「この世界の片隅に」の、玉音放送(私は「ぎょくいん」と読んでいたが、それだと変換されないようだ。「ぎょくおん」が正しいのか。)の場面で、すずさんが、「ここまで戦ったのに、なぜ最後まで(国民全員が死ぬまで)戦わないのだ」(セリフはこの通りではない)と叫ぶ場面は、おそらく多くの若い観客の理解を超えていたのではないかと思う。
しかし、それこそが当時の国民のかなりな部分の心情だったのではないか。それまで犠牲にしたものが大きければ大きいほど、「ここでやめたらこれまでのすべてが無意味になる。犠牲になった人たちに済まない」という気持ちである。戦争というのはそういうものである。戦争を計算づくで始めたりやめたりすることができるという人間が、甘い気持ちで戦争を始めるのである。
しかし、それこそが当時の国民のかなりな部分の心情だったのではないか。それまで犠牲にしたものが大きければ大きいほど、「ここでやめたらこれまでのすべてが無意味になる。犠牲になった人たちに済まない」という気持ちである。戦争というのはそういうものである。戦争を計算づくで始めたりやめたりすることができるという人間が、甘い気持ちで戦争を始めるのである。
著者の蜂谷自身、この徹底抗戦の叫びに「私も彼らのいうように徹底的に戦って」国に殉じるべきであると考えた旨を述べ、「降伏の一語は全市壊滅の大爆撃より遥かに大きなショックであった」と記している。
蜂谷道彦の『ヒロシマ日記』は原爆投下から敗戦に至る日々を綴った、市井の医師の体験記だが、八月十五日の玉音放送を聞いた被曝患者が、勝手にハシゴを外された怒りからか、次々に徹底抗戦を主張し始めるという、恐ろしい場面が有る。
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