[31:20] 「人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれると考えがちである。しかしそれでは、倫理性の由来が不明なままである。実際にはその反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである。」
[31:58] フロイトのこの考えはべつに憲法について書いたものではないのですが 憲法9条が生じた過程をじつにうまく示していると思います。というのは、憲法9条は外部の力、つまり占領軍の指令によって生まれたわけです。にもかかわらず、それは日本人の無意識に深く定着した。なぜか。まず外部の力による戦争(攻撃性)の断念がある。それが良心を生み出して、それが戦争の断念をいっそう求めることになったわけです。だから憲法9条は自発的な意志によってできたのではない。外部からの押しつけによるものですが、だからこそそれはその後に深く定着したのです。それはもし人々の意志によるものであれば成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていたと思います。
[32:56] ところで、個人の無意識の場合は精神分析医が対話を通してアクセスできるかもしれませんが、集団の場合はそうはいきません。しかし、選挙、国民投票になると、それはある程度出てきます。もちろんそのような認識はありませんが、経験的にそれがわかっている。だから改憲をねらう政党、政治家はいざとなると憲法9条を争点からひっこめます。そして選挙の後でまた改憲を唱える。それをくり返してきたわけです。このような集団的無意識は総選挙や国民投票を通す以外に察知しえないのかといえば、そうではありません。私はそれを知る方法があると思います。無作為抽出(ランダムサンプリング)による世論調査がそうです。このやり方は、戦後アメリカの占領政策の一環として導入したものなんです。彼らは日本の民主化には世論調査が必要だと考えた。しかも彼らが導入したのが統計学の理論にもとづいたランダムサンプリングによる調査です。それはアメリカでもまだ実行されていなかったものなんです。それが日本で実行された。1948年朝日新聞が行なった世論調査が最初のものだといわれています。ある意味でこのような世論調査は、憲法9条と類似する点があります。それはどちらも占領軍がアメリカでもやっていないことを日本でやろうとしたから。さらにもう一つの類似点は、占領軍が日本の統治のために持ち込んだそれらのものが、占領軍にとって裏目に出たことです。たとえば、朝鮮戦争が始まったときにマッカーサーは憲法9条を作ったことを後悔したと思います。彼はそこで吉田茂に再軍備、したがって憲法の改正を要請したわけです。吉田はそれをすげなく断った。それについて吉田は回想録でこう書いています。まず、日本は再軍備のための資金を持たない。それが第一の理由である。第二に、国民思想の実情から言って、再軍備の背景たるべき心理的基盤が全く失われている。第三に、理由なき戦争に駆り立てられた国民にとって、敗戦の傷跡が幾つも残っておって、その処理の未だ終らざるものが多いと。吉田が妙に「心理的基盤」だとか「敗戦の傷跡」だとかいうのはなぜか。おそらく彼は世論調査の結果を知っていたのではないかと思います。彼はこう考えた。もしここで再軍備をしたらたいへんな反対運動が起こり、内閣が壊れるどころか革命騒ぎになってしまうと。おそらく彼はそれをマッカーサーにいったにちがいない。ただ、吉田茂はマッカーサーの要求に従って警察予備隊を作りました。米軍が朝鮮半島に向かった後の安全保障のためという名目です。とはいえ、吉田はあくまで憲法改正は退けた。警察予備隊が保安隊、自衛隊と発展していった段階でも、それらは「戦力」ではないといい張って、憲法9条の改正の必要を否定したんです。これはある意味で9条の解釈改憲のようなものです。以来、9条の文面を変えないままに、それに相反するような軍備拡大がなされ続けてきたわけです。
[37:17] ここで世論と選挙の関係について一言述べておきます。結論からいうと、選挙は集団的無意識としての世論を表すものにはなりえません。なぜならば争点が曖昧なうえ、投票率も概して低く、投票者の地域や年齢などの割合にも偏りがあるからです。ただ選挙を通して憲法9条を改正しようとする場合、最後に国民投票を行う必要があります。国民投票も何らかの操作や策動は可能だから、世論を十分に反映するものとはいえませんが、争点がはっきりしているので、投票率も高く、無意識が前面に出てきます。ゆえに国民投票では負けてしまいます。選挙で勝っても国民投票で敗北すれば、政権は致命的なダメージを受けます。解釈改憲すら維持できなくなってしまう可能性がある。むろん選挙でも9条改定を唯一の争点としたなら大敗すると思います。だから政府自民党は普段は9条の改定を唱えているにもかかわらず、選挙となるとけっして憲法9条を争点にはしないんです。今後も同じです。
[38:47] なお、世論を知るということでは、ランダムサンプリングによる世論調査の方がもっと的確だと思います。しかし、その場合は質問のし方に注意しないといけないんです。たとえば「憲法9条をどう思うか」というような質問はだめなんですよ、漠然としているから。「憲法9条を廃棄するかどうか」と確定して問わないといけない。とにかく質問を適切にすることが肝心です。なにしろ問うている相手は個々人の意識ごときではなくて、無意識さまなんですから。ついでにいうと、現在やられているような電話によるやり方はランダムサンプリングにならないと思います。電話を持っていない人は除外されてしまいます。とくに最近の若者は携帯しか持ってないからできないんです。これではランダムな抽出にはなりません。だから面接しないといけないんですが、金がかかるのでやらない。要するに私がいいたいのは、憲法9条が無意識の超自我であるということは、心理的な憶測ではなくて、統計学的に裏づけられるものだということです。
[40:20] 最後に一言。現在世界中で戦争の危機が迫っていることはまちがいありません。どの国もこの危機のもとにあり、それぞれに対策を講じています。そしてそれが他国に影響し、相互的に敵対心が増幅される。その中で日本で優勢になってきたのは、米国との軍事同盟(集団的自衛権)を確立するという案です。それは戦争が切迫した現状のもとではリアリスティックな対応であるようにみえます。しかし、逆に各国のリアリスティックな対応のせいで、思いがけないかたちで世界戦争に巻き込まれてしまう蓋然性が高い
のです。第一次大戦はまさにそういうものでした。ヨーロッパの地域的な紛争、オーストリアとセルビアの紛争が、軍事同盟の国際的ネットワークによって日本も参加するような世界戦争に展開していったわけです。日本の場合は日英同盟があったからです。またその第一次大戦の結果として国際連盟が生まれ、戦争を違法とする「不戦条約」が成立しました。日本の憲法9条がその「不戦条約」に負うことは先にも言いましたけど、国際連盟から脱退し、かつ「不戦条約」を踏みにじったのは実はドイツと日本なのです。どちらもそのようなカント的理念を嘲笑して、自国の安全をリアリスティックに確保しようとしたわけです。その結果が第二次大戦です。したがって、防衛のための集団的軍事同盟は何ら平和を保障するものではない。
[42:27] しかし、今もそれがリアリスティックなやり方だと考えられています。そして日本人がそれを実現するためには何としても非現実的な憲法9条を廃棄しなければならないということになります。しかし、彼らはそう望んでもできません。60年以上にわたって憲法9条を廃棄しようとしてきたのに、それを実現できなかったのです。今保守派の中枢部は、なぜ改憲できないのかわからないながら、たぶん改憲をあきらめているのだと思います。もちろんいつも改憲を口にします。しかし、それを実現できるとは考えていない。そのかわりに議会で多数派となって安保法案のような法律を作ることや、また今後に憲法に緊急事態条項を加えるなどで、9条を無力化する方法をとろうと画策しています。これは国会では通っても国民投票では確実に却下されますから、やらないでしょう。要するに安倍政権は、9条があっても戦争ができるような体制を作ろうとしているわけです。
[43:40] ゆえに護憲派は9条がなくなってしまうのではないかということを恐れる必要はまったくありません。問題はむしろ護憲派のあいだに改憲を恐れるあまり9条の条文さえ保持できればよいと考えるふしがあることです。かたちの上でのみ9条を守るだけなら、9条があっても何でもできるような体制になってしまいます。それが今後に起こりうることです。その意味で私は憲法9条の改定を恐れてはいけないといいたい。彼らには正々堂々と憲法9条を変えたらどうかといえばいいんです。ぜひ国民投票をやりましょう。べつに3分の2の議席を取らなくても、一緒にやりましょうといって、全員賛成に回ってもいいんですよ、国民投票にしようと。これは冗談。
[44:44] だから注意すべきことは、彼らが憲法9条を変えることなくさまざまな手口で戦争を行える体制を作ってしまうことです。今後に日本が戦争に巻き込まれることは大いにありえます。あるいはそのような危機をあえて作り出して憲法改正をはかるということもありえるでしょう。しかし、そのあげくにどうなるかといえば、いずれ高すぎる代償を払って憲法9条を再び取り戻すことになるだけです。そんなことは現在からみても明白です。したがって、戦争の危機が身近に迫る時期においてもっともリアリスティックなやり方は、一般に非現実的と目されている憲法9条を掲げ、それを文字通り実行することです。9条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ強力な行為です。それが今日の演題にあるように「憲法9条の今日的意義」です。
[投稿者コメント]
この文章は、2016年1月23日に東京都北区で行われた市民連合主催のシンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」における柄谷行人の基調講演を、投稿者がテキストに起こしたものです。シンポジウムを企画実行した市民連合および参加者、YouTube動画をあげてくれたPlaceUniversityに感謝します。
段落頭に付した数字は動画の再生時間です。聞き取りやタイプなどで間違いがあったらご容赦ください。
なお、『世界 2015年9月号』(岩波書店)には、「反復強迫としての平和」という題でほぼ同趣旨の文章が掲載されています。
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