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徽宗皇帝のブログ

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封建時代の支配層と民衆
ペリーの日本遠征に随行した通訳サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズの「日本遠征随行記」の一節で、彼ら一行が沖縄(当時は琉球)に上陸した時の記録である。
当時の薩摩(その傀儡政権としての首里王府)支配の非人間性がよく分かる。その「密告制度による支配」は、当時の沖縄だけでなく、どの政権でも多かれ少なかれ存在したし(たとえば五人組制度や隣組制度、町内自治会制度)、現在でも日本人が権力にまったく逆らわないのは、この心性が日本人全体に行き渡っていて庶民を精神的に支配しているからだと私は思っている。
なお、当時のアメリカは建国の理念と理想が国民の間に存在し、「民主主義」と「人権思想」が生きていたから、下の文章末尾のようなウィリアムズの感想も自然なものだったと思われる。現在のアメリカでは民主主義も人権思想も消えかかっているのは言うまでもない。新コロ全体主義がそれを世界的に完全に消滅させるだろう。


(以下引用)



私は沖縄を十七世紀、1609年にこれを完全に征服した薩摩の属領(日本に従属するというよりも)と考えている。薩藩は沖縄の貿易を独占し、その内政と外交を統御している。利益のあがる貿易を続け、また島民の間に名ばかりでも独立国の体面を維持させるために、福州への進貢船の派遣を許しているのである。権力は長い慣例で世襲的階級となっていた上層階層の手に牛耳られていた。彼らは小心で無力な民衆を密偵制度で支配しており、この制度が相互不信と恐怖の念を民衆の間に浸透させていた。上流階層は密偵を養い、学問、教育や役職を独占していたが、農奴の生活を高め、改善すためにはなんらの施策をも講じなかったのである。彼らの統治ぶりは一見、非常に柔軟に見えた。兵士は剣を帯びず、街頭に立つ警備兵は笞さえ手にしていなかった。というのも、民衆の抵抗力がすっかり弱まって、扇子の一振り、目ばたき一つが一撃と同じ効果をもっていたからにほかならない。たしかに密告者を恐れるあまり、たとえば、異人が市場に現われようものなら、みな逃げ出してしまうほど、服従心は不必要なまでに徹底していた。もっとも、市場の人々のほとんどは婦人だったので、みんなが逃げて行った理由も、おそらくそのためなのであろう。今ではその人たちも、当初のように逃げ出したりはしない。ともかく、監視と義務の制度ほど人間の尊厳を損なうものはない。--自分とはかかわりのない他人の行動をたえず見張り、一方、自分の活動がいっさい探り出され、密告されているとたえず感じているのだから、足枷をはめられた囚人、網にかかった魚も同じで、動くことを恐れているのだ。たとえ、民衆が自己の権利に目覚めていても、それを主張するには力が乏しい。今は、この不自然きわまりない制度がもつ有害な影響をあらゆる階級の人々に知らせることに望みを託すだけなのである。


           (「日本遠征随行記」S・W・ウィリアムズ著 洞富雄訳)




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