忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

小沢問題の要約
茂木健一郎という学者を私はあまり評価していなかったのだが、小沢問題について、マスコミの大勢に対して敢然と立ち向かっていることには感心した。下記の記事は小沢問題の要点を明晰に要約している。こういう要約は頭のいい人間でないとできないことだ。もっとも、東大という「官僚養成学校」を出た官僚などはその手の達人ばかりなのだが。


(以下「阿修羅」記事から一部引用)


<茂木健一郎氏ツイッターから>
http://twitter.com/kenichiromogi

(1)小沢一郎さんという人を、どのようにとらえるか。
   それが、日本の政治文化、社会の枠組みの一つの試金石になると思う。
   多数決によって決まるのが民主主義。
   しかし、「真実」は往々にして少数派の側にある。

(2)小沢さんを「古い」タイプの政治家という人が多い。
   既成観念ほどこわいものはない。
   むしろ、小沢さんが古いと評価する人たちの方が、日本特有の固定した
   世界観にとらわれていて「古い」のではないかと懸念する。

(3)小沢さんと言えば「政治とカネ」と言われる。
   しかし、政治にカネがかかるのは、アメリカ大統領選挙を見ていても
   明らかである。
   資本主義の社会において、「カネ」は血液のようなもの。
   政治家を干物にしても仕方がない。

(4)小沢さんの言う「ドブ板選挙」を古いという人もいる。
   しかし、一人ひとりの有権者の意見を聞くというのは、
   むしろ民主主義の原点である。
   イギリスの政治家も、アメリカの候補も、小規模の集会、
   訴えかけはみなやっている。

(5)形式的なルールを墨守していればそれでよしとする日本の
   学級委員的な減点主義は、そろそろやめないか。
   学級委員が日本を良くしてくれればいいが、そんなことでは
   済まないくらいの国難を迎えている。


(6)「脱小沢」と一つ覚えのように言うが、ある政治家を排除する
   ことが国の将来を左右する大事だ、などという話は、
   どこの国においても聞かない。
   将来へのヴィジョンに一切かかわらない些事を拡大して政局化する
   愚かさは、国を危うくするだけである。

(7)そのdue processとしての正統性が怪しい「検察審査会」なるものの
   議決に基づく「強制起訴」をもってして、離党せよとか、議員を辞職せよ
   というのはファシズム以外の何ものでもない。
   推定無罪の原則はどうなったのか?


(8)「民意」が暴走したときにどうなるか、戦前の経験でわかるはず。
   だからこそ、多数決で最終的には決まるとしても、民主主義では
   少数派の意見が尊重されなければならない。
   メディアの役割は、「世論調査」で「空気」をつくることではない。

(9)そもそも、小沢一郎さんは民主党による政権交代の最大の功労者ではないか。
   その功労者をこのような形で冷たく「切ろう」とする人たちを、
   私は人間として信用することができない。

・・・・コピーおわり・・・・

拍手

PR

コメント

コメントを書く