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徽宗皇帝のブログ

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枝野発言を擁護(笑)する
私は人が右を見ているときは左を見るのが信条の人間だから、世間が枝野を非難しているならば(それだけが理由ではないが)枝野を擁護しておこう。

枝野の言葉はまったく正しい。もちろん、だから電気料金を値上げしていい、という結論にはならない。
電気料金がこれまで安すぎたのも、電気料金が今後上昇するという見通しも正しい、と言っているのである。この2点に関しては彼はまったく間違っていない。
しかし、電気料金を値上げさせるかどうかには電力会社の申請に対する政府の許可が必要なはずだ。政府がそれを許可することはもちろん間違いであり、政府がそうするつもりであるという意味で枝野がこの発言をしたなら、(もちろん、真意はそうだろうが)枝野は非難されて当然である。
しかし、言葉の表面上の意味だけで言えば、枝野の発言内容にはまったく間違いも無いし、非難されるところも無いわけだ。
電力料金はこれまで不当に安く設定されてきた。むしろその部分にこそ政府が批判されるべき点はある。この電力料金の安さは、原発村維持のために設定され、構造的に税金による見えない補填が行われてきたことは周知のことだ。国民はこれまでそのカラクリを知らなかったために原発は安価な電力供給源だと騙されてきたわけだが、その反面、電気料金の安さという「恩恵」も受けてきてはいたのだ。とは言っても、その分税金から盗まれているわけだが。
電気というのは安価なエネルギーではない。一番効率的なのはエネルギーを直接熱源として使用することであり、石油やウランを燃やして蒸気を作り、タービンを回して発電し、さらに電線を通じて配電するというその間に失われる熱量や電力などを考えると電気料金がガス料金よりも安く設定されているのは政策的なものだと見ていいだろう。

話は変わるが、先進国が後進国にODAなどで援助する時に最初に作るのがダムであったことをご存じだろうか。
ダムは発電のために作られる。それまで電気の無い生活をしていた人々は電気のある「便利な暮らし」を体験し、もはや電気無しでは生活できなくなる。その後は、電気を使う様々な「文明の産物」が彼らの生活の中に流れこみ、彼らのなけなしの収入の大半はそういう文明の利器を購入するのに用いられることになる。これがODAの真の目的であったわけだ。
まあ、今ではそのような後進国はあまり残っていないだろうが、これが「西欧文明による世界の文明化」であり、それは「電気による生活の支配」でもあったわけだ。
したがって、電気料金は庶民を「生かさず殺さず」の状態に置くためにうまく設定されてきたわけである。最初から高額にすると電気文明が普及しないからである。
そして、今、政府(および電力会社)は、福島原発事故などのツケを払うために、電気料金を「正当な金額」まで高くしつつあるわけである。
まあ、それが「正当な金額」だとしても、庶民の大半はこの寒空の中で凍えることになるだろう。


(以下引用)



電気料金「安過ぎた」=原発ゼロで上昇へ―枝野経産相

時事通信 11月30日(金)12時17分配信



 枝野幸男経済産業相は30日、閣議後の記者会見で、従来の電気料金には原発事故のコストなどが含まれていないことから「今までが安過ぎた。間違った料金を取っていた」との認識を示した。2030年代の原発ゼロを進める中で、電気料金は今後上昇するとの見方を示した。 










(付録) 私の愛読する小田嶋隆ツィッターに、まるで私のことを書いているかのように身につまされるジョークがあったので、紹介する。
私の懐疑主義など、その程度のものかもしれない。自分ではデカルトの「方法的懐疑」の継承者のつもりなのだが。









小田嶋 隆‏@tako_ashi

11月の次は12月だと、口ではなんとも言えるし、実際そう思っているのが一番簡単なのかもしれない。でも、そんなことで良いのか? 現場を知らない無責任な学者や文化人が11月の次に12月が来ると、机の上の理屈でそう言ったからといって、そんな話を鵜呑みにしていて良いのか? 







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