「東海アマ」ツィッター経由で、タイトルのよく分からないブログから転載。(transnational historyがタイトルか?)
曽野綾子や渡辺昇一が人間の屑であることは良く知っていたが、そういう人間が自分たちの本性を堂々と公にする発言をしても生息が許されるこの日本社会もクズ社会である。
「電気が停止した時点で民主主義も停止する」のだそうだ。要するに、非常事態には権力の一極集中が行われ、戒厳令的行政が行われていいということだろうが、日本の民主主義は津波で停止される程度のものなのか。ならば、民主主義をふりかざして他国を侵略する我が宗主国アメリカに向かって、そう言え、というものだ。民主主義のためならイラクやアフガニスタンを焦土にしてもかまわない、リビアという平和な国を詐欺的革命で動乱国にしてもかまわないというお国柄だ。まあ、本当は権力者にとっては民主主義ほど苦々しいものは無いのだろうが。
こういう右翼人種の精神構造というものは分析する価値はある。彼らに共通するのは、自分を権力(力)の側に置いて、弱者を憎悪するという心性である。まあ、ニーチェのコピーだ。彼らがそういう権力擁護・体制擁護発言で金銭的・経済的メリットや社会的地位を得ているという面はあるにしても、それだけで彼らの弱者憎悪の発言にはならないだろう。
私にとっては、本当はクズ右翼の発言を読むのも苦痛ではある。何でこのようなくだらない発言を読むことで貴重な時間を使わねばならないのか、という苦痛だ。しかし、放っておくと社会に広がるバイキンのような連中の「クズ発言」を記録しておくのも意味はあるだろう。
元記事では引用部分は囲み記事になっていて、筆者の感想部分との区別が容易だったが、私のブログではその囲み線が消えていて、やや読みづらくなっていることをお詫びする。
(以下引用)
2011-05-18■[あきれた][珍保守]曽野綾子「東電に責任はない」「放射線の強い所は、じいさんばあさんを行かせればいい」 309
月刊誌『WiLL』とかいう雑誌に、渡部昇一、曽野綾子のトンデモ対談が載っているということで、金をドブに捨てる思いで買ってきた。
内容といえば、予想していた陳腐な対談をはるかに越えるものでした。
『WiLL』6月号
●昇一先生の美女対談
不幸からの贈り物が日本人を鍛える (渡部昇一、曽野綾子)
(前略)
過剰な原発アレルギー
曽野 「こんなにひどい津波は見たことがない、一千年に一度の災害、と言われていますが、予想の範囲を超えていて、誰にも責任はないことをハッキリしないといけません。その代わり、決められていたよりも手を抜いてつくられていたものに対しては、厳罰を下す。そこを分けて考えないと、誰もやる人がいなくなります。
私は水力発電のことしか知りませんが、建設には仕様書があって、どこまでの事態を想定するのか、決壊したら何トンの水が何分後にどこに到達するのかが考慮されています。しかし、それを考えるのは東電ではありません。そもそもの想定が甘かったなら、責任は東電ではなく設計側にあります。」
編集部 「天災には文句が言えないので、東電がスケープゴートになっている面がありますね。」
(中略)
渡部 「過剰な原子力・放射能アレルギーのある日本社会のなかで、これだけの原発を建設した人たちは偉いと思う。今となっては、これ以上の地震がきても耐えられるように、より頑丈にするから応援してくれ、というしかないでしょう。」
(中略)
「誰にも責任はない」だとか、「責任は東電ではなく設計側にあります」だとか何を言ってるんだコイツは。その設計を依頼してるのが東電でしょうに。
で、その設計の安全基準に問題があるってことは、これまでさんざん指摘され続けてきたわけで、それを無視して「安全です」と言ってきた東電に当然、責任はあるだろう。
まぁ、一口に責任といっても、権限や権力の大きさによって重さのレベルは変わってくるだろうし、監督すべき立場にあった経済産業省の原子力安全・保安院や、他にも「安全神話」の旗を振って推進してきた政治家や御用学者などにも責任があるわけだけどさ。
瓦礫を薪にして暖を取れ
曽野 「原発や被災者支援などに対するマスコミの質問もおかしかったですよ。「明日はどうなるんですか」「物資は公平に配られていますか」ですって。もうやめてもらいたいですね。この非常時に、予定どおりの明日がくるなんて誰にも分からない。
そして、電気が消えた時点で、民主主義というものは停止するんです。公平も平等も機能しないんです。それがわかっていない。もっとひどいのは、「その委員会はいつ立ち上げたんですか」。緊急の時に過去のことなんか聞くな、でしたね。
私は報道に関しては、あれだけの地震や津波の映像をきっちり記録してすぐに国民に知らせたり、原子力保安員や東電がきちんとぺーパーをつくって毎日現状報告をしていることは、すばらしいことだと思う。」
(中略)
曽野 「私は、未だに答えのない疑問を持っているんです。「避難所が寒くて凍えそうだ」「低体温症で体調を崩している」「温かいものが食べられない」という報道がありましたが、あれはなぜ? そこらじゅうにあんなに薪があるじゃないですか。瓦礫の処理が大変だと言っていますが、どうして木片は燃やさないんですか。
同じ高さの石を三つ積めば竈(かまど)ができるんです。そこに、あれだけ燃やすものがあるんだから、あとはどこからか鍋を拾ってくればいい。私だったら、あそこで薪を集めて食事をつくります。」
(中略)
「電気が消えた時点で、民主主義というものは停止するんです。公平も平等も機能しないんです」とか意味がわからないわけだが。
倒壊してる他人の家の木材を薪にしろだとかも、木材が津波で濡れてて火がつかないことぐらいちょっと頭使えばわかるんじゃないの?
鍋にしたってなん週間も放置されているならともかく、被災した直後に鍋を拾ってこいだとか、泥棒しろってことなの?
日本人は立派すぎる
(中略)
渡部 「日本が立派すぎるんだな。」
曽野 「ほんとうにそうなんです。そこがいいところではあるんですが、甘さにもなる。だから、ゲリラ学を教えたいんです。
もう一つ言うと、私は定年制には大賛成で、ある程度、歳がいった老人は黙ってろ、と思うんです。けれど、世の中には実にたくさんの体験を持つ高齢者がいらっしやる。今回のような場合、そういう人たちの知恵を暫定的にどんどん使えばいいと思う。
放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。もう運転免許は失効していますが、あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう(笑)。
ほうれん草からヨウ素が出たときも、ある人が「五年後に症状が出るなら、そのころは八十五歳だからちょうどいい」なんて言っている人がいました。」
渡部 「養老院で使うとかね。」
曽野 「かえって元気になるかもしれません(笑)。水道水だって、ヨウ素は八日経てば半減するんでしょう。私は空き瓶に水道水を詰めて日にちを書いておくことにしました。飲まないでいるうちに八日以上経ちましたから、もういいはずですね。」
(以下略)
>放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。
>(放射能で汚染された野菜を)養老院で使うとかね。
>かえって元気になるかもしれません(笑)
ほんとこいつらクズだわ。
曽野綾子や渡辺昇一が人間の屑であることは良く知っていたが、そういう人間が自分たちの本性を堂々と公にする発言をしても生息が許されるこの日本社会もクズ社会である。
「電気が停止した時点で民主主義も停止する」のだそうだ。要するに、非常事態には権力の一極集中が行われ、戒厳令的行政が行われていいということだろうが、日本の民主主義は津波で停止される程度のものなのか。ならば、民主主義をふりかざして他国を侵略する我が宗主国アメリカに向かって、そう言え、というものだ。民主主義のためならイラクやアフガニスタンを焦土にしてもかまわない、リビアという平和な国を詐欺的革命で動乱国にしてもかまわないというお国柄だ。まあ、本当は権力者にとっては民主主義ほど苦々しいものは無いのだろうが。
こういう右翼人種の精神構造というものは分析する価値はある。彼らに共通するのは、自分を権力(力)の側に置いて、弱者を憎悪するという心性である。まあ、ニーチェのコピーだ。彼らがそういう権力擁護・体制擁護発言で金銭的・経済的メリットや社会的地位を得ているという面はあるにしても、それだけで彼らの弱者憎悪の発言にはならないだろう。
私にとっては、本当はクズ右翼の発言を読むのも苦痛ではある。何でこのようなくだらない発言を読むことで貴重な時間を使わねばならないのか、という苦痛だ。しかし、放っておくと社会に広がるバイキンのような連中の「クズ発言」を記録しておくのも意味はあるだろう。
元記事では引用部分は囲み記事になっていて、筆者の感想部分との区別が容易だったが、私のブログではその囲み線が消えていて、やや読みづらくなっていることをお詫びする。
(以下引用)
2011-05-18■[あきれた][珍保守]曽野綾子「東電に責任はない」「放射線の強い所は、じいさんばあさんを行かせればいい」 309
月刊誌『WiLL』とかいう雑誌に、渡部昇一、曽野綾子のトンデモ対談が載っているということで、金をドブに捨てる思いで買ってきた。
内容といえば、予想していた陳腐な対談をはるかに越えるものでした。
『WiLL』6月号
●昇一先生の美女対談
不幸からの贈り物が日本人を鍛える (渡部昇一、曽野綾子)
(前略)
過剰な原発アレルギー
曽野 「こんなにひどい津波は見たことがない、一千年に一度の災害、と言われていますが、予想の範囲を超えていて、誰にも責任はないことをハッキリしないといけません。その代わり、決められていたよりも手を抜いてつくられていたものに対しては、厳罰を下す。そこを分けて考えないと、誰もやる人がいなくなります。
私は水力発電のことしか知りませんが、建設には仕様書があって、どこまでの事態を想定するのか、決壊したら何トンの水が何分後にどこに到達するのかが考慮されています。しかし、それを考えるのは東電ではありません。そもそもの想定が甘かったなら、責任は東電ではなく設計側にあります。」
編集部 「天災には文句が言えないので、東電がスケープゴートになっている面がありますね。」
(中略)
渡部 「過剰な原子力・放射能アレルギーのある日本社会のなかで、これだけの原発を建設した人たちは偉いと思う。今となっては、これ以上の地震がきても耐えられるように、より頑丈にするから応援してくれ、というしかないでしょう。」
(中略)
「誰にも責任はない」だとか、「責任は東電ではなく設計側にあります」だとか何を言ってるんだコイツは。その設計を依頼してるのが東電でしょうに。
で、その設計の安全基準に問題があるってことは、これまでさんざん指摘され続けてきたわけで、それを無視して「安全です」と言ってきた東電に当然、責任はあるだろう。
まぁ、一口に責任といっても、権限や権力の大きさによって重さのレベルは変わってくるだろうし、監督すべき立場にあった経済産業省の原子力安全・保安院や、他にも「安全神話」の旗を振って推進してきた政治家や御用学者などにも責任があるわけだけどさ。
瓦礫を薪にして暖を取れ
曽野 「原発や被災者支援などに対するマスコミの質問もおかしかったですよ。「明日はどうなるんですか」「物資は公平に配られていますか」ですって。もうやめてもらいたいですね。この非常時に、予定どおりの明日がくるなんて誰にも分からない。
そして、電気が消えた時点で、民主主義というものは停止するんです。公平も平等も機能しないんです。それがわかっていない。もっとひどいのは、「その委員会はいつ立ち上げたんですか」。緊急の時に過去のことなんか聞くな、でしたね。
私は報道に関しては、あれだけの地震や津波の映像をきっちり記録してすぐに国民に知らせたり、原子力保安員や東電がきちんとぺーパーをつくって毎日現状報告をしていることは、すばらしいことだと思う。」
(中略)
曽野 「私は、未だに答えのない疑問を持っているんです。「避難所が寒くて凍えそうだ」「低体温症で体調を崩している」「温かいものが食べられない」という報道がありましたが、あれはなぜ? そこらじゅうにあんなに薪があるじゃないですか。瓦礫の処理が大変だと言っていますが、どうして木片は燃やさないんですか。
同じ高さの石を三つ積めば竈(かまど)ができるんです。そこに、あれだけ燃やすものがあるんだから、あとはどこからか鍋を拾ってくればいい。私だったら、あそこで薪を集めて食事をつくります。」
(中略)
「電気が消えた時点で、民主主義というものは停止するんです。公平も平等も機能しないんです」とか意味がわからないわけだが。
倒壊してる他人の家の木材を薪にしろだとかも、木材が津波で濡れてて火がつかないことぐらいちょっと頭使えばわかるんじゃないの?
鍋にしたってなん週間も放置されているならともかく、被災した直後に鍋を拾ってこいだとか、泥棒しろってことなの?
日本人は立派すぎる
(中略)
渡部 「日本が立派すぎるんだな。」
曽野 「ほんとうにそうなんです。そこがいいところではあるんですが、甘さにもなる。だから、ゲリラ学を教えたいんです。
もう一つ言うと、私は定年制には大賛成で、ある程度、歳がいった老人は黙ってろ、と思うんです。けれど、世の中には実にたくさんの体験を持つ高齢者がいらっしやる。今回のような場合、そういう人たちの知恵を暫定的にどんどん使えばいいと思う。
放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。もう運転免許は失効していますが、あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう(笑)。
ほうれん草からヨウ素が出たときも、ある人が「五年後に症状が出るなら、そのころは八十五歳だからちょうどいい」なんて言っている人がいました。」
渡部 「養老院で使うとかね。」
曽野 「かえって元気になるかもしれません(笑)。水道水だって、ヨウ素は八日経てば半減するんでしょう。私は空き瓶に水道水を詰めて日にちを書いておくことにしました。飲まないでいるうちに八日以上経ちましたから、もういいはずですね。」
(以下略)
>放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。
>(放射能で汚染された野菜を)養老院で使うとかね。
>かえって元気になるかもしれません(笑)
ほんとこいつらクズだわ。
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