「酔生夢人ブログ」に載せてある「高校生のための『現代世界』」の一章で、政治の基本にあまりに無知な社会人にも必要な内容だと思うので、ここにも載せておく。書いたのは、もう20年以上も前だと思うが、今でも日本人の政治意識はほとんど変わっていない。
文中に日本の戦後政治史の簡略な説明があり、この部分は特に有益だと思う。「連合赤軍事件」はただの馬鹿サヨクの自殺行為だが、それがその後の日本の永久的政治腐敗を作ったのである。その腐敗が加速化したのが小泉以降であり、安倍で腐敗体制が盤石になり、今の岸田で底なし沼化したわけだ。
(以下自己引用)
文中に日本の戦後政治史の簡略な説明があり、この部分は特に有益だと思う。「連合赤軍事件」はただの馬鹿サヨクの自殺行為だが、それがその後の日本の永久的政治腐敗を作ったのである。その腐敗が加速化したのが小泉以降であり、安倍で腐敗体制が盤石になり、今の岸田で底なし沼化したわけだ。
(以下自己引用)
高校生のための「現代世界」政治経済編4
第三章 保守と革新、右翼と左翼
政治用語でよく聞く言葉ですが、あいまいに使われている言葉が、表題の言葉です。
保守とは、現状を維持し続けること、革新は、現状を変えることです。さらに、政治体制や国家体制そのものを変えることを革命と言います。明治維新などは革命です。ただし、一見、革命に見えるものが、権力者同士の権力闘争にすぎないこともあります。中南米での「革命」は、大半がそれで、その背後には世界経済支配層の姿があります。
保守と革新について考える場合、大事なことがあります。それは、「保守とは所有に伴う傾向である」という言葉です。つまり、現状から利益を得ている人間は保守の立場を選び、現状から不利益を得ている人間は革新の立場を選ぶのが当然だということです。
ところが、日本の場合、社会で被差別的な取り扱いを受け、不利益を被っている貧しい人々さえも選挙では保守政党に投票することが多いのです。これらの人間は、「たとえ自分は貧しくても、それは自分が無能なせいであり、この平和な社会に生かしてもらっているだけで有り難い。今のみじめな状態がいつまでも続けばいい」という、神様のような心情の持ち主たちなのでしょう。いじめられることに快感を覚えるマゾヒストかもしれません。それだけ、日本の政治が「うまくいっている」ということなのでしょう。誰にとって?
確かに、日本は豊かな国です。しかし、それは政治家や官僚や企業家たちのおかげではありません。社会の上位にいる人間の能力とは関係なく、日本人全体としての教育水準の高さ、勤勉性、モラルの高さのために日本は経済的発展をしてきたのです。しかも1980年頃までは官僚にもモラルがあって、経済発展の恩恵が勤労者階級にもちゃんと分配されたために国民の生活水準は向上して、「世界で唯一成功した社会主義国家」とさえ皮肉られていたのです。だが、その言葉は実は皮肉でも何でもなく、そのままの意味で正しかったのです。では、社会主義とはいったい何なのでしょうか。それは次の章で扱うことにして、先に保守・革新と同様に定義のあいまいな右翼と左翼という言葉について説明しておきましょう。
左翼とは、急進的な政治的変革を求める立場を言います。共産主義がその代表ですが、社会主義も左翼としている者もいます。
右翼とは、単純に、反左翼の立場です。つまり、現状の社会体制を護持するために暴力を用いてでも左翼を倒そうとする「過激な保守」のことです。左翼の中にも暴力革命を支持する「極左」もいますから、この両者は、ある意味では似たような存在です。
さて、ここで、日本社会の戦後史を少し見てみます。
第二次世界大戦の敗戦で、日本はアメリカ進駐軍に占領され、その指導のもとに戦後社会を作っていきました。日本の政治体制は戦前の天皇制君主国家から、民主主義に変わったわけです。そして、戦前の社会で指導的立場にいた人たちは公職から追放され、その一方で、戦時中は弾圧され、刑務所などに入れられていた共産主義者、社会主義者が解放されたりしました。
しかし、ソ連という社会主義国家が力をつけてくるにつれて、アメリカ本国の資本家たちは共産主義に対し恐怖を覚えるようになり、共産主義との対決を決意して、陰に陽に反共キャンペーンを繰り広げました。アメリカの日本に対する政策も、それを受けて反共的政策が中心になっていきます。その結果、もともと反共思想では米国支配層と一致していた旧日本の政財界の指導者たちは次々と政財界への復帰を果たし、日本の民主化(あるいは社会主義的傾向)にブレーキがかかることになりました。このことを当時、「逆コース」と言いました。旧日本の戦犯であった岸信介が首相になるなど、保守主義が復活し、日本資本主義の擁護グループである右翼と、日本を社会主義、もしくは共産主義国家に変えようとする左翼が激突し、学生運動もさかんになりました。これが60年安保闘争と70年安保闘争です。安保とは日本と米国の軍事同盟である日米安全保障条約のことで、左翼陣営は、それが日本の米国への隷属だとして安保廃棄を訴えたものです。この条約のために日本の中に米軍基地が置かれているのですから、この主張自体はまったく正当だったと言えるでしょう。しかし、安保条約を破棄した後の政治プログラムが不明瞭であったこと、彼らのナルシスティックで現実離れした難解な言葉が大衆に理解できなかったこと、また暴力革命への恐怖などから、こうした左翼運動や学生運動はまったく国民の支持は得られませんでした。(学生運動の代名詞である「全学連」が、資本家から資金援助を受けて活動していたという話を聞くと、当時の騒ぎの中で純粋に自分を犠牲にしていった人々が哀れになります。)
そして、70年代に起こった連合赤軍事件は、日本の政治革新運動に止めをさしました。暴力革命を目指す左翼学生の、仲間同士の残忍な殺し合いを見た国民は、左翼思想そのものに拭い難い嫌悪感を抱き、それは現在でも続いています。
そして、現在、日本の国民は政治変革そのものにまったく希望すら持たないようになっています。いや、考える能力すら失ったかに見えます。そして、日本の政治の歴史も実情も知らずに、大衆扇動的な発言をする連中に動かされてしまう若者が増えています。
今の社会人たちは、年寄りも中年も、日本をこのような社会にしてきた責任があります。その責任とは、国政選挙で真剣な投票行動をしてこなかった責任、棄権してきた責任です。しかし、その原因は、あくまでも日本国民の政治的無知にあり、これは文部官僚やジャーナリストを手足として国民をそのように教育してきた連中の犯罪だと言えるでしょう。
政治用語でよく聞く言葉ですが、あいまいに使われている言葉が、表題の言葉です。
保守とは、現状を維持し続けること、革新は、現状を変えることです。さらに、政治体制や国家体制そのものを変えることを革命と言います。明治維新などは革命です。ただし、一見、革命に見えるものが、権力者同士の権力闘争にすぎないこともあります。中南米での「革命」は、大半がそれで、その背後には世界経済支配層の姿があります。
保守と革新について考える場合、大事なことがあります。それは、「保守とは所有に伴う傾向である」という言葉です。つまり、現状から利益を得ている人間は保守の立場を選び、現状から不利益を得ている人間は革新の立場を選ぶのが当然だということです。
ところが、日本の場合、社会で被差別的な取り扱いを受け、不利益を被っている貧しい人々さえも選挙では保守政党に投票することが多いのです。これらの人間は、「たとえ自分は貧しくても、それは自分が無能なせいであり、この平和な社会に生かしてもらっているだけで有り難い。今のみじめな状態がいつまでも続けばいい」という、神様のような心情の持ち主たちなのでしょう。いじめられることに快感を覚えるマゾヒストかもしれません。それだけ、日本の政治が「うまくいっている」ということなのでしょう。誰にとって?
確かに、日本は豊かな国です。しかし、それは政治家や官僚や企業家たちのおかげではありません。社会の上位にいる人間の能力とは関係なく、日本人全体としての教育水準の高さ、勤勉性、モラルの高さのために日本は経済的発展をしてきたのです。しかも1980年頃までは官僚にもモラルがあって、経済発展の恩恵が勤労者階級にもちゃんと分配されたために国民の生活水準は向上して、「世界で唯一成功した社会主義国家」とさえ皮肉られていたのです。だが、その言葉は実は皮肉でも何でもなく、そのままの意味で正しかったのです。では、社会主義とはいったい何なのでしょうか。それは次の章で扱うことにして、先に保守・革新と同様に定義のあいまいな右翼と左翼という言葉について説明しておきましょう。
左翼とは、急進的な政治的変革を求める立場を言います。共産主義がその代表ですが、社会主義も左翼としている者もいます。
右翼とは、単純に、反左翼の立場です。つまり、現状の社会体制を護持するために暴力を用いてでも左翼を倒そうとする「過激な保守」のことです。左翼の中にも暴力革命を支持する「極左」もいますから、この両者は、ある意味では似たような存在です。
さて、ここで、日本社会の戦後史を少し見てみます。
第二次世界大戦の敗戦で、日本はアメリカ進駐軍に占領され、その指導のもとに戦後社会を作っていきました。日本の政治体制は戦前の天皇制君主国家から、民主主義に変わったわけです。そして、戦前の社会で指導的立場にいた人たちは公職から追放され、その一方で、戦時中は弾圧され、刑務所などに入れられていた共産主義者、社会主義者が解放されたりしました。
しかし、ソ連という社会主義国家が力をつけてくるにつれて、アメリカ本国の資本家たちは共産主義に対し恐怖を覚えるようになり、共産主義との対決を決意して、陰に陽に反共キャンペーンを繰り広げました。アメリカの日本に対する政策も、それを受けて反共的政策が中心になっていきます。その結果、もともと反共思想では米国支配層と一致していた旧日本の政財界の指導者たちは次々と政財界への復帰を果たし、日本の民主化(あるいは社会主義的傾向)にブレーキがかかることになりました。このことを当時、「逆コース」と言いました。旧日本の戦犯であった岸信介が首相になるなど、保守主義が復活し、日本資本主義の擁護グループである右翼と、日本を社会主義、もしくは共産主義国家に変えようとする左翼が激突し、学生運動もさかんになりました。これが60年安保闘争と70年安保闘争です。安保とは日本と米国の軍事同盟である日米安全保障条約のことで、左翼陣営は、それが日本の米国への隷属だとして安保廃棄を訴えたものです。この条約のために日本の中に米軍基地が置かれているのですから、この主張自体はまったく正当だったと言えるでしょう。しかし、安保条約を破棄した後の政治プログラムが不明瞭であったこと、彼らのナルシスティックで現実離れした難解な言葉が大衆に理解できなかったこと、また暴力革命への恐怖などから、こうした左翼運動や学生運動はまったく国民の支持は得られませんでした。(学生運動の代名詞である「全学連」が、資本家から資金援助を受けて活動していたという話を聞くと、当時の騒ぎの中で純粋に自分を犠牲にしていった人々が哀れになります。)
そして、70年代に起こった連合赤軍事件は、日本の政治革新運動に止めをさしました。暴力革命を目指す左翼学生の、仲間同士の残忍な殺し合いを見た国民は、左翼思想そのものに拭い難い嫌悪感を抱き、それは現在でも続いています。
そして、現在、日本の国民は政治変革そのものにまったく希望すら持たないようになっています。いや、考える能力すら失ったかに見えます。そして、日本の政治の歴史も実情も知らずに、大衆扇動的な発言をする連中に動かされてしまう若者が増えています。
今の社会人たちは、年寄りも中年も、日本をこのような社会にしてきた責任があります。その責任とは、国政選挙で真剣な投票行動をしてこなかった責任、棄権してきた責任です。しかし、その原因は、あくまでも日本国民の政治的無知にあり、これは文部官僚やジャーナリストを手足として国民をそのように教育してきた連中の犯罪だと言えるでしょう。
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