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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

欧州でのユダヤ人憎悪はなぜ起こったか
「逝きし世の面影」記事で、長大な文章なので適宜省略する。(特にタルムードの部分はかなり膨大である。)元記事を見たほうが詳しい知識が得られるが、そこまで暇じゃない、という人も多いだろう。ネットに親しい人なら熟知している内容も多い。しかし、イスラエルやユダヤに詳しくない人には「目から鱗」の内容だろう。宗純氏らしい鋭い指摘もある。
まあ、最低でも

イスラエル建国神話の「ユダヤ国家の消滅。→だからユダヤ人は流浪の民になって世界中に散らばった」との話は真っ赤な嘘。カザール系ユダヤ白人によるイスラエル建国(シオニズム)を合理化する全くの出鱈目である。

というのは一部の人々には常識だが、一部だけでなく世界の常識とすべきだろう。端的に言うなら、タルムードこそがユダヤ人の精神の根幹であり、それを知れば世界はユダヤ人(ユダヤ教信者)を許容できないわけだ。ちなみに、イエス・キリストもユダヤ教を否定してはいない。イエスはユダヤ教の「新説」を述べたために迫害され殺されたのである。他者(異宗徒)からの詐欺的略奪の許容という点では資本主義とユダヤ教は双子である。DSの残酷さの根幹にはユダヤ教(選民思想=エリート主義)があるのかもしれない。WEFの世界人口削減計画など、明らかにそれだ。

(以下引用)
帝政ロシアの東ヨーロッパ地域のリトアニア、ポーランド、ウクライナなどのユダヤ人居住区(定住地域)だけではなく、その東のロシア帝国の首都モスクワやサンクトペテルブルクなど都市部にも大勢のカザール系ユダヤ白人がいた。
東方キリスト正教はカトリックなど西方キリスト教よりも寛容だったが、ユダヤ人の人口密度や人数が多いので地元農民と「宗教の違い」(正しくは宗派の違い)で対立が深まって時々暴動が起き、1917年ロシア革命の大動乱では多くが海外に脱出したが旧約聖書の「約束の地」パレスチナに向かったのは極少数で、カザール(帝政ロシア)ユダヤ人移民の大部分は新天地アメリカに移住する。
 
WWⅠ後ポーランド再建で激しい反ユダヤ主義が起きる

18世紀エカテリーナ二世の帝政ロシア時代以前からロシア革命の1917年までのユダヤ人居住区では50万人から最大で500万人のカザール系ユダヤ白人が居住していた。
第二次世界大戦開戦時のポーランド人口の4分の1はユダヤ人。農村はカトリックポーランド人で都市はユダヤ人と棲み分け、首都ワルシャワでもユダヤ人口は4分の1だったが帝政ロシアのユダヤ人定住地域がポーランドだったので当然の結果。
 
ユダヤ王国滅亡と「ディアスポラ」の奇妙な神話
 
中東パレスチナが周辺の強国メソポタミア(バビロニア)や強大なエジプトからの度々侵略された歴史は当然だが、最終的には古代ローマ帝国の支配下に入ることでユダヤ人国家は消滅する。第五代ユダヤ総督ポンティオ=ピラト(Pontior Pilatos)がナザレのイエスを処刑したことからキリスト教徒は2000年近くも「イエス・キリストを殺したユダヤ人」だとしてユダヤ迫害を続けていた長い長い歴史がある。

これは「日本人は天皇を殺したり島流しにした賊子逆賊の子孫」といった北一輝と同じ阿呆臭い屁理屈で、殺した側もユダヤ人だが処刑されたナザレのイエス自身がユダヤ人だったとの馬鹿馬鹿しいオチ(★注、普通のユダヤ人は少しも「流浪の民」ではなく、一貫してパレスチナに定住していた)
 
イスラエル建国神話の「ユダヤ国家の消滅。→だからユダヤ人は流浪の民になって世界中に散らばった」との話は真っ赤な嘘。カザール系ユダヤ白人によるイスラエル建国(シオニズム)を合理化する全くの出鱈目である。
泥沼のナガルノ・カラバフ紛争で有名になったので日本人でも知っているアルメニア人の場合はアルメニア本国よりもアメリカに住んでるアルメニア系市民は多いが、これは第一次世界大戦トルコ東部のノアの箱舟伝説があるアララト山周辺に住んでいたアルメニア系の極立運動がオスマントルコの大弾圧(ジェノサイド)が起きたために大量のアルメニア人が白人優遇するアメリカに移民したため。普通でも住みにくくなると遊牧民は新天地を求めて自由に移動する。ところが農耕民のアルメニアはWW1のような大虐殺でも起きないと移動しないのである。農耕民だった古代ユダヤ人がユダヤ国家を失っても移動することは無い。

ヒト・モノ・カネ・情報など全てが自由に国境を超える新自由主義でも、本当に国境を越えて移動する人は極少数の例外「知的エリート」特権階級(エスタブリッシュメント)で、大部分の市民は「住みにくい」からといって移動しない。ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人のように、我々のような一般ピープルは虐待されようが殺されようが「堪え難きを耐え、忍び難きをしのんで」我慢に我慢を重ねて住み続けるしか残された手段がない。遊牧以外の「流浪の民」は噓八百である
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★注、ブログ主オノマさんは海外駐在経験が長い大企業幹部社員で現在は引退しカナダ西海岸のバンクーバー在住。何故イスラエルが躊躇なくガザのパレスチナ人を殺すかの不思議の理由が「嘘だろう。到底あり得ない常識離れした話」としか言いようがない
 
タルムード・ガザの子供を殺すことについて良心の呵責を感じないイスラエル人の背景

2020年。イスラエルのパレスチナ人迫害は一向にやまない。アメリカはイスラエルを全面的に支持しており、国連決議は無視しパレスチナ人への迫害を容認している。日本は見て見ぬふりでイスラエルやアメリカに反省を迫ることは皆無


★‘2014-8-3ブログ


どうしてイスラエルがこのように残酷なことを行えるのかと疑問に思われているかもしれない。そういった疑問はユダヤ教徒の生活の基となっているタルムードを知ることによって氷解するであろう。たとえば、2012年11月のイスラエル・ハマスの停戦時にイスラエルはガザの封鎖を緩和すると約束したが今日に至るまで約束を守ってこなかった理由とかパレスチナ人の財産を奪い続けてきた理由とかも分かるようになるだろう。もっともそんなことが分かる前に、タルムードを読み進むあいだに心やさしきあなたは気絶してしまうかもしれないのだが。


余談


二十五年ほど前、オノマの次女はトロントで裕福なユダヤ人の子が多い高校に通っていたのだが、あるとき日本で買ってきた文具がなくなった。ほどなくしてユダヤ人の生徒が持っているのを見つけて返せと云った。返してもらえなかったので担任の先生に訴えたところ、この先生もまたユダヤ人だったのか、返す必要はないと申し渡された。次女はカナダが嫌いになった。


そういうことがあったと聞かされたのはかなり時間がたってからだったのでオノマが出張るタイミングは失していたのだが、この小さな窃盗事件もタルムードを知っていればある種の納得がいくし、またオノマが出張っていったとしても娘の文具を取り返すことはできなかったかもしれないと思う。

ユダヤ教タルムード★神の選民

●世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、 他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼等はことごとく空皮 に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>


●人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ ゼバ法師>


●選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく、他の国人はロバに等し。<ア バルバネル法師>


●神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト 教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一、トラクト一、ディスト四)

学者)とタルムード


●吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるも のなり。(イスラエル文庫、一八六四年)


●律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要 である。


●掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>


●汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と。<アシ法師>


●教法師を畏るるは神を畏るるなり。<モシェー・バル・マエモン>


●教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>


 


★ゴイム・異邦人・偶像崇拝者


●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・ メチア、一四六の六)。


 


●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、 人々はこれをなほよく熟考しまた味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、 イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受 入れざりしによりこれ等の美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>


●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利 き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。 <アブラハム・ゼバ法師>


●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神 によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>


●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人が ゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書、Ⅷの五)


 


●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの 子等、異教徒はイスラエル人に非ず。<モシェー・バル・マエモン>


 


●偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、彼等を敬い、彼等 に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に 駆られたる場合は然り。<ゲルソン法師>


★財産と所有権


 


●ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパ ット、一一六の五)。


 


●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)


 


●ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。 而してかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば、かく為しても、罪を犯したるには非ずして、戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ、第 二巻智慧の教)


●タルムードの誡において神は命じて曰く、ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべ し、と。これ、彼等が借りたる金により利する事なからんため、かつまた、我等が金錢にて彼等に助力を與うることなく、むしろ損害を與えんがためなり。<モシェー・ バル・マエモン>


 


●ゴイに向って誓いを立てた者は、盗賊であれ税吏であれ、責任を取らなくてよい。 トセフタ・スゼブノット、一一)


 


★律法と秘密


●ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッド の書、三七)


●律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯 罪である。(ジャクトゥ・ハダズ、一七一の二)


●ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら、ただただ嘘の説明をするべきであり、ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはなら ない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド、三七)


●ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット、ジュル・ダの書、一七)


●タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン、五九、ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガ、一三)


 

「ふしぎなキリスト教」不思議な橋爪大三郎 2013年6月16日宗教

2000年間ユダヤ教を迫害、1400年間イスラム教と争うふしぎなキリスト教
日本人的な一神教に対する誤解として、ユダヤ教の神ヤハウェとキリスト教のイエス、イスラム教のアラーは別々の『神』だと思って仕舞うが、実はまったく違いが無いばかりか『一つ』の神である。
『同じ』なのである。では『何』が違うのか。
橋爪大三郎は『ふしぎなキリスト教』で基本となる教義が、三つの一神教で全く違いが無いことを強調しているのです。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、基本OSは同じだがバージョンが違うウインドーズの95とXPとビスタの関係なのですから別々の宗教と言うよりも一つの宗教の『別々の宗派』程度なのです。
それなら今のように宗派間で激しく争う理由が全く無いことになる。特にユダヤ教とキリスト教との間には教義の違いは無く、実はまったく『同一の宗教』であった。
唯一の違いはイエスキリストがいないのがユダヤ教。イエスキリストがいるのがキリスト教なのです。
ちなみに『イエスキリスト』とは、イエスが名前でキリストが苗字ではない。イエス(ヨシュア)は当時はありふれた名前で、『キリスト』はヘブライ語の救世主(メシア)なので『メシアのイエス』(救世主の一郎)の意味
『ふしぎなキリスト教』では、無責任にも2000年間ユダヤ教を差別迫害し、1400年間イスラム教と争っている理由が一言も書いていない。
不親切の極みであり意識的な怠慢である。
第二次世界大戦とは宗教戦争でもありユダヤ人差別で600万人もが殺されているのである。
社会科学者が『キリスト教の不思議』に触れるなら、キリスト教のユダヤ教迫害に一言も言及し無いなど有り得るだろうか。
絶対に無い。
『手抜き』というよりも都合が悪いので、わざと無視して『隠している』のでしょう。
キリストの『有る無し』の違いだけで、ユダヤ教とキリスト教が同一宗教内で血みどろの抗争を2000年にわたって繰り返しているのです。

『なるほど。!そうだったのか』
ユダヤ教とキリスト教の摩訶不思議な関係ですが、これは同一宗教内どころか同一宗派内の宗門と信者組織とで、池田大作の『有る無し』の違いだけで30年間も見苦しい血みどろの抗争を繰り返している日蓮正宗本山(宗門)と創価学会との仁義なき抗争とそっくり同じ構造である。
どれ程奇想天外な手品でも、ネタ(原理)が分かって終えば『アホ臭い子供騙し』に、騙されていた人々が驚く。
江戸時代でもあるまいし。橋爪大三郎と大澤真幸は驚く無かれ隠れキリシタンだった。(現在の社会で耶蘇教信者では極めて珍しい。
ところが創価学会信者の場合は珍しく無く、社会的地位が高いほど自分が信者である事実を隠す)
隠れ信者2人が、自分たちが熱心な創価学会員である事実を誤魔化して、『現代を代表する社会学者』と自称して読者を騙して、『ふしぎな創価学会』を書いて、『日本人の神様と、池田大作は何が違うのか?』を説明しょうとした本だったのです。
なるほど。『ふしぎなキリスト教』の何とも不思議な反科学的な数々の間違いや非科学的な判断、キリスト教の奇妙奇天烈、辻褄が合わない教義に対する『贔屓の引き倒し』的な無批判の賛美など、到底一人前の社会科学者として有り得ない不思議の数々は、むしろ有って当然だった。

日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教『池田大作より他に神はなし』
創価学会とは、数々ある日蓮宗系の弱小教団『日蓮正宗』の一信徒団体(法華講)に過ぎなかったが超巨大化し、1952年に信徒団体という特殊な形態のまま、東京都知事の例外的措置をもって宗教法人の認証を受けた経過がある。
一信者団体が教団から破門されて以後、その宗教法人としての認可が正当なものかどうか疑わしいが『池田大作より他に神はなし』と、自分の生みの親である筈の日蓮正宗教団を飽きることなく口汚く攻撃している様が見苦しい。
宗門と創価学会の異様で摩訶不思議な敵対関係であるが、宗教信者がその宗教(本山)を罵るなど、正誤に無関係に自動的に論理的自己否定になるので普通なら考えられない。
絶対に、有り得ない話である。
ところが、現実には『ありえないふしぎ』が目の前で起きている。
まさに『ふしぎなキリスト教』である
日蓮正宗=ユダヤ教、創価学会=キリスト教であることが理解出来れば、キリスト教に疎い我々日本人でも『ふしぎなキリスト教』の数々の謎が簡単に解明できる(抜粋)

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