好記事である。
(以下引用)
電通や東芝といった大企業が、「軍隊化」してしまうワケ
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ITmedia ビジネスONLiNE
10月7日、電通の新入社員の女性が「過労自殺」だったとして労災認定された。また、政府はこの日の閣議で「過労死等防止対策白書(2016年版)」を決定、これを受けて「残業100時間くらいで自殺なんて情けない」とコメントし、批判に晒(さら)されていた武蔵野大学の長谷川秀夫教授が自身のFacebookに謝罪文を出した。
「不快な思いをさせてしまい申しわけございません」というお詫びの言葉の後、今回の問題の根幹をなす一文があったので引用させていただこう。
『とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました』(長谷川教授のfacebookより)
既に話題となっているように、長谷川教授は、MBAホルダーのビジネスエリート。東芝で23年間、経理一筋で勤め上げた後、コーエーのCFO(最高財務責任者)にヘッドハンティングされ、ニトリの取締役も歴任した「プロのCFO」(日経金融新聞 2003年9月29日)として知られている。ご自身が語る「とてもつらい長時間労働の経験」というのは、おそらく東芝時代のことだろう。
『米商務省による二度の反ダンピング訴訟では調査・資料作成を担当して勝訴に貢献、米国の赤字子会社に上級副社長兼CFOとして赴任した際は一年で黒字化させた実績もある。プロとしての自負は強い』(同上)
こういう会社員人生を歩んできた人が、「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きているのか分からなくなって笑けてくるな」(女性社員のツイート)というSOSを目にしても、単にプロ意識が欠如した「甘え」にしか映らない。「これだから最近の若いのは」というオジさん世代の憤りが、死者にムチ打つ「失言」につながった、というのは容易に想像できよう。
ただ、一方で、長谷川教授のように「大企業の社員として成功したオジさん」が、こういう思想に執着していることこそが、今回の女性社員のような「犠牲者」を生み出す原因になっている、という現実も忘れてはいけない。
●逃げ出す若者は「情けない」
長谷川教授の主張の根っこにある考え方というのは、分かりやすく言えばこうなる。
「我々も若いときは長時間労働やらきつい目にあってきたんだから、今の若い人たちもちょっとくらいの辛さで泣き言を言うな」
これは特にユニークな考えではなく、企業の中で長く生きてきた上の世代からすれば、「常識」ともいうか、かなりベーシックな仕事に対する考え方だ。「辛い体験」を経て成功をした企業人は、若い世代にも自分と同じような体験が必要だという考えにとりつかれる。だから、そこから逃げ出す若者は、「情けない」となる。
このような「オレができたことをお前ら若い連中はなぜできぬ」的思想が、特に際立って強い企業が、新入社員に富士山登頂をさせるなどコテコテの体育会系文化をもつ電通だ。
『部長「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」 わたし「充血もだめなの?」』(女性社員のツイート)
これを見て、「想像を絶するブラック企業だな」と驚愕(きょうがく)される方も多いだろうが、電通で家族や友人が働いている人からすれば、「そんなもんでしょ」という反応ではないだろうか。「朝まで接待で飲んでゲロ吐いて、家に帰ってシャワー浴びてすぐプレゼン」なんてのは電通マンでは日常風景であり、「寝てない」「休みをとっていない」なんてグチは、「お疲れさまです」のように社内あいさつ化している。
想像してほしい。そのような地獄のような日々を乗り越えて一人前の「電通マン」となった人が、髪ボサボサで眠そうにしている新人を見たらどういう感情がわきあがるか。「オレの新入社員時代はもっとひどかったぞ」「会社で働くことが甘くないってことを身体でわからせてやる」と「指導」がさらに厳しくエスカレートしていくのではないか。
つまり、長谷川教授や電通の部長たちなど企業人たちが固執する「オレができたことをお前らはなぜできぬ」的思想が、女性社員に対する周囲の精神的なハラスメントを引き起こした可能性があるのだ。
●ハラスメントにつながる思想
では、なぜ電通や東芝という立派な大企業に、在籍する人たちがそろいもそろって、こういうハラスメントにつながる思想に囚(とら)われてしまうのか。
いろいろな意見があるだろうが、個人的には、大企業に限らず、日本の組織の多くが、戦時体制下の組織を引きずっているからではないかと思っている。
そのあたりをシティグループ証券の藤田勉副会長が非常に端的に説明しているので、引用させていただく。
『戦時体制の影響は、今もなお、広範囲に残っている。所得税の源泉徴収、地方交付税、国民皆保険、厚生年金、9電力体制、経団連、新幹線も、戦時中にその原型ができた。同様に、年功序列、終身雇用制、系列・下請、メインバンク、天下り、行政指導のルーツは、すべて戦時体制である。戦後できた日本的経営の要因は、株主持合いのみである。それほど、戦時体制を出発点とする日本的経営は根が深いのである』(月刊資本市場 2015年5月)
このように日本社会全体が、戦時体制を引きずる中で、年功序列という組織に入った年次を基にした人事制度、上官の命令は絶対服従、所属組織への強い忠誠心、など旧日本軍の組織文化が、日本企業に引き継がれていったのは決して偶然ではない。「企業戦士」になんの疑問も抱かせず、「経済戦争」に没頭させるには、「軍隊」という戦争のための組織をモデルにするのが、最も理にかなっているからだ。
旧日本軍を真似たのだから当然、旧日本軍と同じ問題が生まれる。その中のひとつが、今回の女性社員が受けたとされる上司からのパワハラだ。
旧日本軍でも、「新兵いじめ」と呼ばれるパワハラが常態化していた。例えば、1944年に学徒出陣で、陸軍北部第178部隊に入った男性は以下のようなパワハラを経験している。
『就寝前、汚れてもいない銃を見て班長が「手入れがなっていない」と激怒。銃床で頭をこづかれ殴られた。新兵同士で殴り合いを強いられたこともある。自尊心を打ち砕くいじめもあった。軍人勅諭を言わされ、間違えた戦友は柱によじ登ってセミのまねをさせられた。「ミーン、ミーン」。今度は「鳴き声が違う」と罵声が飛んだ』(朝日新聞 2014年8月15日)
●サラリーマン社会でもよくある「いじめ」
どうだろう。暴力以外は、現代のサラリーマン社会でもよくある「陰湿ないじめ」ではないか。意味のない仕事を延々とやらされて評価されない。服従をさせるため自尊心をズタズタにする。今回亡くなった女性社員も、徹夜で資料をつくっては上司からダメだしされ、女子力のなさをいじられたりしていたという。
このような話をすると、「オレも確かに新入社員のときに厳しく指導されたが、旧日本軍のいじめのようなものではなかったし、むしろあれがあったから今の自分がある」という主張をする人もいるが、こういう論調があること自体が、「日本企業=旧日本軍」を裏付ける証左である。
旧日本軍では「新兵いじめ」のような暴力、パワハラが常態化していたが、当時はそういう見方をする者は少なく、大多数の人たちは暴力やパワハラを「人生修練」の一環ととらえていた。
歴史学者・一ノ瀬俊也氏の『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書)の中では、1933年に千葉県の佐倉の歩兵第五七連隊に入隊した「石川」という上等兵が書いた日記を紹介している。
そこには日々の過酷な訓練などとともに、初年兵たちに行われた「学科」と呼ばれる体罰などの記述があるが、一ノ瀬氏が「牧歌的な明るさ」と評するように、「石川上等兵」の日記からは陰湿なものは感じられないという。これにはさまざまな要素があるが、本書の言葉を借りると、『当時の軍が軍隊教育の過程でさかんに唱えていた〈軍隊=人生の修練道場〉という思考法』が根付いていたことが大きい。
長時間労働やある程度の「しごき」を是とする企業人たちは、「企業=人生の修練道場」だと思い込んでいるふしがある。だから、組織が期待する修練レベルに達しない「新兵」には、「貴様、それでも皇軍兵士か!」という叱責と同様に、「お前、それでも電通マンか!」という厳しい言葉がかけられる。
このように「日本企業=軍隊」と考えてみると、最近多い「不正」も妙に納得できる。
旧日本軍は戦況が悪化していく中で、思うような「戦果」を得られなくなると、大本営発表で被害を過小にして、戦果を過大に報告した。国威高揚という大義名分のもとで、国民にウソをつくという「粉飾」に走ったのだ。
●日本には「希望なき軍隊」が多すぎる
電通が広告主への虚偽報告や過大請求という不正が発覚したのは記憶に新しいが、長谷川教授が23年間人生を捧げた東芝も不正会計問題があった。この2つは、簡単に言ってしまうと、思うような「戦果」を得られなかったことをどうにか取り繕おうという組織ぐるみの「粉飾」である。
旧日本軍をモデルとした日本の大企業に、このような不正が増えているというのは、「敗戦」が色濃くなってきたからではないのか。
先ほど述べた石川上等兵が陸軍にいた1933年は、まだ軍隊には「希望」があった。国際連盟は脱退したものの、満州国も建国されて関東軍もイケイケで、明るい未来を夢想できた。しかし、戦局が悪化して徐々に「希望」が失われていくと、セミの真似をやらされたり、自殺者が出たりと「新兵いじめ」が陰湿になっていった。
長谷川教授が新入社員だった1980年は、辛い長時間労働を乗り越えて会社に貢献をすれば、明るい未来が保証された。有能な人は、長谷川教授のようにヘッドハンティングもされた。そこには1930年代の日本軍のように「希望」があった。
しかし、今の日本企業はどうなのか。電通や東芝というそこに在籍するだけで「希望」を抱くことができた組織が、相次いで「戦果」を偽ったことが意味することは大きい。
電通の女性社員は、亡くなるおよそ10日前、こんなつぶやきをした。
『死にたいと思いながらこんなにストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか』
今の日本には「希望なき軍隊」が多すぎる。彼女のような苦しみに直面した方は、一刻も早くその場から逃げ出してほしい。
(窪田順生)
(以下引用)
電通や東芝といった大企業が、「軍隊化」してしまうワケ
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ITmedia ビジネスONLiNE
10月7日、電通の新入社員の女性が「過労自殺」だったとして労災認定された。また、政府はこの日の閣議で「過労死等防止対策白書(2016年版)」を決定、これを受けて「残業100時間くらいで自殺なんて情けない」とコメントし、批判に晒(さら)されていた武蔵野大学の長谷川秀夫教授が自身のFacebookに謝罪文を出した。
「不快な思いをさせてしまい申しわけございません」というお詫びの言葉の後、今回の問題の根幹をなす一文があったので引用させていただこう。
『とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました』(長谷川教授のfacebookより)
既に話題となっているように、長谷川教授は、MBAホルダーのビジネスエリート。東芝で23年間、経理一筋で勤め上げた後、コーエーのCFO(最高財務責任者)にヘッドハンティングされ、ニトリの取締役も歴任した「プロのCFO」(日経金融新聞 2003年9月29日)として知られている。ご自身が語る「とてもつらい長時間労働の経験」というのは、おそらく東芝時代のことだろう。
『米商務省による二度の反ダンピング訴訟では調査・資料作成を担当して勝訴に貢献、米国の赤字子会社に上級副社長兼CFOとして赴任した際は一年で黒字化させた実績もある。プロとしての自負は強い』(同上)
こういう会社員人生を歩んできた人が、「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きているのか分からなくなって笑けてくるな」(女性社員のツイート)というSOSを目にしても、単にプロ意識が欠如した「甘え」にしか映らない。「これだから最近の若いのは」というオジさん世代の憤りが、死者にムチ打つ「失言」につながった、というのは容易に想像できよう。
ただ、一方で、長谷川教授のように「大企業の社員として成功したオジさん」が、こういう思想に執着していることこそが、今回の女性社員のような「犠牲者」を生み出す原因になっている、という現実も忘れてはいけない。
●逃げ出す若者は「情けない」
長谷川教授の主張の根っこにある考え方というのは、分かりやすく言えばこうなる。
「我々も若いときは長時間労働やらきつい目にあってきたんだから、今の若い人たちもちょっとくらいの辛さで泣き言を言うな」
これは特にユニークな考えではなく、企業の中で長く生きてきた上の世代からすれば、「常識」ともいうか、かなりベーシックな仕事に対する考え方だ。「辛い体験」を経て成功をした企業人は、若い世代にも自分と同じような体験が必要だという考えにとりつかれる。だから、そこから逃げ出す若者は、「情けない」となる。
このような「オレができたことをお前ら若い連中はなぜできぬ」的思想が、特に際立って強い企業が、新入社員に富士山登頂をさせるなどコテコテの体育会系文化をもつ電通だ。
『部長「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」 わたし「充血もだめなの?」』(女性社員のツイート)
これを見て、「想像を絶するブラック企業だな」と驚愕(きょうがく)される方も多いだろうが、電通で家族や友人が働いている人からすれば、「そんなもんでしょ」という反応ではないだろうか。「朝まで接待で飲んでゲロ吐いて、家に帰ってシャワー浴びてすぐプレゼン」なんてのは電通マンでは日常風景であり、「寝てない」「休みをとっていない」なんてグチは、「お疲れさまです」のように社内あいさつ化している。
想像してほしい。そのような地獄のような日々を乗り越えて一人前の「電通マン」となった人が、髪ボサボサで眠そうにしている新人を見たらどういう感情がわきあがるか。「オレの新入社員時代はもっとひどかったぞ」「会社で働くことが甘くないってことを身体でわからせてやる」と「指導」がさらに厳しくエスカレートしていくのではないか。
つまり、長谷川教授や電通の部長たちなど企業人たちが固執する「オレができたことをお前らはなぜできぬ」的思想が、女性社員に対する周囲の精神的なハラスメントを引き起こした可能性があるのだ。
●ハラスメントにつながる思想
では、なぜ電通や東芝という立派な大企業に、在籍する人たちがそろいもそろって、こういうハラスメントにつながる思想に囚(とら)われてしまうのか。
いろいろな意見があるだろうが、個人的には、大企業に限らず、日本の組織の多くが、戦時体制下の組織を引きずっているからではないかと思っている。
そのあたりをシティグループ証券の藤田勉副会長が非常に端的に説明しているので、引用させていただく。
『戦時体制の影響は、今もなお、広範囲に残っている。所得税の源泉徴収、地方交付税、国民皆保険、厚生年金、9電力体制、経団連、新幹線も、戦時中にその原型ができた。同様に、年功序列、終身雇用制、系列・下請、メインバンク、天下り、行政指導のルーツは、すべて戦時体制である。戦後できた日本的経営の要因は、株主持合いのみである。それほど、戦時体制を出発点とする日本的経営は根が深いのである』(月刊資本市場 2015年5月)
このように日本社会全体が、戦時体制を引きずる中で、年功序列という組織に入った年次を基にした人事制度、上官の命令は絶対服従、所属組織への強い忠誠心、など旧日本軍の組織文化が、日本企業に引き継がれていったのは決して偶然ではない。「企業戦士」になんの疑問も抱かせず、「経済戦争」に没頭させるには、「軍隊」という戦争のための組織をモデルにするのが、最も理にかなっているからだ。
旧日本軍を真似たのだから当然、旧日本軍と同じ問題が生まれる。その中のひとつが、今回の女性社員が受けたとされる上司からのパワハラだ。
旧日本軍でも、「新兵いじめ」と呼ばれるパワハラが常態化していた。例えば、1944年に学徒出陣で、陸軍北部第178部隊に入った男性は以下のようなパワハラを経験している。
『就寝前、汚れてもいない銃を見て班長が「手入れがなっていない」と激怒。銃床で頭をこづかれ殴られた。新兵同士で殴り合いを強いられたこともある。自尊心を打ち砕くいじめもあった。軍人勅諭を言わされ、間違えた戦友は柱によじ登ってセミのまねをさせられた。「ミーン、ミーン」。今度は「鳴き声が違う」と罵声が飛んだ』(朝日新聞 2014年8月15日)
●サラリーマン社会でもよくある「いじめ」
どうだろう。暴力以外は、現代のサラリーマン社会でもよくある「陰湿ないじめ」ではないか。意味のない仕事を延々とやらされて評価されない。服従をさせるため自尊心をズタズタにする。今回亡くなった女性社員も、徹夜で資料をつくっては上司からダメだしされ、女子力のなさをいじられたりしていたという。
このような話をすると、「オレも確かに新入社員のときに厳しく指導されたが、旧日本軍のいじめのようなものではなかったし、むしろあれがあったから今の自分がある」という主張をする人もいるが、こういう論調があること自体が、「日本企業=旧日本軍」を裏付ける証左である。
旧日本軍では「新兵いじめ」のような暴力、パワハラが常態化していたが、当時はそういう見方をする者は少なく、大多数の人たちは暴力やパワハラを「人生修練」の一環ととらえていた。
歴史学者・一ノ瀬俊也氏の『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書)の中では、1933年に千葉県の佐倉の歩兵第五七連隊に入隊した「石川」という上等兵が書いた日記を紹介している。
そこには日々の過酷な訓練などとともに、初年兵たちに行われた「学科」と呼ばれる体罰などの記述があるが、一ノ瀬氏が「牧歌的な明るさ」と評するように、「石川上等兵」の日記からは陰湿なものは感じられないという。これにはさまざまな要素があるが、本書の言葉を借りると、『当時の軍が軍隊教育の過程でさかんに唱えていた〈軍隊=人生の修練道場〉という思考法』が根付いていたことが大きい。
長時間労働やある程度の「しごき」を是とする企業人たちは、「企業=人生の修練道場」だと思い込んでいるふしがある。だから、組織が期待する修練レベルに達しない「新兵」には、「貴様、それでも皇軍兵士か!」という叱責と同様に、「お前、それでも電通マンか!」という厳しい言葉がかけられる。
このように「日本企業=軍隊」と考えてみると、最近多い「不正」も妙に納得できる。
旧日本軍は戦況が悪化していく中で、思うような「戦果」を得られなくなると、大本営発表で被害を過小にして、戦果を過大に報告した。国威高揚という大義名分のもとで、国民にウソをつくという「粉飾」に走ったのだ。
●日本には「希望なき軍隊」が多すぎる
電通が広告主への虚偽報告や過大請求という不正が発覚したのは記憶に新しいが、長谷川教授が23年間人生を捧げた東芝も不正会計問題があった。この2つは、簡単に言ってしまうと、思うような「戦果」を得られなかったことをどうにか取り繕おうという組織ぐるみの「粉飾」である。
旧日本軍をモデルとした日本の大企業に、このような不正が増えているというのは、「敗戦」が色濃くなってきたからではないのか。
先ほど述べた石川上等兵が陸軍にいた1933年は、まだ軍隊には「希望」があった。国際連盟は脱退したものの、満州国も建国されて関東軍もイケイケで、明るい未来を夢想できた。しかし、戦局が悪化して徐々に「希望」が失われていくと、セミの真似をやらされたり、自殺者が出たりと「新兵いじめ」が陰湿になっていった。
長谷川教授が新入社員だった1980年は、辛い長時間労働を乗り越えて会社に貢献をすれば、明るい未来が保証された。有能な人は、長谷川教授のようにヘッドハンティングもされた。そこには1930年代の日本軍のように「希望」があった。
しかし、今の日本企業はどうなのか。電通や東芝というそこに在籍するだけで「希望」を抱くことができた組織が、相次いで「戦果」を偽ったことが意味することは大きい。
電通の女性社員は、亡くなるおよそ10日前、こんなつぶやきをした。
『死にたいと思いながらこんなにストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか』
今の日本には「希望なき軍隊」が多すぎる。彼女のような苦しみに直面した方は、一刻も早くその場から逃げ出してほしい。
(窪田順生)
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