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徽宗皇帝のブログ

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改憲の本丸は9条と25条の空無化
「世に倦む日々」の年頭の記事の末尾だが、ここに転載したのは、「憲法25条(人権規定)は平等主義と社会主義だ」という言葉が、社会主義の本質をとらえている、と思うからである。それ以外のほとんどの人間は社会主義と共産主義を同じものと思っている。「世に倦む日々」氏が言っていることは、私が前々から言っているのと同じことだ。
「憲法25条(人権規定)は社会主義だ」と言明されて、「それなら憲法25条を廃止しよう」となるのは、キチガイ高市その他の「日本会議」グループ、つまり「改憲勢力」だけだろう。逆に言えば、彼らが「人権などというのは存在しない」とする(したがる)のは、国家権力、より厳密には政府権力の最大化を図るためであり、いわば上級国民以外の全国民の奴隷化を目論むものである。要するに、日本会議は日本版DSであり、改憲運動は日本版グレートリセットである。日本国民、特に下級国民は人権を失っても平気なのか。改憲に賛成するか否かのポイントはそこにある。
私は岸田総理を「安倍・菅政権のキチガイ政治を正気に戻した」として高く評価するが、彼が本気で改憲を推進するなら、断固として反岸田に回るつもりだ。彼が憲法9条を改定して軍国化を進めるなら、原爆被災地である岸田の故郷広島への最大の裏切りになるだろう。


(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。


年頭に当たっての抱負として、今年も憲法9条と憲法25条をテーマにしてブログを書いていきたい。この二つの価値を大切にする気持ちを中心に据え、この二つの理念を松明として掲げて、誰も書けない濃い中身を書いてゆきたい。丸山真男のラディカルな民主主義を基礎に措き、そこから議論を展開して独自の視点を提供したい。どれほど異端とされ、主流から石を投げられても、その柱は崩さぬよう心がけたい。志位和夫が南京大虐殺の日に北京五輪ボイコット要求を表明したことを、誰も批判しなかったが私は批判した。

この意見の投擲は、誰からも意義を認められてないけれど、歴史に残ることだと確信している。憲法9条とは、平和主義であり、72年の日中共同声明と95年の村山談話の精神である。憲法25条とは、平等主義と社会主義であり、再分配の経世済民である。中間層と地方の復活蘇生である。憲法9条と憲法25条、ラディカルな民主主義、戦後民主主義の思想は、今では誰も目を向けない廃墟となり、無価値化されて侮辱される雑草の如き像になっている。ジェンダー、マイノリティ、LGBT、の多様性主義の荘厳な新神殿の外に打ち棄てられている。


他人が捨てたものを拾う。戦後民主主義への感謝の気分が私にはあり、恩返ししなくてはという思いが強い。その思いを胸に<職業としてのブログ>にあらたに挑戦する。謹賀新年、今年もよろしくお願いします。

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