EVの火災は消火できない
ところが、この頃、ドイツではすごい勢いで、EVのバッテリーの危険性という話題が噴出し始めた。 8月1日、まだ船が燃えていた最中、早くも国連の下部組織であるIMO(世界海運機関)が、「同様の事故が最近多発しているため、EVの船舶輸送に関する規制強化を検討している」と発表したことも、その不安に輪をかけた。 さらに、ノルウェーの海運業者が「今後EVは運ばない」と宣言し、「火災が起きることが怖いのではなく、EVの火災は消火できないことが怖いから」と説明した。 その頃には、今までEVについての否定的な事柄はほとんど書かなかった主要メディアが、ぼちぼちとEVの危険の可能性を書き始めた。ただ、現実はというと、EUでは2035年から、EV以外の車の販売が禁止される予定だ。 EVシフトは、気候温暖化防止の一環として、“惑星の救済”のために避けられないとされており、つまり、メルセデスやBMWやポルシェを産んだドイツでも、ガソリン車は土俵際まで追い詰められ、また、お家芸であったディーゼルも、2度と市場に復活できないほど叩きのめされていたのだ。 実はEVシフトというのは、国民の意思も自動車メーカーの意思も汲んでいない強権的な政策だ。EVは補助金が付いても高価であり、ガソリン車でさえ新車では買えない学生や収入の少ない人にとっては、車を持つなというに等しい。 車は贅沢品ではなく、多くのドイツ人にとっては、日本の地方都市の場合と同じく生活必需品だ。一家に2台も珍しくない。そのせいもあり、ドイツでは中古車市場が非常に発達しており、一生、新車など買わない人も少なくない。 しかし、EVの中古車市場はまだ無いに等しく、そもそも古いバッテリーを積んだEVの中古車に、どの程度の価値があるのかもわからなかった。
そもそもEVは安全なのか?
一方、ドイツの自動車メーカーにとっても、EVブームは好ましくない。EVの世界市場では、中国が一人勝ちする仕組みがすでに出来上がっており、ドイツの敗北は透けて見えていた。これ以上進めると、さらに墓穴を掘る危険が高かった。 需要の有無や消費者の要求を完全に無視して、生産すべき物を政治決定するという現在のEUの動きは、自由市場経済ではなく計画経済だ。しかも、ここまで燃費の良くなっているガソリン車や、CO2削減に役立つディーゼル車を一斉に葬るという決定は、それらの技術の先鋒であるドイツが払う犠牲が一番大きくなることを意味した。 当然、多くの国民や自動車メーカーは、EVシフトに心から納得している訳ではなかった。それも、本当にCO2が減り、地球環境が改善されるならまだしも、現在、ドイツのCO2排出量は世界全体の2%だ。これが仮に0%になっても、ドイツ人の自己満足以外、何かが決定的に変わるとは思えなかった。 しかし、それに対する反対意見など絶対に言い出せない雰囲気が、ドイツではしっかりと出来上がっていたのだ。 ところが、今回の火災でその空気が一気に変わり始めた。EVがクリーンか否かというこれまでの議論では、EVに賛成しない人々が 常に“モラル”を問われたが、危険か否かの議論では、今度は彼らが問う番だ。 「そもそもEVは安全なのか?」「船の中で起こったことは、マンションの地下の駐車場でも起こり得るのではないか?」と。 そして、この動きは自動車メーカーにとっても、場合によってはガソリン車(あるいは合成燃料車)復活という捲土重来のきっかけになるかもしれなかった。
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