組織の上位者は合理主義者であることが必然であるが、合理性の行き着くところ、部下が全員ロボット化した、時として反社会的な、利益追求のみの、人間不在の組織である。そうなると、何のための組織か、ということになる。)




(以下引用)



『熊本地震は、日本にとって極めて重い緊急事態なのか。?それとも通常の災害程度なのか。?まったく不明』

菅義偉官房長官は震度7が観測された翌日の15日には早くも『今回のような大規模災害が発生したような緊急時に、国民の安全を守るために国家や国民がどのような役割を果たすべきかを、憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ』と緊急時に政府の権限で一般市民の人権を制限する『緊急事態条項』にまで言及している。
またアメリカ軍は18日『日本政府が16日、米国務省に震災支援を要請』した(具体的にはオスプレイの派遣)事実を明らかにしている。
菅官房長官は、熊本地震について早い段階で緊急事態条項を検討し、オスプレイ投入するほどの『緊急事態』だと言っていた。
ところが一方では、菅義偉官房長官は4月20日熊本県などで相次いでいる地震は『大震災級という状況ではない』と明言している。また熊本県知事が緊急要請している激甚災害の指定も政府は理由を全く示さ無いまま何故か渋っていて未だに行っていない。
熊本地震の取材を物見遊山で迷惑行為を働いた産経グループのテレビスタッフや、被災民を勉学の迷惑だと追い出した県立大学の五百籏頭元防衛大学長、避難計画も無い川内原発を安全だと言い張る田中俊一原子力寄生委員長など、これらの腹立たしいはた迷惑な3者ですが、共通するあまりにも特異な特徴を持っている。
何れも安倍晋三のごく親しいお友達で大人なら当然持っているはずの一般常識を歯牙にもかけない非常識。あるいは義務教育修了者なら当然知っていはずの知識の欠如、不見識の極みのような低能ぶりには驚き呆れるばかりである。、特権階級(エスタブリッシュメント)としての鼻持ちならない『上から目線』の桁違いの傲慢さはあいた口がふさがらない。しかも、我々様な普通の一般市民など虫けら扱いなのである。
気象庁が観測史上で前例がないという『熊本地震』ですが、たぶん彼らの頭の中では何時でも起きている通常の陳腐な災害程度の現状認識なのである。
そして、肝心の日本政府の対応ですが、今回の『熊本地震』は、日本にとって極めて重い緊急事態なのか。?それとも通常の災害程度なのか。?日本政府の対応が極端でしか支離滅裂。何れとも判断がつかない。真相がまったく不明なのである。
胡散臭い詐欺師の言葉だから全部うそで大馬鹿者の主張が全て間違いだとの法則は何処にもない。可能性は低いがひょっとすると田中俊一や五百籏頭 真やフジ産経グループの方が正しい判断をしている可能性もゼロではない。(詐欺師や愚か者の発言では、その正誤は全く不明。時には誰も言わない正解の時もあるので少しも油断が出来ない)


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