忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

民主党大敗で笑うのは誰か
「阿修羅」投稿記事から転載。「日々雑感」というブログの記事のようだ。東日本大震災と福島原発事故に対する菅政権の無為無策への批判は当然あるべきだが、その無為無策の大半は実は「官僚サボタージュ」のせいではないかというのが私の考えである。下記の記事も同様の主張だ。
「官僚サボタージュ」が事実なら、官僚とは時々刻々と失われていく国民の生命を犠牲にしても自らの権力回復のために民主党政権を潰すことに画策する悪魔のような連中、ということになるのだが、実は当人たちにはそんな「悪の意識」も無いのではなかろうか。それこそが困ったことで、自分のしていることが悪事であるという意識もないから平気で悪事ができる。国民の生命が多少失われようと、「それは国家運営の上からはやむを得ない、想定内の犠牲である」で片付けてしまう。つまり、自分たちには国民の生命を自由に扱っていい権利があるという誇大妄想が彼らにはあるのではないか。日本陸軍参謀部が自らの欠陥作戦のために膨大な数の兵士を餓死・病死させても何の責任もとらなかったのと同様で、官僚に責任を取らせるシステムは無いのである。それがあらゆる政府の最大の欠陥である。


(以下引用)


そして現にこの批判を加えている「主張」にしても「政治が機能していないのは官僚を使いこなしていないからだ」という論調も明らかに的外れだ。それでは事務次官会議は何のために復活したのだろうか。それこそ自民党時代に培われた官僚丸投げの政府を官僚が仕切っていた時代の復活ではなかっただろうか。それとも官僚たちは民主党政権そのものが嫌で官僚丸投げの意志表明した菅政権に対してサボタージュを行って菅政権の無能をこの国難に際して災害復興無策を放置してでも、国民に理解させるつもりなのだろうか。

なぜ次々と復興策を官邸に上げない官僚をクビにしないのだろうか。なぜ各省庁と連携を積極的にとらない事務次官をクビにしないのだろうか。事務次官会議の復活だけでは官僚たちは駄目だと言っているのだろうか。自民党政権が復活してから官僚利権まみれの復興策を提示した方が自分たちにとって利益があるから、被災した国民がいかに苦しもうと菅政権の無能・無策ぶりを大手マスコミと一緒になって笑っていようというのだろうか。そこまで官僚たちの根性は腐りきっているのだろうか。

菅政権が未だに復興策の法律を一本も通していない、という批判があったが、それこそ官僚のサボタージュの証拠に他ならない。法律を作るのは官僚の専売特許で複雑に錯綜する膨大な関連法を瞬時にして整理し、法案策定する能力を有するのはこの国で官僚だけだ。彼らが働かなければ法案の一本も作れない。自民党時代の震災に際して機動的に作れたのに、という批判は官僚にこそ向けられるべきだ。菅政権は元来が無能で検察と大手マスコミと一緒になって小沢氏を叩く以外にアイデンティティを見出せない愚かな連中の集合体だと解っていたではないか。そんな大手マスコミ主導によって成立した政権に大手マスコミは何を期待しようとするのだろうか。それこそバカに付ける薬はない。
http://km2295.iza.ne.jp/blog/

拍手

PR

コメント

コメントを書く