「宋文州のメルマガ」から記事と読者コメントを転載。
コメントの中にはかなり右寄りの人のものが多く、私なら、これらの汚らわしい屁理屈コメントを読むだけでもうんざりしてメルマガを閉鎖したくなりそうだが、宋さんは取捨せずにすべて(だと思う)載せているのは偉い。
宋さんが言う通り、
日中戦争は日本軍国主義によって起こされた侵略戦争で中国に甚大な被害をもたらしただけではなく、日本国民も被害者だ
であるが、「軍国主義」というものは実は一種の幻影でしかないのでは、とも思う。つまり、被害者が日中両国民だ、という点には同意するが、加害者が「軍国主義」という、ただの「思想」であるとしてしまうと、真の犯罪者・戦争責任者の姿が見えなくなってしまうのではないだろうか。
実際には、戦争は「戦争で利益を得る者」が企図するものであり、軍人などはその手駒にすぎないと私は思っている。そういう意味では「軍国主義」は幻影だ、と考えるわけだ。
すなわち、近現代のどの戦争でも、主犯(教唆犯が主犯であり、従犯、つまり実行犯は政治家と軍人。)は「経済人」である、と私は考えている。この考えは御自身も経済人である宋さんには嫌われそうだが、戦争は「経済行為」であると考えないと、真の理解はできなくなると思う。つまり、一部の人間が利益を得るために、国民のほとんどに膨大な被害を与える行為、というのが戦争の真実だろう。
尖閣諸島がどうこう、というのは「戦争を起こすため」の口実でしかないのであり、実際は「戦争による膨大な消費需要」が戦争の目的だ、と私は考えている。今の日本なら、ほかにも、戦争でフクシマを有耶無耶にする、という他の目的もあるだろう。
なお、軍人も「戦争による利益の享受者」である、と言うと不思議に思う人がいるかもしれないが、戦争で実際に死ぬのは幹部軍人ではない。幹部軍人にとっては、戦争は自分の存在価値を最大に高めるものなのである。高位の軍人は最前線になど行きはしない。富裕層の子弟も徴兵されることはない。したがって、戦争で利益を得る層と被害を受ける層は画然と分かれているのである。
そういう意味では、宋さんが言うように戦争を煽る者に対し、「お前が戦争に行け」というのは圧倒的に正しく、これ以上に戦争推進者を黙らせる言葉は無いのである。
(以下引用)
コメントの中にはかなり右寄りの人のものが多く、私なら、これらの汚らわしい屁理屈コメントを読むだけでもうんざりしてメルマガを閉鎖したくなりそうだが、宋さんは取捨せずにすべて(だと思う)載せているのは偉い。
宋さんが言う通り、
日中戦争は日本軍国主義によって起こされた侵略戦争で中国に甚大な被害をもたらしただけではなく、日本国民も被害者だ
であるが、「軍国主義」というものは実は一種の幻影でしかないのでは、とも思う。つまり、被害者が日中両国民だ、という点には同意するが、加害者が「軍国主義」という、ただの「思想」であるとしてしまうと、真の犯罪者・戦争責任者の姿が見えなくなってしまうのではないだろうか。
実際には、戦争は「戦争で利益を得る者」が企図するものであり、軍人などはその手駒にすぎないと私は思っている。そういう意味では「軍国主義」は幻影だ、と考えるわけだ。
すなわち、近現代のどの戦争でも、主犯(教唆犯が主犯であり、従犯、つまり実行犯は政治家と軍人。)は「経済人」である、と私は考えている。この考えは御自身も経済人である宋さんには嫌われそうだが、戦争は「経済行為」であると考えないと、真の理解はできなくなると思う。つまり、一部の人間が利益を得るために、国民のほとんどに膨大な被害を与える行為、というのが戦争の真実だろう。
尖閣諸島がどうこう、というのは「戦争を起こすため」の口実でしかないのであり、実際は「戦争による膨大な消費需要」が戦争の目的だ、と私は考えている。今の日本なら、ほかにも、戦争でフクシマを有耶無耶にする、という他の目的もあるだろう。
なお、軍人も「戦争による利益の享受者」である、と言うと不思議に思う人がいるかもしれないが、戦争で実際に死ぬのは幹部軍人ではない。幹部軍人にとっては、戦争は自分の存在価値を最大に高めるものなのである。高位の軍人は最前線になど行きはしない。富裕層の子弟も徴兵されることはない。したがって、戦争で利益を得る層と被害を受ける層は画然と分かれているのである。
そういう意味では、宋さんが言うように戦争を煽る者に対し、「お前が戦争に行け」というのは圧倒的に正しく、これ以上に戦争推進者を黙らせる言葉は無いのである。
(以下引用)
日本が侵略戦争したのではない
中国人に「日本は中国を侵略した」と面と向かって言われると私にも辛いものがあります。なぜならば戦前でも戦争したい日本人は滅多にいないことを知っているからです。妻の両親の二人の祖父は赤紙で呼ばれて戦争に行きました。どこでどう死んだかは未だに不詳です。徴兵に応じないと憲兵が来るし、当時の日本社会では生きていけないのです。
しかし、海外の人に「日本が侵略」と言われると、多くの日本人は辛いでしょう。戦争や侵略が嫌いな自分が「侵略した」と言われた気分になるからです。
では外国人、特に中国人が「日本が侵略戦争をした」と言う時は、どういう中身を意味するでしょうか。
中国人は小さい時から日中戦争は日本軍国主義によって起こされた侵略戦争で中国に甚大な被害をもたらしただけではなく、日本国民も被害者だと教えられてきました。これは日本への報復禁止を呼び掛ける当時の蒋介石政府の声明にも、毛沢東政府の日中国交回復の声明にも、はっきりと書いてあります。つまり、「日本の侵略」は「日本軍国主義の侵略」を意味するのです。
軍国主義による被害の数字に見解の相違があれば、日本政府は客観的に中国政府に指摘すればよいのですが、日本政治家が「虐殺がなかった」と言い出すと、「歴史否定」と思われてもおかしくないはずです。特に国会の場で「侵略戦争に定義がない」とか村山談話を見直すとか宣言する国の代表がいれば、外交の場で「講和の契約をちゃんと守ってくださいよ」と言われるのは当然です。
このことを極右の方々が中国の「反日教育」と言うのは見当違いです。中国には日本軍国主義に反対する教育があります。旧日本軍を悪く描く映画やドラマもあります。しかし、戦後の日本や日本国民のことを悪く描く教科書や映画や番組などを私は見たことがありません。日本のマスコミのほうが中国のマイナス情報に熱心です。
私の中国側の親戚や友人は、私の日本人親戚や友人に向かって「日本は中国を侵略した」と言いませんし、思い付かないのです。相手のことを信頼している上、国民が同じ戦争被害者である自覚を持っているからです。しかし、未だに戦争を起こしたい人が日本に居ることも事実です。
先日、フジテレビの「みんなのニュース」に出て「日本はまた戦争するか」という討論に参加しました。100歳のむのさんの「当時殆どの国民は戦争を心配し、行きたくなかった。今のように思ったことが言えないからどんどん戦争にはまっていった」との回想に触発されて、私は以下の発言をしました。
「日本がまた戦争するかとの問い方に違和感を覚える。戦争したい国などない。しかし、戦争したい人は未だにいる。石原先生はカメラの前で『今の野望はシナと戦争して勝つことだ』と言いました。」
その場に居た石原慎太郎さんはさすが自分の前言を否定できず、苦笑いしながら「私は何も中国と事を構えるつもりは・・・しかし、尖閣はどう思うか」と話を逸らそうとしました。
私は「戦争を起こす人は戦争に行かない。自分の子供も行かない。石原先生はこの御年だから戦争に行く訳がない。戦争を起こしておしまい。」と言った時、むのさんが石原さんに向かって大声で言いました。
「そうだそうだ。石原、戦争に行って来い、行って来い。」
そうなんです。戦争をしたいのは国家ではなく人間です。戦争を避ける一番の方法は戦争したい人同士が戦争に行けばよいのです。戦争したくない人を巻き込まないでほしいのです。そして戦争したくない人の名誉も汚さないでほしいのです。
しかし、海外の人に「日本が侵略」と言われると、多くの日本人は辛いでしょう。戦争や侵略が嫌いな自分が「侵略した」と言われた気分になるからです。
では外国人、特に中国人が「日本が侵略戦争をした」と言う時は、どういう中身を意味するでしょうか。
中国人は小さい時から日中戦争は日本軍国主義によって起こされた侵略戦争で中国に甚大な被害をもたらしただけではなく、日本国民も被害者だと教えられてきました。これは日本への報復禁止を呼び掛ける当時の蒋介石政府の声明にも、毛沢東政府の日中国交回復の声明にも、はっきりと書いてあります。つまり、「日本の侵略」は「日本軍国主義の侵略」を意味するのです。
軍国主義による被害の数字に見解の相違があれば、日本政府は客観的に中国政府に指摘すればよいのですが、日本政治家が「虐殺がなかった」と言い出すと、「歴史否定」と思われてもおかしくないはずです。特に国会の場で「侵略戦争に定義がない」とか村山談話を見直すとか宣言する国の代表がいれば、外交の場で「講和の契約をちゃんと守ってくださいよ」と言われるのは当然です。
このことを極右の方々が中国の「反日教育」と言うのは見当違いです。中国には日本軍国主義に反対する教育があります。旧日本軍を悪く描く映画やドラマもあります。しかし、戦後の日本や日本国民のことを悪く描く教科書や映画や番組などを私は見たことがありません。日本のマスコミのほうが中国のマイナス情報に熱心です。
私の中国側の親戚や友人は、私の日本人親戚や友人に向かって「日本は中国を侵略した」と言いませんし、思い付かないのです。相手のことを信頼している上、国民が同じ戦争被害者である自覚を持っているからです。しかし、未だに戦争を起こしたい人が日本に居ることも事実です。
先日、フジテレビの「みんなのニュース」に出て「日本はまた戦争するか」という討論に参加しました。100歳のむのさんの「当時殆どの国民は戦争を心配し、行きたくなかった。今のように思ったことが言えないからどんどん戦争にはまっていった」との回想に触発されて、私は以下の発言をしました。
「日本がまた戦争するかとの問い方に違和感を覚える。戦争したい国などない。しかし、戦争したい人は未だにいる。石原先生はカメラの前で『今の野望はシナと戦争して勝つことだ』と言いました。」
その場に居た石原慎太郎さんはさすが自分の前言を否定できず、苦笑いしながら「私は何も中国と事を構えるつもりは・・・しかし、尖閣はどう思うか」と話を逸らそうとしました。
私は「戦争を起こす人は戦争に行かない。自分の子供も行かない。石原先生はこの御年だから戦争に行く訳がない。戦争を起こしておしまい。」と言った時、むのさんが石原さんに向かって大声で言いました。
「そうだそうだ。石原、戦争に行って来い、行って来い。」
そうなんです。戦争をしたいのは国家ではなく人間です。戦争を避ける一番の方法は戦争したい人同士が戦争に行けばよいのです。戦争したくない人を巻き込まないでほしいのです。そして戦争したくない人の名誉も汚さないでほしいのです。
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石原発言にしたって、前々から「戦争」という単語が出てきているわけではないでしょう。
(単に石原氏の態度はいささか問題があると思います)
戦後から中国と日本がどのような経緯で国交が正常化になり、何から現在のような情勢が不安定化になった経緯を難しく考えず、一般的にみれば国を預かる一国の代表がこれ以上、引けなくなってしまっている様な状況を引出したのかは一目瞭然のはずです。
この点をいつも外してしまっては、この論点は的外れになりますので、勉強してほしいものです。
宋さんがおっしゃるように「戦争を始める人は戦争に行かない人」であり、これは世界中あらゆる国で共通でしょう。
私は、日本は間違いなく中国やアジア各国を侵略したと思っていますが、一方でアメリカやイギリス・フランスなどのやってきた事も時には日本以上にひどいことをしてきたのですが、直近の大戦での勝敗によって片や徹底的に責められ、一方はそれほどでもない・・・その現実を多くの日本人・・・特に戦後生まれの日本人が受け止めきれないことが昨今の右傾化の原因なのではないかとも思っています。
それでも近隣国を侵略したという事実は、何十年経っても日本は忘れるべきではないし、それが故に平和国家をめざすべきだと思います。
一方で、これはお願いするしかないのですが、中国や韓国には勝者の情けというか、大国になった余裕を見せて頂きたいとも願っています。
確かに宋さんが言われるように、中国の反日ドラマは戦争当時のものばかりですが、日本人の私が見ていても日本人を憎く思ってしまうほどうまく制作されているものもありますしね(笑)
その頃の日本の状況を見ると、軍部を中心にした独走も当たっているでしょう。
所が、現在の状況を見ると、中国はどの様でしょうか?中国の軍隊は、実は共産党の軍隊であって、国家の軍隊ではないのです。日本も、戦前は軍隊の統帥権は天皇に属し、これを利用して軍部は暴走出来たのです。
中国軍が海上で砲撃用のレーダー照射を行ったりしたのはおそらく軍か共産党の暴走でしょう。共産党が中国国家の上にあって、国を指導する体制は、戦前の日本の天皇と日本国政府の関係にそっくりです。
この様に、日本の戦前の体制に良く似た中国が何を始めるかを心配するのは当然でしょう。日本も中国共産党が何をするのか心配で、色々準備をせざるを得ないのです。少し前まで、日本は沖縄にはF4ファントムと言う古い戦闘機を配置して中国を刺激しないように配慮をしてきましたが、今はそのような訳にはいかず、最新機を配置しています。日本人も、日本の政府も中国関係を重視してきたのですが、中国共産党の指導方針に脅威を覚えて、遅まきながらの準備に入っただけです。
戦前の日本の失敗を、中国が繰り返さないことを期待したいですね。
非難しているのは軍国主義だけで、日本人を悪く言ってはいないというのは屁理屈、あるいは宋さんの嫌いなはずの「建前」に過ぎません。人間の性として、そんなに割り切って捉えることなどできないのです。
きれいごとは止めましょうよ。日本が中国を侵略したのは事実なのだから、歴史上の事実としてありのままに伝えれば良いと思います。重慶の爆撃も、毒ガスも、人体実験も。ただ、
①ウソ、誇大広告は止めてください。南京虐殺はあったとは思いますが、4ヶ月で30万人殺したというのはどう考えてもおかしいでしょう。東京大空襲、広島、長崎の原爆投下後の写真をご覧になったことがあると思いますが、30万人はその合計に匹敵する人数です。それをどうやって人力で実現するというのでしょう。また、記念館には明らかに別の場所、別の時期の写真が証拠として展示されていると聞きます。こういうことをやっている限り、わだかまりが解けることはないでしょう。また、
②他国の批判だけでなく、自国がやったことも、きちんと伝えてください。文革、チベットでの虐殺、宋さんも熱心なウィグルへの差別。二次大戦に勝ったの米国のおかげ、なおかつそのときの政権は国民党、等々。
ついでに言っておくと、「戦後の日本や日本国民のことを悪く描く教科書や映画や番組などを私は見たことがありません」とありますが、我々はまさにそれに当てはまる宋さんの言動を見ていますから、信じろと言われても無理です。
「石原、戦争に行って来い、行って来い」と石原慎太郎に言ってくださり、ありがとうございます。多くの日本人が私のように拍手喝采していると思います。
でも、日本の政治家の中には「若手勉強会」などと称して次々と第二第三の石原慎太郎を生み出していることも事実です。
ビジネスマンでも日本青年会議所などが積極的に極右の若者を育てています。
日本の政治と企業の構造的な闇なので、私は日本はまた戦争すると思います。
私の考えは、戦争は自らの主張や他から侵略に対して身を守りたい・自らの幸福を守りたいとの思いから最後の手段として人がやってしまうのではないかと私は思います。個人では、話し合いから暴力に訴えて解決を図ろうとしますが、国家間の問題は戦争となる。単に戦争をしたい人はいない。戦争はしたい人が自らやればいいの論調には違和感を感じます。
やはり、戦争を解決策にしなければならなくなるような世の中にしないよう、自国の主張ばかりでなく・他国のことも思いやって、自己主張や自己保身のみで、他国とのトラブルを顧みないで国を指導していく指導者が出ないことを、国民としてしっかり監視していくことが大切だと思います。その意味で、中国・日本双方の政治指導者・世論を左右するマスコミの今のありようについて危惧しているところです。
いち日本人として思うのは、大日本帝国が軍国主義体制下で、中国大陸に領土拡大を推進した国策は、当時の欧米の植民地政策をお手本にしたものでしょう。
アジアに覇権を展開して列強に追いつけで、自分もそのバスに乗ろう、自分だけがやっている訳ではない、という意識が正当性をもたらしたかもしれません。
時空を超えた理屈は、「当事者には当事者の正当性がある」と言うことでしょうか。
日本人として言わせてもらえるなら、
「アヘン戦争を起こした英国の行為は、侵略ではなかったのか?」
「清国が欧米列強と結んだ条約は不平等条約ではなかったか?それは欧米列強の侵略政策ではなかったか?」
などなど、日本の軍国主義による侵略を問題視するなら、それに先行した欧米の行為についても、「中国」を実効支配している「中華人民共和国」政権の評価も聞きたい。
石原慎太郎氏のことを取り上げてますが、彼の政治信条、言動も問題ですが、それ以上に、彼に踊らされる人々、また、それを利用する影みたいな存在が問題ですよね。
中国政府が、A級戦犯を合祀する靖国神社への国の指導者の参拝を問題視するのも、その陰みたいな存在に対する牽制球ではないでしょうか。
「漁夫の利」と言う諺がありますが、日中が過去の歴史から学び、より豊かな世界を相互協力で目指そうとしない方が、都合が良い影の存在があるのでしょうか?
戦争の商業的価値を考えてこなかったような気がします
かつてのあの戦争も誰か儲けるためにだけやりたかった戦争なんです
そう言う企業や官僚政治家に対し責任を問うてこなかったし
上に逆らうのが怖い臆病者だからうやむやで無かった事にしてしまった
原発事故見てもそんな感じですね
民衆が足を引っ張り合って結束できない情けない国だから今も同じ間違いを繰り返している
昭和初期の若手将校のテロの後、政治的決定の場面において、「こんな決定をすると若手将校が反乱を起こす」という脅し文句があった。
昭和初期、日本は軍事政権だった。
議会政治は機能していなかった。
そういう意味で、当時の職業軍人の責任は重いが、当時の新聞もテロを徹底非難しなかった。また、関東大震災や、世界恐慌による不景気などで、当時の日本は貧乏だった。
満州などを新天地として、貧乏からの脱出の希望として とらえてた人も多い。
満州をとった軍部をサポートする論調は、こういった貧困が背景にある。
そういった意味で、軍部だけの責任とは言い切れない。当時、植民地獲得による貧困解決にNoと言えなかった当時の大人たちの責任はあると思う。
現政権も それらの出来事を否定しているわけではないと思う。
彼が東京都知事のとき、都で尖閣を購入しようとしました。その当時の発言だったと思いますが、そこで衝突があっても、自衛隊は練度が違うから負けることはないと。
その発言を聞いた私は唖然としました。確かにあなたの言う通りになるかも知れない。しかし、10年後20年後の経済力や軍事力の差がどれくらいになっているのか想像してごらんなさい。
一民間人ならともかく、国会議員まで経験した政治家が、紛争や戦争を避けるために政治や外交に努めるのが国益に対する仕事でしょう。
この方、自分の好悪だけでいま現在のことしか考えられないのではないかと思っております。
いい年をして、自分の孫やその子の世代に平和な国家が続くよう考えてほしいものです。
ところで、他の方が周恩来さんのことを書かれていますが、私も日中国交回復の時に周首相が「私たちには両国間の問題をすべて解決・合意するだけの知恵はなかった。残された問題の解決は次の世代の知恵に託したい」としてまずは国交正常化に取り組む意思決定をされたとのコメントに接し、深い感銘を受けました。
宋さんはこのメールマガジンを通じて、できるだけ真実・真相を伝え、その中からより正しい理解、より正しい解決を他の人とたちと共に見出していきたいと考えておられるのではないかと思います。
琉球や蝦夷を蹂躙した和国やチベット問題、アヘン戦争や盧溝橋事件に端を発する支那事変、そして南沙進出…。それはそうだけど、ではこれはどうなるのと、対立軸で事象を見るのではなく、我々が真に希求しているのは何なのか、どうすればそれが実現できるのか、我々は何をすればいいのかをこの場を通じて議論・共有していければと思います。それは周恩来さんが我々、次の世代に託された思いに応えることに繋がると理解しています。
宋メールが末永く続くことを願っています。
当時の日本は主権者は天皇一人であり、国民はすべて臣民で上御一人に逆らえる臣民はいないはずと思っていました。統帥権を有する昭和天皇はすべての責任があると。つい最近まで思っていました。
ところが、今回の安保法案の経緯を目の当たりして主権者である自分を含む日本国民の7割が疑問に思う法案が通過しようとしています。「安倍政治を許さない」と玄関に掲げたものの自分の無力さに愕然としました。昭和天皇も三国同盟や日米開戦には懐疑的だったという説もあながちウソではなく、統帥権の干犯をした臣民がいたということになります。
憲法をこうも簡単に干犯する一人の総理をいただく主権者は後世の世代から非難されないためにはどうすれば良いのか苦慮しています。
これは貴国のことなどにかまっていられない重大事です。
小生のいつものコメントからもお判りでしょうが、小生は極右とは思っていませんが右寄りの人間です。今般の宋さんのコラムもそうですが、リベラル派を自認される方々あるいは朝日・毎日等に代表されるジャーナリズムでは、「極右=戦争をしたい人」と決め付けておられます。そして安部首相をその「極右」とすべく、現在の代表的な右派である石原慎太郎氏を引き合いに出し、安部首相も石原氏と同様の「戦争をしたい人」だとの決め付けをされています。
このような決め付けこそ、確たる実証もなく「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行等をまことしやかに創り上げるものではないでしょうか。安部首相が答弁やコメントで「戦争をすべき」と言ったことがあるでしょうか?
「極左」の代表である北朝鮮は、イスラム過激派と共に、「戦争をしたい人」に牛耳られていますよね。今の中国共産党政府は、国際的に中国領土とは認められていない南沙諸島を、国際的非難をも意に介さず埋め立て飛行場等の軍事転用可能施設を次々に建設していますよね。2015年度の中国国防費予算は、4年連続で2桁の伸びの約17兆円です。ロシアのプーチン大統領は、「北方領土は戦争によって獲得したものだからロシアのもの」と公言し、武力によってクリミアを併合しました。
むしろ「極左=戦争をしたい人」の図式ではありませんか。
「今、なぜ安保法案なのか」という論調もありますが、このように、日本をとりまく共産党国家、とりわけ中国共産党政府による力ずくでの「核心的利益」の確保に猛進する姿に脅威を覚えるからです。
「石原、戦争に行け!」という言葉を情緒的に利用されておられますが、拍手喝采された方々は中国共産党政府が言う「尖閣諸島は中国の核心的利益」にも賛意を示されるのでしょうか?
最後にもう一度、私は右派の人間ですが「戦争」は嫌いです。