福島原発事故処理にかかる膨大な費用を捻出するために(もちろん、その金は東電への援助であり、東電幹部や社員の給与やボーナスも含む。)日本政府は戦争ですべてを一挙に解決する案を粛々と推し進めつつあるが、それと並行して、あらゆる「(権力者にとっての)ムダな費用」つまり、一般国民へのサービスや福祉を切り詰め、あらゆる増税を実施している。
下の記事は、そういう政治情勢と直接の関係は無いように見えるが、「自力で働けない人間は生きていけない世界」という、残酷極まる今の日本の状況をよく示している事件だと思う。
私が裁判官なら、この母親は無罪だ、とする。
罪があるのは、こうした状況を作り出した政治である。
(以下引用)
息子の介護、私が死んだら誰が 87歳母殺人予備罪
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静岡市駿河区の海沿いに延びる自転車道。昨年11月、車椅子に乗っていた55歳の男性が焼死した。87歳の母親が、持参した灯油に火を付けた。「息子が1人で残ると困る。無理心中した方がいいと、前から思っていた」。殺人予備罪に問われた裁判で、そう答えた母親に今月中旬、静岡地裁は執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。
法廷で、母親は障害のある息子を介護する日々を語った。息子は10年にわたって入退院を繰り返した末に一昨年5月、静岡市内の介護施設に入所した。
「施設の人に迷惑が掛かるから」。母親は1人で暮らすアパートから毎日、洗濯物を持ってバスを乗り換えながら片道1時間半、息子の元を訪ねた。
顔を見せると、うれしがった。「息子は花屋に勤めていて、花が好きだった。花を持っていくと喜んだ。それを見て、自分もうれしかった」。好物の菓子やパン。ねだられれば、何でも買い与えた。
◇年金頼り、体力衰え
経済的には追い詰められていた。家を売り、定期預金もほぼ底をつき、事件当時は年金頼り。体の衰えも顕著だった。
海沿いの自転車道を、2人はたびたび散歩していたという。事件後、献身的な介護の様子を知る地元住民は「どうしてあの母親が」と驚いた。一方で、民生委員や地域包括支援センターの職員は「自分に代わって息子の介護を周囲がしてくれるだろうか」と母親が漏らすのを聞いていた。
◇強い愛情、募る不安
強い愛情が大きな使命になってのし掛かったのでは、とみる人もいた。母親はこうも話していたという。「息子の思いをかなえることは私にしかできない。息子より先に死ぬことさえ、私には許されない」
判決言い渡しの時、耳の不自由な母親には判決要旨が手渡された。「長男を殺そうとしたことは正しかったと思っているなどと述べ…反省をしているかについては疑問と言わざるを得ない…」。裁判官の朗読に合わせ、母親の小さな声が廷内に響いた。
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