現実は複雑だが、真理はいたってシンプルなものである。
それは北極星のごとく人々に指針を示す。
北に行きたい人は、北極星に向かって進めばよいのだし、南に行きたい人は、その反対を行けばよい。
多くの人々は、方角を確認せずに、ひどい場合は自分がどこへ行きたいのかも決めずに進もうとする。
それも風流といえば風流だが、短い人生、のんびりしすぎてもどうかと思う。
きょうは、「1%を簡単に滅ぼす方法」を考えてみる。
核のボタンを押せば早いが、すると99%も滅びるかもしれず、生き延びれば、また同じことの繰り返し…
さて、それではどうする…?
こういうことを考えるのは、問題の根本や構造を理解するのに役立つ。
1%を滅ぼすのに刃物はいらない。
所有権を撤廃、違法にすればよい。
1%が世界の富の50%を所有できるのは、国や社会が「所有権」を認めているからである。
土地の所有という観念のなかったハワイに欧米人が進出したとき、安く土地を購入して現地住民を追い出してしまった。
侵略に軍隊は必ずしも必要ない。所有権を保護する法体系を持ち込めばよいだけなのである。
所有権を保護する法体系があれば、それをカネで買えるようになるし、それを担保にカネを借りられるようにもなる。
土地に所有権を認めることで、それを”市場原理”に引きずり込むことができる。
あらゆるものに所有権を認めれば、あらゆるものが市場原理の対象となり、カネで解決できる事案となるのである。
国や地方行政にしても、所有者が特定していることは都合がいい。
なぜなら、所有者に課税できるからである。
太閤検地だって課税するためにやったことである。この土地ならいくら課税しても大丈夫かということを検地で見極めるためである。
土地にせよ、クルマにせよ、所有物に課税するということは、それらの財物が個人のモノではなく、国のモノであるのと同じことだ。アパートや駐車場のオーナーが家賃、駐車料金といって徴収するのと同じだ。
下手すりゃ、そのうち「著作物」にも課税してくるやもしれないwww
人は、「欲しいモノが手に入る」ことが「自由」だと思っているし、所有物が多いほど「豊か」だとも思っている。しかし、所有物は課税対象、市場原理の対象となることで、人を支配するツールとなるのである。
「金持ち父さん、貧乏父さん」でロバート・キヨサキ氏は、「人々は持ち家を”資産”と思っているが”負債”である」と述べている。
「”負債”を買うことは”投資”とは言わない。だが、人々は家を買うことを”投資”だと思っている」として、人々の無知を嘆いている。
”資産”とは、キャッシュフローを自分にもたらすものだ…とキヨサキ氏は言う。
つまり、クルマや持ち家を、人々は「自分の資産」と思っているが、この観点から見れば”負債”なのである。それらは課税する国家やローンの返済を受ける業者にとっての「資産」なのである。
ついでにその先で、キヨサキ氏は金持ちになる方法をシンプルに説く。
「”負債”を減らして、”資産”を増やすことだ」と。
ここに人々が「おカネに支配され、ラットレースに引きずり込まれていく」カラクリが示されている。
ネットで「ユダヤ陰謀論」などでおなじみの「おカネの仕組み」「支配の仕組み」は、彼が大衆向けにわかりやすく説明した内容の”受け売り”のようにすらみえる。
「ユダヤ陰謀論」を読んでも、金持ちになれるためのヒントには出会わないかもしれないが、キヨサキ氏の著作なら出会えるかもしれないwww
ともあれ、現実世界では、所有物を通して国民は、国家や商人に”支配”されている…つまり、自由を奪われている。
たとえば、ローンの支払いのために月に何時間か余分に働かなくてはならないといった形でだ。
そして実際、所有権はグローバルな問題を引き起こしている。
アメリカは農産物輸出国としても世界一だが、それは「合理的経営」によって支えられている。
もともと原住民の土地だったものを殺したり、追い出したりして、最後は金持ちが安く広大な土地を占有してトウモロコシだのなんだのを作る。
すると、それは価格が安いから、輸出先の農業を潰してしまう。
輸出先の国は農産物を自給できなくなってますますアメリカに依存することになってしまう。
こういうのを「効率化」だのなんだのと賛美して「自由貿易」を推奨しているバカタリアンがネットにもいて”小さな政府”などと寝言を唱えているのだが、これで日本の経済がどうして強くなると信じていられるのか不思議である。
「自由貿易」というのは、経済に名を借りた戦争、侵略であり、立場の弱い側は国富を相手国に吸い取られてしまう。
アメリカでは、もう十分土地を私有してしまったので、次は中東やアフリカで人を殺したり、追い出したりして広大な土地を私有し、「合理的」な経営で「自由競争」を仕掛けて、もっと市場を独占してしまおうと、資本家たちは考えているわけだ。
「自由競争」はアメリカのようなテロ国家、侵略国家に有利である。
いっぱい人を殺し、難民にして追い出すほど広大な土地を安く私有できて「合理化」しやすい。
さらに、経済を破壊してあるので現地住民はハングリーであり、安くこき使えるからである。
日本は、アメリカの「対テロ戦」という名の侵略戦争に加担する気十分なのだが、日本は経済的にますます不利になる。
それではと、米英並みに侵略を堂々とやるようになれば、イスラムの憎悪を引き受けることになるだろう。
こうしたグローバルな問題は、所有権を認めることで生じている。
所有によって、富が形成されるとはいうのだが、その分、他の誰かが実は泣いているのである。
所有は、富を作ると同時に、貧困もつくっている。
それが、公正な富の分配と言えるのかどうか…
経済学をいい加減にしか勉強してこなかった自由経済論者に、勉強のし直しを強く求めたい。
君たちは、何を学んだつもりでいたのかと…
君たちがやってきたのは、宗教ではなかったかと…
但し、現実問題、明日から所有権はすべて違法にしますなんてことをすると混乱が生じる。
まずは、人権に所有権が優先する今日の事態を改めることから始めるべきであろう。
そもそも、所有権にまつわる事案は、民事でなるべく解決すべきもので、著作権法などは、刑事の民事不介入原則を侵している。
だいたい売買が成立したら所有権は移動するものなのに、著作権は売った側がなお権利を主張することができる。売買のルールを侵しているともいえる。
しかも、著作物とは人の思想なども含む。
そんなものを「売買」したり、「所有」したり「支配」することは許されることなのだろうか?
こういう微妙なものであるから、ご都合主義での運用は控えてもらいたい。
「所有」ということは、万人に開放され、分け与えられるのとは逆向きの方向になる。
また所有権は、モノを通して人を支配する道具として行使されている…
よって、これを無暗に拡大させれば、人は自由と財産の両方を失うことになるだろう。
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