副島隆彦の「学問道場」の重たい掲示板の投稿のひとつだが、かなりしっかりした内容である。ただ、主に引用している対談者が池上彰と佐藤優という右寄りの人間なので、眉に唾をつけて慎重に読む必要はある。
(以下引用)
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[3260]我々が正しく左翼を理解しないかぎり政権交代の気運など盛り上がるはずがない | 投稿者:六城雅敦 | 投稿日:2021-10-06 20:08:17 | ||
真説日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 池上彰 佐藤優 講談社現代新書 2021/5 真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 (講談社現代新書) 自分を含め、<支持政党>がないという方はぜひお読みください。田舎の書店でも平置きされているのでとても売れているのでしょう。 与野党の本質(本音)が池上彰氏と佐藤優氏の対談で詳らかになっています。 ただし、池上彰氏、佐藤優氏ともに反共産党と日本共産党からは見られている人ですから、やっぱり著者の立ち位置でそれなりのバイアスがかかっているとして読むのが正しいです。 以下、書評ではなく、学生運動がなんであったのかもよく理解していない愚にも付かないできそこないの”感想文”です。 ■左翼とリベラルは対立する概念 (抜粋はじめ) このように序章からして、いまの日本において左翼という言葉自体が、これからの世界の潮流とは異なりその本質までも大きく曲解されていることへの佐藤氏の危惧感が伝わります。現に自民党の反対勢力が左翼であるかのような幼稚な論理だけがネットに蔓延り、「右翼/左翼」という政治スタンスを正しく理解していないのです。 とは言っても自分も新左翼とよばれた60年安保に対する学生運動は、ノスタルジーな古色蒼然という響きで、いくら「血を流すほどの激しい闘いがあった」と力説されても、すべてが他人事のように感じておりました。 しかし、本書によって左翼と1960年代の学生運動の主体である新左翼へのつながり、そして戦後に政党として認知された共産党と社会党の違いはなんであるのか(根本が大きく違う)が理解できるわけです。 そして本書で佐藤優氏が若い世代(これから社会を担うであろう40代以下の世代)が共産党が<密かに抱え続けるレーニン主義>に取り込まれることへの危惧を執筆の動機として明白に述べています。 レーニン主義とは何かというと、一言で言えば「暴力と粛正」です。だから軍事力や核兵器は共産党では自分たちが所有し実行することは善である。ソ連(当時)の所有する核兵器は正義の核兵器なのだという欺瞞に満ちたもの。 共産党の欺瞞の最たるものは、終戦直後に徳田球一委員長が占領した連合軍を「解放軍」として讃え、当時のソビエトのスターリン独裁体制を賛美したことでしょう。 さらに既存権力を打倒するには敵の敵は味方という論理で中国共産党ととても相性がよい。 ■共産党と社会党という二大左翼政党のおさらい まず、なぜこのような投稿をしようと思い立ったのかという理由を述べます。 この前の東京都議会選挙(2021/7/4)で菅政権に対して抗議の意志を示すために、共産党候補者に投票したという人が少なからず身の回りにいました。 プロレタリーアート(労働階層)とは対極な富裕層やある程度の社会的成功を収めた層が(一時的にせよ)共産党支持を広言することに驚いたからです。 とくにコロナ対策では及び腰な後手後手の対策をする自民党の対極として共産党ととらえる人が意外と多いのです。 しかし自民党以上にアメリカ、中国、ロシアへの面従が強く、全政党では群を抜いた国家統制を標榜する共産党にはリベラル(個人自由主義)の片鱗など一片もありません。 与党である自民党+公明党への対立軸ではなく、野党においては一層の権力集中と武闘を善とする傾向が強いのが共産党であると言えます。 だからこそ急いで過去の左翼(と広く認知されている)政党の系譜を再確認しておく必要がある。 (抜粋はじめ) 社民党の衆参一議席とは沖縄選出の照屋寛徳(沖縄2区)と福島瑞穂(全国比例)です。(沖縄の選挙区では共産党と立憲民主党も衆議院に1議席のみです) 共産党は戦後すぐの47年にはマッカーサーの指示を受入れてゼネラルストライキ(2・1スト)の中止を決めて労働運動からは一線を画すようになり、50年以降はコミンフォルムから平和革命路線を批判されたことで一部が武力闘争に走り、党内は分裂していった。 一方の社会党は朝鮮戦争、そして米ソ東西冷戦という時代背景で、日本もその戦いに巻き込まれる危機感から「全面講和、中立堅持、軍事基地反対、再軍備反対」の平和四原則を打出し、過激さが増す共産党よりもマルクス主義的な社会党左派に支持が集まるようになっていく。1955年には自民党は社会主義革命が起きる危機感から、自由党と民主党が合併し自由民主党ができあがります。 ■社会党の向坂逸郎が本領発揮した三井三池炭鉱の労働争議 1953年(昭和28年)、1959年(34年)と1960年(35年)のストライキが社会党の絶頂期で、支持母体である日本労働組合総評議会(総評)も左傾化していく。 福岡県大牟田市にあった三井三池炭鉱は現在、三井化学という会社となっており、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が官営の炭鉱を払い下げてもらったのが三井三池炭鉱です。 石炭は製鉄にも不可欠であり、蒸し焼きで得られる化学物質から化学工業が生まれました。 渋沢栄一が最初に作った化学製品は藍色の化学染料です。渋沢の生家は藍玉を商っていたからです。 ■フルシチョフのスターリン批判とハンガリー動乱 社会党が各労働組合を束ねる大所帯となり、60年安保闘争の頃には、スターリン死後(1953)のフルシチョフによるスターリン批判(1956)が、また同年にはハンガリーへのソ連軍事介入が共産党シンパの大量離脱を招き、社会党へ大量に流入していく。 この結果、トロッキスト聯盟(四トロ)、革命的共産主義者同盟(革共同)、革共同全国委員会(後の中核派)からは日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義者(革マル)といった左翼の新勢力が社会党内で生まれていった。 社会党の党員は過激化する一方で、労働組合という大票田を抱える社会党議員はぬるま湯体質となり、馴合いが過ぎて与党との談合体質に染まっていったと佐藤・池上両氏は批判しています。その後は労働貴族の政党となった社会党は再び離合集散へと流れてゆきます。 ■創共協定(七五年)を結んだ宮本顕治の卓越した指導力 この本の最後の方には共産党の宮本顕治(1908-2007)と池田大作との交流を佐藤優氏は「必要と見れば創価学会とも手を取り合える宮本顕治という傑出した指導者がもし出ていなければ、共産党がここまで拡大することはなかったのは間違いありません」と太字で述べています。 1991年ソ連崩壊という共産主義大国の大団円となっても、宮本は強い指導力を発揮して『日本共産党』の党名を守り抜いたということ。 ソ連崩壊を赤旗紙上で<歓迎する>と一面で打ち上げ、ゴルバチョフを悪者・裏切り者として斬り捨てて(アンドロポプとチェルネンコは賛美して)アクロバティックに政党の存在理由の崩壊を切り抜けたということ。 一方で東西冷戦の終焉で混乱したのが社会党で、93年非自民連立政権(村山富市政権)でガタガタと骨抜きされていきます。骨抜きされた骨は何かというと、マルクス主義の放棄(と村山富市の自衛隊の容認発言)です。こういったいきさつで一気に日本中の左派からの失望落胆を買い、支持を急速に失ったのはご存じの通りです。 68年頃の学生運動と70年安保の中核派と革マル派による内ゲバ、連合赤軍の重大事件などを中心池上彰・佐藤優両氏の対談はさらに続編として続くようです。 あとがきで佐藤優氏は (抜粋始め) 富が東京に集中する傾向は今後、一層拡大するであろう。東京は、富裕層と中間階級上層(世帯所得2000万円以上)に人々と、人でなくてはできない仕事に従事するエッセンシャルワーカーや低賃金のサービス業に従事する人々に二極化してゆくだろう。 特に東京では教育格差が拡大していくと思う。日本では大学院上の教育を受けて修士号を持ち、外国に留学し、博士号を取得したビジネスパーソンや高級官僚が増えてくる。この人たちは日本語だけではなく、英語と中国語を流暢に操るであろう。高度な知的訓練を受けていることが、富裕層や中間階級上層に加わる条件になってくるだろう。 他方、大学を出ても、自らの専門知や技能を仕事に生かすことができない高学歴ワーキングプアも少なからず出てくる。地方経済は別の生態系を持つ。(以下略) (抜粋終わり) とあります。富裕な中間階級ではない残りの80%(つまり読んでいる我々)の選択次第というメッセージと受取りました。 |
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