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徽宗皇帝のブログ

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新国富論 2
2 (通貨量=国富)というテーゼについて

 最初に述べたように、国富には様々な形がある。しかし、世の中が貨幣経済をとっている以上、通貨量こそが国富なのである。いくら物を持っていても、それを金に換えない限り、我々は自分に必要なものを手に入れることはできず、生活できない。すなわち、貨幣経済下では物ではなく金が現実的な富なのである。
 そして、一国内の富の量は国内の全通貨量である。これは奇妙に聞こえるだろう。前に書いた通り、それならば、日銀なり政府なりが紙幣を大量に発行するだけで国富を簡単に増大できることになるではないか。そんな馬鹿な話はない。
 もちろん、ここにはからくりがある。それは、現代の経済は世界経済の中にあるということである。個人と個人の間に商取引と金の流通があるように、国家と国家との間にも商取引と金の流通がある。ある国の通貨発行量が適正でないと、国家間の商取引に大きな不都合が生じることはわかるだろう。たとえば、ある取引で日本人がアメリカ人に1ドル=100円のレートで売ったのに、決済時に1ドル=80円になったら、20円の損になるわけだ。(そのドルをアメリカで使うなら話は別だが、物ではなく現金が欲しいなら、この20円の差は大きい。輸出入業者が為替レートに神経をとがらせる所以である。)しかし、一国の通貨発行量は、隠そうと思えば隠せるのである。実際、米国はある時期から通貨発行量を公表していない。というのは、それが恐るべき量になっているからだろうと容易に推測できることである。そして、通貨発行量が不明である以上、貿易相手国はその水増しされたドルを受け取るしかないのである。本当なら、ドルの価値はどんどん低落して、アメリカは大インフレになっていてもいいのだが、ドルが世界の機軸通貨であるために、ドルの暴落はまだ起こっていない。
 アメリカは、こうしていくらでもドルを印刷して、それと引き替えに日本円を手にいれることができる。要するに、紙にいたずら書きで「ドル」と書いたものを本物のお金と換えるようなものである。
 もちろん、そのドルは、本物のお金でもあるから、それで米国内の物を買うことはできる。だが、日本人がアメリカで買いたいものがあるだろうか。土地なら価値がありそうだが、治安が悪く、社会福祉も最低なアメリカに住みたい人間は多くはないだろう。つまり、日本は、貿易黒字が米国債に変わる形で、日本から日本円をどんどん流出させているだけなのである。
 ならば、日本もどんどん日本円を印刷すればいい、ということになる。
 実際にそうするとどうなるか。これまでは、少なくとも、日本円には実質的な価値があったが、その価値はどんどん低下していくことになる。ここでは話を簡単にするためにアメリカと日本の二国間貿易をモデルとして話をするが、日本までもアメリカに対抗して円を無節操に印刷し始めると、お互いにインフレになっていくしかないのではないか。
実はそうでもないのである。
前に書いたように、日本国内で流通すべき1400兆円の金のうち、700兆円が米国債の形で塩漬けになっている。その分の通貨不足のために、これまで日本はデフレ状態だったのである。すなわち、米国に流れた分の700兆円を印刷しても、日本はインフレにはならない。
これが、一国内だけの経済と国際経済との相違であり、私が最初に言った「からくり」である。

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