人民元との比較だが、他の通貨でも同じだろう。つまり、1980年時点から見て円の価値は10分の1くらいになっているわけである。(1980年と2020年の数字の比較が分かりやすい。)
(追記)本当は前回記事に追加したかった終戦直後の新円発行の例
第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、政府は1946年(昭和21年)2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。
(追記)本当は前回記事に追加したかった終戦直後の新円発行の例
第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、政府は1946年(昭和21年)2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。
人民元/円の為替レートの推移(1980~2022年)
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コメント
1. 人民元は円に対して…
図表の通り、人民元は円に対して1980年を通してかなり激しくレートを下げております
しかも1980年代の人民元はまだ外貨兌換券による
外国通貨との交換であり、
例えば1990年ですと1人民元は30円ぐらいの価値でしたが、それは外貨兌換券での話で
現実には2倍近い闇レートがありましたので1人民元は15円程度の価値しかありませんでした。
1990年代半ばには外貨兌換券制度は廃止されましたので、図表のレートの通りの交換となっていきました。
従って1980年代を通してずっと円高傾向であり、その後は上下を繰り返してはいるものの日本円そのものの購買力平価が下がっていますので日本円そのものの価値が下がりはじめていると言えます。
1990年前後ですとだいたい2から3元程度で学食の食事代になりましたので日本円で50円もあればランチを取れましたけど
今では最低30元以上は軽くかかりますので600円以上は軽くかかる事になり日本の大学内の学食とほとんど変わりません。
こうした事象は香港でもほぼ同様でして、かつて香港は日本人にとり中華グルメや飲茶を安く堪能出来るところでしたけど
今は香港のランチは日本の倍は軽くかかるようになりました。
往年の北京の朝食は豆浆(豆乳),油条(油揚げパン),酸奶(ヨーグルト)しっかりと頂いても一元もかからずとにかく安かったのですけど
その代わり決められた時間に行かないと容赦なく営業終了になりました。
2. 補足です
1980年代を通してほぼ一貫して人民元は対米ドルや日本円に対してその価値を下げており、日本円の購買力と人民元闇レートの動きなどをトータルで考えると
日本円の購買力上昇は相当なものでした。
その潮目が変わって来たのは1990年代半ば頃からで、もはや闇レートはほとんど存在しなくなり公式レートイコール対円レートとなり
それまでは一万円持って行けば上海や北京で豪遊出来た日本人がだんだん円パワーの衰えを実感するようになりました。
もはや上海でも香港でも昔日の円の強さの面影はありません。
中華料理でも日本料理でもホテル代でも日本の方が安くなったのです。
だからこそコロナ禍前の日本の大都市で中国旅行者の爆買いが成立したのです。
ご参考までに。