「ネットゲリラ」常連の「犬」氏のコメントだが、これは私が自分のブログで何度も言ってきた思想であり、同じ考えの人間が増えているらしいのは心強い。
まあ、何度も書いてきたことだが、改めて考えてみたい。
「犬」氏の書いていることを端的に言えば「経済面は資本主義」「社会福祉は社会主義」で行く、ということになるかと思う。つまり、基本的には経済成長は民間に任せ、政府は国民の福祉政策を行う、となる。これが当たり前の姿だろう。
平等主義が社会主義の思想なら、それは競争の否定であり、社会主義では経済成長は難しいのである。それなら中国はどうなる、と反論されるだろうが、中国は低レベルの経済段階だったから半計画経済でここまで成長できたわけだ。もちろん、企業の暴走を警戒し、止めるあたりは資本主義には無い部分だ。だが、基本的には政府は「目標」を言うだけで、実態経済ではかなり自由放任だろう。現在までは一番うまく行った「資本主義と社会主義の結婚」だと思う。
競争は資本主義社会の根本原理だが、これが多くの社会悪を生み出すことは言うまでもない。政府や法による抑制が無いと、それは「カネのためなら人でも殺す」社会になるのが当たり前なのである。モラルに反すれば反するほど競争に勝てる、というのが「競争原理主義者」が決して言わないことだ。それは組織でも同じである。競争原理主義とは究極的には「相手を殺しても勝つ」という主義なのである。
つまり、資本主義は人間の「悪のエネルギー」を利用するからこそ強大化できるわけだ。それに政府が加担したら地獄の社会になるしかないだろう。それが現在の米国であり日本だ。
それに対して、社会主義には「成長のエネルギー」は無い。成長のエネルギーとは「欲望のエネルギー」でもあるのである。自分の欲望を抑えて、他人と幸福を分け合うという思想には欲望のエネルギーが存在しないわけだ。だから、ほとんどの人、特に若者は「自分にはこの思想は無理だ」となる。他人を蹴落として自分が上に行くことこそ、若者を惹き付けるのである。
まあ、中年老年になっても、他人から収奪して自分(やその仲間)だけが安楽に贅沢に暮らすことが嬉しい、というのはサイコパスだろうが、若いころはやはり「あれも欲しいこれも欲しい」「自分は上に立ちたい」という欲望を持つのが普通だろう。そして、資本主義社会ではカネこそが最高神なのである。
「悪のエネルギー」「欲望のエネルギー」は、自己愛という人間の最強の本能と結びついている。だからこの上なく強力なわけだ。しかし、繰り返すが、それを全肯定すると闘争の社会・野獣の社会になるしかない。法や倫理はそういう野獣性への歯止めであり、社会主義は社会全体を倫理化する思想と言ってもいい。まあ、倫理は「禁止の体系」だから、ある種の人間には「ロックじゃねえ!」と嫌われるだろうが。
共産主義と資本主義はそれぞれの長所を採り入れてハイブリッドで運用すればいい。
競争・成長・株式会社・拝金は資本主義の思想、平等・所得の再分配・年金・医療保険・セーフティネットは社会主義・共産主義の思想。どっちかを信奉して偏るのは良くない。
「共産主義の脅威があ~」を未だに唱える奴はそれ言っておカネ貰える奴以外は無教養・無知。
「犬」氏の書いていることを端的に言えば「経済面は資本主義」「社会福祉は社会主義」で行く、ということになるかと思う。つまり、基本的には経済成長は民間に任せ、政府は国民の福祉政策を行う、となる。これが当たり前の姿だろう。
平等主義が社会主義の思想なら、それは競争の否定であり、社会主義では経済成長は難しいのである。それなら中国はどうなる、と反論されるだろうが、中国は低レベルの経済段階だったから半計画経済でここまで成長できたわけだ。もちろん、企業の暴走を警戒し、止めるあたりは資本主義には無い部分だ。だが、基本的には政府は「目標」を言うだけで、実態経済ではかなり自由放任だろう。現在までは一番うまく行った「資本主義と社会主義の結婚」だと思う。
競争は資本主義社会の根本原理だが、これが多くの社会悪を生み出すことは言うまでもない。政府や法による抑制が無いと、それは「カネのためなら人でも殺す」社会になるのが当たり前なのである。モラルに反すれば反するほど競争に勝てる、というのが「競争原理主義者」が決して言わないことだ。それは組織でも同じである。競争原理主義とは究極的には「相手を殺しても勝つ」という主義なのである。
つまり、資本主義は人間の「悪のエネルギー」を利用するからこそ強大化できるわけだ。それに政府が加担したら地獄の社会になるしかないだろう。それが現在の米国であり日本だ。
それに対して、社会主義には「成長のエネルギー」は無い。成長のエネルギーとは「欲望のエネルギー」でもあるのである。自分の欲望を抑えて、他人と幸福を分け合うという思想には欲望のエネルギーが存在しないわけだ。だから、ほとんどの人、特に若者は「自分にはこの思想は無理だ」となる。他人を蹴落として自分が上に行くことこそ、若者を惹き付けるのである。
まあ、中年老年になっても、他人から収奪して自分(やその仲間)だけが安楽に贅沢に暮らすことが嬉しい、というのはサイコパスだろうが、若いころはやはり「あれも欲しいこれも欲しい」「自分は上に立ちたい」という欲望を持つのが普通だろう。そして、資本主義社会ではカネこそが最高神なのである。
「悪のエネルギー」「欲望のエネルギー」は、自己愛という人間の最強の本能と結びついている。だからこの上なく強力なわけだ。しかし、繰り返すが、それを全肯定すると闘争の社会・野獣の社会になるしかない。法や倫理はそういう野獣性への歯止めであり、社会主義は社会全体を倫理化する思想と言ってもいい。まあ、倫理は「禁止の体系」だから、ある種の人間には「ロックじゃねえ!」と嫌われるだろうが。
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