タイトルのとおり新卒で入社したホンダの研究所をたった3年で退職しました。
何故、ホンダを退職したか??
理由は簡単です。
エンジニアとして技術開発に命を懸けて
取り組みたいと考えたからです。
ホンダの待遇はとても良かったです。
(中略)
そんな高待遇でも私はホンダで仕事を続けることはできませんでした。
その理由をこのブログで書いていこうと思います。
私は本田技術研究所栃木(通称HGT)と呼ばれる
ホンダの四輪R&Dセンターに所属してしました。
業務分野は自動車業界で今、最も注目されている先進安全、自動運転に関係する場所でした。
研究所と名前がついているなら
技術開発は当然の仕事なんじゃないか?
そう思われる方も多いかもしれません。
私の所属していた場所ではホンダの社員は
全く技術開発をおこなっていませんでした。
ではどうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっていたか?
実態はサプライヤーと呼ばれる部品メーカーに技術開発を丸投げしておりました。
ホンダのプロパー社員の仕事はサプライヤーの日程管理と部品の不具合が出た時に
サプライヤーを叱責するということが主たる業務でした。
(中略)
研究所に配属されてから管理職から本田宗一郎の理念は最早、亡霊でしかない。
夢や自由という言葉は広告用に使ってるだけ。
勘違いを起こすなよ。と、強く言われました。
ある方からはホンダは技術開発をおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくれば良い。
もし技術が必要になったら人ごと買ってくれば良い。
とも言われました。
じゃあ、ホンダは何をするんですか?
と聞いたらホンダは機能の上流工程をやる。
と伝えられました。
実際の業務を重ねていくと、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、
部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせる仕事が延々続いていくんだと理解しました。
当時、若手だった私の目から見ても
ホンダで技術開発をおこなっていないので、
先輩達、上司の技術力がとても低く絶望したのを良く覚えています。
ある先輩からホンダに技術力は必要ないと面と向かって言われたことも衝撃的でした。
そんなホンダでパワーポイントを延々と作り続けるうち、このままで本当に良いのだろうか?
技術者として全く成長できていない。
パワポの紙芝居とサプライヤーの日程管理・問い合わせを定年まで
延々と続けなければいけない絶望感に襲われました。
こんな環境であるので技術開発をおこないたい新卒・中途のエンジニアは入社数年で大量にホンダから去って行きました。
ホンダ入社3年目のある日、ホンダと決別する決心をしました。
もう今のホンダは私の憧れていたホンダではない。
自らの手で技術開発をおこなわず、技術を買ってくるだけの技術商社と化した
ホンダは私の愛したホンダではない。
(後略)
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