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徽宗皇帝のブログ

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敵に対する寛容という愚
沖縄が米軍施政下にあるころ、祖国復帰を訴える運動を批判して、「沖縄が日本に復帰したら沖縄は再び『芋と裸足』の生活に戻る」と主張する一派があった。ご想像どおり、米軍施政下で利権を握っていた連中の主張である。そして、その連中は沖縄の祖国復帰が実現すると、素知らぬ顔で沖縄の政治の中心部分(つまり日本政府と自民党)に取り入って、再び利権を手に入れた。そして、祖国復帰運動の中心を担った沖縄の教師たちは、「あいつらはアカだ」「日教組支配が沖縄の低学力の原因だ」として陰に陽に排除されていった。
日本における労働運動も同じである。労働運動のおかげで労働者はさまざまな福祉を得、生活を向上させてきた。だが、労働者たちは労働運動に感謝するどころか、毛嫌いし、それが衰退するままにしてきた。その結果が現在の格差社会、下層に沈むと二度と浮かびあがれない階級社会である。

我々が手に入れたものは、先人たちの苦難の戦いの結果である。労働者の権利のために戦った人々がいて、我々の8時間労働や週に1日か2日の休日の権利、不当に解雇されない権利があるのである。労働運動とは社会主義運動でもある。にもかかわらず、社会主義の何たるかも知らず、「働かない者にも給料をよこせというのが社会主義なんだろう?」「社会主義者や共産主義者は、徒党を組んで、給与アップを要求するヤクザ連中だ」などという程度の理解で社会主義を批判する連中があまりに多い。
社会主義運動とは社会改善運動であり、労働者の権利と生活を守る運動なのである。そのどこに批判されるべきものがあるか。まして、労働者自身が社会主義を批判するなど逆立ちした考えである。自分は経営者にでもなったつもりか。経団連のメンバーにでもなったつもりか。

我々は先人の労苦に対して、あまりに恩知らずであった。我々が現在、このような「残酷な資本主義」の日本社会に生きていくしかないのも、自業自得なのである。東日本大震災や福島原発事故の被害者への経済界や政府の冷淡・残酷な対応に今更驚くほうがおかしいというものだろう。

「マスコミに載らない海外記事」から、アメリカにおける労働者の権利の衰退についてのクリス・ヘッジスの文章の一部を転載する。
敵に対する寛容ほどの愚行は無い。昔の人は「宋襄の仁」という言葉でそれを簡潔に表していた。弱者が、自らを迫害する強者に対して寛容であるのは、少しも立派なことではないのである。それはたいていは恐怖と保身と打算から来る偽善である。


(以下引用)


カール・ポパーが“開かれた社会とその敵”で書いた通り“もしも、不寛容な連中にまで、無限に寛容的な対応をしてしまえば、不寛容な連中による猛攻撃に対し、寛容な社会を我々は守るのだという覚悟がない限りは、寛容な人々が粉砕され、それとともに寛容さも粉砕される。”ことを、リベラル・クラスは忘却していたのだ。


残虐な殴打、社宅や仕事からの大量排除、長期ストライキ、労組幹部の標的暗殺や、雇われ殺し屋ガンマンや州民兵との武力闘争を味わうことによって、この国の労働者達は、権利の代償を支払ってきた。ロックフェラー家、メロン家、カーネギー家やモルガン家は、当時のコッホ兄弟会社、ゴールドマン・サックスや、ウォルマートなのだ。連中は労働者のことなど全く気にしていなかった。彼等が気にしていたのは利益だけだった。一日8時間労働、最低賃金、社会保障、年金、仕事場の安全、有給休暇、退職金や健康保険は、何十万人もの労働者が、資本主義の搾取制度と物理的に戦ってくれたおかげで実現したのだ。彼等は“マザー”ジョーンズや、合同アメリカ炭鉱労働者組合委員長ジョン・L・ルイスや、“ビッグ”ビル・ヘイウッドや、彼の世界産業労働者組合員達や、社会主義者の大統領候補者ユージン・V. デブス等急進派の人々の下に結集していた。


ルイスは語っている。“自由人には、それを持つ資格がある権利を要求して、施し物を乞う貧弱な托鉢僧の震え声でなく、大軍の隊長の雷鳴のような怒鳴り声で、説教壇や演壇で、私は諸君の言い分を主張してきた。”


こうした権利を獲得するために戦った人々は、大変な苦難、痛み、貧困に耐え抜いた。我々中流階級の生活を可能にし、アメリカの民主主義を切り開いてくれたのは彼等だ。エリートは、暴漢や、犯罪的な民兵を雇って、ストライキ中の炭鉱夫を社宅から強制退去させたり、結成間もない労働組合に潜入させたり、組合幹部やシンパと目される人々を殺害したりした。労働者の反乱を鎮圧し、妨害する為、連邦保安官、州民兵、保安官代理、時には、軍の兵隊までもが、裁判所や立法府と並んで、繰り返し利用された。1887年、ルイジアナ州ティボドーでは、ストライキをした砂糖きび労働者達が射殺された。1892年に、ペンシルバニア州ホームステッドで、鉄鋼労働者が射殺された。1894年のプルマン・ストライキの鉄道労働者が虐殺された。1914年、コロラド州ルドローと、1920年、ウエスト・バージニア州メイトワンでは、炭鉱労働者が虐殺された。アメリカ国民の自由と権利は、彼等の勇気と血によって贖われたのだ。


体制から意図的に締め出された人々が、自らの体を危険にさらして、公正を要求したおかげで、アメリカの民主主義が生まれたのだ。貧しい人々と労働者階級を、この国の権力制度から締め出すというのは意図的なものだった。建国の父達は、民衆による民主主義を深く恐れていた。彼等は最初から、エリートが有利になるよう、制度を不正に改変していたが、それも公教育では、ひどく歪曲され、商業マスコミが、本当の歴史を、神話によって巧みに置き換えてしまった。ゴミゴミしたスラムからアメリカに逃れてきたヨーロッパの貧困層や、17世紀、18世紀の救貧院の人々は、特権階層の人々からは、利用するための商品と見なされていた。奴隷、先住アメリカ人、年季契約奉公人、女性や資産の無い男性は、憲法制定会議に代表を出せなかった。アメリカ史というものは、ハワード・ジンが“民衆のアメリカ史”で、明らかにした通り、主流から取り残された人々や、権利を剥奪された人々による、尊厳と自由を求める一つの長い戦いだ。戦った人々は資本主義本来の残酷さを理解していた。

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