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徽宗皇帝のブログ

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年頭に思う、世界の姿
新年の各ブログやツィッター記事は挨拶程度の無内容なものが多いので、寝起きのぼんやりした頭でではあるが、少し思考の整理を年頭の作業としてやってみる。
その起点として、「谷間の百合」さんの年末の記事の一部を引用する。

(以下引用)

かれらは性懲りもなく再び共産主義革命を起こそうとしています。
機会均等、男女平等、LGBTなどはすべて共産主義化=奴隷化へのツールだと、ロスチャイルドがハッキリ言っているのです。
よく見えてきたことがあります。
共産化の過程で富裕層のみならず知識層が殺された意味がよく理解できます。
平等というのは、みんなを同じにするということです。
そのために、精神の低い人間に合わせて精神の高い者を排除、抹殺したのです。
どうせ、精神性を持つ人間など、かれらの奴隷化の邪魔になるだけです。
簡単に言えば、背の低い人間に合わせて切り揃えたのです。
そうして殺されたということです。
平等というのは、ほんとうは恐ろしい思想です。
これが、わたしが共産主義を徹底的に否定する理由です。
人間が人間を平等にするということは天にツバするに等しいことです。
人間は本来平等です。
それが因果応報の理です。
現生だけを人の生だと思っていると何も分かりません
為したことは必ず返ってきます。
輪廻転生において人は平等です。

(引用終わり)

これを引用したのは、ここに書かれた「平等というのは恐ろしい思想だ」というのが興味深いからだ。もちろん、「平等を口実とした人類操作」が恐ろしいものだ、という意味かと思うが、それとも文字通り、平等というのは恐ろしいものだ、ということだろうか。
私は「平等は部分的にしか実現できない制度であり、むしろ平等を口実とした悪行が行われるところが問題だ」という考えである。その例が「共産主義」だろう。で、たとえば会社の給与制度などが「平等」であれば、たいていの社員は労働意欲を失うのが人間性の必然だろう。だが、社員間格差を極大にしたら、下の人間は上の人間を憎悪し、上の人間は下の人間を軽蔑し、人間視しなくなる、というのも必然だろう。
それを是正するのが「社会主義」的な思想で、それは「人間性に悖(もと)る差別を解消し、弱者を救おう」という思想だ、というのが私の理解である。つまり、「共産主義と社会主義はまったく異なる」というものだが、困ったことに、「弱者を救済する」という点で類似しており、「強者から利益を減らす」という点でも類似しているので、このふたつは「親類」と見做され、同様に社会から疎外されることが多い。
もう一度言えば、「社会全体の完全な平等」というのは実現不可能な話であり、妄想であり、御伽噺である。これが「共産主義」である。しかし、「社会主義」はすべての国の政治に必ず含まれている。ある意味では「政府」が存在すること自体が「社会主義」なのである。なぜなら、税金を払うという犠牲を国民全体が負うことで、より良い社会の実現を目指すというのが政府の存在意義なのだから。これはまさしく社会主義なのであり、社会主義に対立する思想は実は資本主義ではなく、個人主義であり、さらに言えば「利己主義」なのである。現在の西側世界が利己主義の地獄になっているのはたいていの人が認めるのではないか。社会の上位1%だか0.0001%だかが社会の富の半分以上を所有する中で毎日飢え死にする人や寒空の中、家を追い出される人がいる、というのは利己主義の地獄以外の何物でもないだろう。そうした弱者を救う必要など毛頭無い、それは「自己責任」である、というのが新自由主義であり、それは個人主義(利己主義)の極点であり資本主義の極点である、というのが私の考えである。








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