今日は仕事の都合でブログを書く暇がなかった。そこで、いくつか見たブログの中で、我が意を得たりという記事を転載してお茶を濁すことにする。まあ、私も同じようなことを考えているのだから、他人のブログの記事を紹介したくなるのは当然だ。自分よりうまく言っているし。
山科恭介氏のブログの転載である。
今回の大災害・国難を機に日本は生まれ変わらねばならないが、その前にこれまでの総括をする必要がある。連合赤軍の「総括」ではないが、日本をこのようにした張本人たちへの死刑判決と、日本人の国民性への深刻な反省がその総括だ。一億総懺悔で悪玉たちを免責にしてはならないが、日本の国民性が変わらないかぎり、日本の再生は不可能だろう。それは、悪に立ち向かう勇気を日本人の一人一人が持てるかということだ。
飯山老人、崖っぷち社長、つむじ風氏、東海アマ氏、ネットゲリラ氏のような勇気を一人一人が持てば、日本は変わってくるだろう。
(以下引用)
日本人はいつもそうだが、直前に自身に降りかかってくる苦痛だけを見て物事を判断してしまう傾向が強く、その苦痛がなければ、何事も無いと過信してしまう。
民族全体における想像力が欠如しており、認識が築かれていないので、人の意見に左右されがちだ。
自分で考えるということに慣れておらず、自分の事を棚に上げて人を批判することは得意だが、自身で新たなるものを創り出すことは、大の苦手だ。
社会にその種の価値を認めない空気が流れ、目の前の利益だけ求めて血相を変える。
そういった民族の性格が、今度の悲劇の根幹にあると思うと居たたまれない。
この度の福島原発事故に急遽間に合わせるように関係各機関が放射線量の規定値を定めているが、日本ではこの事故が起きる前までは、そんなものは存在しておらず、従って、
「暫定」 という文字が付けられている。
これは法治国家である日本が官僚主導により超法規的処置をするときの常套手段だ。
それでも彼らがまともな人間達ならまだしも、国民を 「駒」 と呼ぶような連中達が勝手に設定した数値が如何にインチキで、如何に無責任なものであり、その結果、日本の国民の多くが今後、重大な健康被害を被(こうむ)るかというようなことは、ハナっから、彼らは真剣に考えてはいない。
しかし、自身の危機に際し、その彼らの言に従ってしまうという民族の悲しい性(さが)がある。 それもこれも、すべては 「自立」 しておらず、それを有形無形に放棄してきた国民の側に問題があり、これは権力構造からのマインドコントロールとか、総力を挙げての洗脳とかいう問題とは、関係している事は確かだが、切り離して別途考えねばならない重大な問題だ。
従って現在、やれる事は限られてきており、結局は自衛しかなく、これは、またまた小沢一郎が言うところの 「自立」 へと必然的に繋がってくるだろう。
小沢が行政のトップに立っていないにも関わらず、降って沸いたように我々はこの度の震災を経て、原発事故に遭遇し、「官僚主導体制の打破」 を痛感し、そして、「自立」 の必要性を否応なく課せられている。
これらは小沢が言うまでもなく、至極当然のことなのだが、日本の国民は全くそれに慣れておらず、戸惑っているようだ。
赤ん坊じゃないんだから、自分で考えろ。(笑)
しかも、政府、官僚(地方自治体を含む各行政機関及び原子力安全保安院等)、東電、マスコミが情報統制を敷き、本当に正しい情報を開示していない。
この理由は簡単で、パニックを畏れているからだが、このまま事態が解決の方向に向かえばまだしも、もし逆に破綻の方向、つまり福島原発がフルメルトダウン、もしくはそれに準ずるような状況になり、大量に放射能が空中に拡散し、その結果、首都圏の人々に避難を呼び掛けるような事態になれば、彼ら政治家、官僚が思っていた以上に深刻な状況になるだろう。
その段階で、畏れていたパニックは避けられず、しかも、国民の怒りの刃は彼らに向けられる事は必定だからだ。
だが、ここに来ても尚、彼らは国民を洗脳しようとしている。
この洗脳状態は、世の中が無事で治まればということを前提にしているが、福島原発はどうもそうはならないような気がする。
それは、テレビに出て 「安心」 を売り物にしている御用学者と言われている連中達とは違って、原発開発に携わった本当の専門家が警鐘を鳴らしている事からも十分推測が可能だ。
もしそうなら、御用学者どもは殺人者、あるいは、未必の故意による殺人を犯した者と呼ばれてしかるべきだ。
原子炉冷却系に 「閉鎖回路」 が設定されない限り、この 「核」 との戦いは、いつかは負けてしまう。今後、益々海洋汚染が続き、魚に限らず農作物も広範囲に放射能汚染され、関東地方は人の住めない場所になる可能性が高く、事態は人々が思っている以上に、とてつもなく悲観的なのだ。
だが一番やっかいなのは、放射能は近くで中性子線等の被曝を受けない限り、即死しないということで、この悲劇は、数年から数十年かけて、ゆっくり国民に襲いかかってくる。
その段階で福島原発事故による放射能が原因だとは、特定されないだろう。
結局は、国民が自分でその責任を取らねばならなくなる。
しかも、さらに困った事は、この事が食物を通して日本国全土に行き渡ってしまうという事であり、海洋汚染を通して、全世界の人達にまで放射能汚染の影響を及ぼしてしまうという事だ。
今後、至る所で、日本国政府への損害賠償請求が起こるだろう。
日本の農作物に限らず、食料品全般にわたって、輸入制限を課す国は増え続けるだろう。
それは、食料品の枠を超えて、日本製品全般に及ぶだろう。
まさしく、国家の一大事だ。
このまま行くと財政再建など夢物語となり、日本経済は破綻する。
日本経済が潰れれば、我々の生活も連鎖反応的に潰れる。
元々、潰れかかっていたにも関わらず、天災と人災がさらに拍車をかけた。
そして、その元凶は何かと考えると、
結局は、日本人の 「心の卑しさ」 なのだろうと、言わざるを得ない。
「カネに目が眩む」 という言葉が日本には昔からあるが、今の日本は正にこれで、
近代日本の建設の際して、我々は置き去りにし、忘れてきた 「何か」 があったのである。
山科恭介氏のブログの転載である。
今回の大災害・国難を機に日本は生まれ変わらねばならないが、その前にこれまでの総括をする必要がある。連合赤軍の「総括」ではないが、日本をこのようにした張本人たちへの死刑判決と、日本人の国民性への深刻な反省がその総括だ。一億総懺悔で悪玉たちを免責にしてはならないが、日本の国民性が変わらないかぎり、日本の再生は不可能だろう。それは、悪に立ち向かう勇気を日本人の一人一人が持てるかということだ。
飯山老人、崖っぷち社長、つむじ風氏、東海アマ氏、ネットゲリラ氏のような勇気を一人一人が持てば、日本は変わってくるだろう。
(以下引用)
日本人はいつもそうだが、直前に自身に降りかかってくる苦痛だけを見て物事を判断してしまう傾向が強く、その苦痛がなければ、何事も無いと過信してしまう。
民族全体における想像力が欠如しており、認識が築かれていないので、人の意見に左右されがちだ。
自分で考えるということに慣れておらず、自分の事を棚に上げて人を批判することは得意だが、自身で新たなるものを創り出すことは、大の苦手だ。
社会にその種の価値を認めない空気が流れ、目の前の利益だけ求めて血相を変える。
そういった民族の性格が、今度の悲劇の根幹にあると思うと居たたまれない。
この度の福島原発事故に急遽間に合わせるように関係各機関が放射線量の規定値を定めているが、日本ではこの事故が起きる前までは、そんなものは存在しておらず、従って、
「暫定」 という文字が付けられている。
これは法治国家である日本が官僚主導により超法規的処置をするときの常套手段だ。
それでも彼らがまともな人間達ならまだしも、国民を 「駒」 と呼ぶような連中達が勝手に設定した数値が如何にインチキで、如何に無責任なものであり、その結果、日本の国民の多くが今後、重大な健康被害を被(こうむ)るかというようなことは、ハナっから、彼らは真剣に考えてはいない。
しかし、自身の危機に際し、その彼らの言に従ってしまうという民族の悲しい性(さが)がある。 それもこれも、すべては 「自立」 しておらず、それを有形無形に放棄してきた国民の側に問題があり、これは権力構造からのマインドコントロールとか、総力を挙げての洗脳とかいう問題とは、関係している事は確かだが、切り離して別途考えねばならない重大な問題だ。
従って現在、やれる事は限られてきており、結局は自衛しかなく、これは、またまた小沢一郎が言うところの 「自立」 へと必然的に繋がってくるだろう。
小沢が行政のトップに立っていないにも関わらず、降って沸いたように我々はこの度の震災を経て、原発事故に遭遇し、「官僚主導体制の打破」 を痛感し、そして、「自立」 の必要性を否応なく課せられている。
これらは小沢が言うまでもなく、至極当然のことなのだが、日本の国民は全くそれに慣れておらず、戸惑っているようだ。
赤ん坊じゃないんだから、自分で考えろ。(笑)
しかも、政府、官僚(地方自治体を含む各行政機関及び原子力安全保安院等)、東電、マスコミが情報統制を敷き、本当に正しい情報を開示していない。
この理由は簡単で、パニックを畏れているからだが、このまま事態が解決の方向に向かえばまだしも、もし逆に破綻の方向、つまり福島原発がフルメルトダウン、もしくはそれに準ずるような状況になり、大量に放射能が空中に拡散し、その結果、首都圏の人々に避難を呼び掛けるような事態になれば、彼ら政治家、官僚が思っていた以上に深刻な状況になるだろう。
その段階で、畏れていたパニックは避けられず、しかも、国民の怒りの刃は彼らに向けられる事は必定だからだ。
だが、ここに来ても尚、彼らは国民を洗脳しようとしている。
この洗脳状態は、世の中が無事で治まればということを前提にしているが、福島原発はどうもそうはならないような気がする。
それは、テレビに出て 「安心」 を売り物にしている御用学者と言われている連中達とは違って、原発開発に携わった本当の専門家が警鐘を鳴らしている事からも十分推測が可能だ。
もしそうなら、御用学者どもは殺人者、あるいは、未必の故意による殺人を犯した者と呼ばれてしかるべきだ。
原子炉冷却系に 「閉鎖回路」 が設定されない限り、この 「核」 との戦いは、いつかは負けてしまう。今後、益々海洋汚染が続き、魚に限らず農作物も広範囲に放射能汚染され、関東地方は人の住めない場所になる可能性が高く、事態は人々が思っている以上に、とてつもなく悲観的なのだ。
だが一番やっかいなのは、放射能は近くで中性子線等の被曝を受けない限り、即死しないということで、この悲劇は、数年から数十年かけて、ゆっくり国民に襲いかかってくる。
その段階で福島原発事故による放射能が原因だとは、特定されないだろう。
結局は、国民が自分でその責任を取らねばならなくなる。
しかも、さらに困った事は、この事が食物を通して日本国全土に行き渡ってしまうという事であり、海洋汚染を通して、全世界の人達にまで放射能汚染の影響を及ぼしてしまうという事だ。
今後、至る所で、日本国政府への損害賠償請求が起こるだろう。
日本の農作物に限らず、食料品全般にわたって、輸入制限を課す国は増え続けるだろう。
それは、食料品の枠を超えて、日本製品全般に及ぶだろう。
まさしく、国家の一大事だ。
このまま行くと財政再建など夢物語となり、日本経済は破綻する。
日本経済が潰れれば、我々の生活も連鎖反応的に潰れる。
元々、潰れかかっていたにも関わらず、天災と人災がさらに拍車をかけた。
そして、その元凶は何かと考えると、
結局は、日本人の 「心の卑しさ」 なのだろうと、言わざるを得ない。
「カネに目が眩む」 という言葉が日本には昔からあるが、今の日本は正にこれで、
近代日本の建設の際して、我々は置き去りにし、忘れてきた 「何か」 があったのである。
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