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徽宗皇帝のブログ

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沖縄戦の事実とネトウヨ頭脳の国会議員たち
「戦闘教師ケン」氏のブログ記事で、書かれた表現の中に、不穏当な表現もあるが、そのまま転載する。「ひめゆり部隊」の実態に関して、非常に正確に(おそらく調べた上で)書かれており、西田議員の妄言が最悪の暴言でもあることを明確にしている。

実際に解散されたのは、首里戦線が崩壊し本島南部のガマに立て籠もった6月半ばの話で、それは主に「貴重な食料や手狭の壕を女子学生に使わせるわけにはいかない」という理由からだった。
そして、解散段階で女子学生は次々と自害していくわけだが、それは日本軍が米兵を悪魔化し、「米兵に捕まったら悍ましい扱いを受ける」と洗脳していたがためだった。そして、それは実際に日本軍が中国大陸などで普通にやっていたことだっただけに、真実味があった。
ひめゆり学徒隊(沖縄師範、県立第一高女)の場合、動員240人に対し、死者136人で、死者の8割以上は解散後である

という事実を今の日本人はほとんど知らないと思う。
沖縄県民が「軍隊は国民を守らない」という事実を永遠に骨身に刻んだ所以である。

沖縄戦は本土防衛の捨て石(空しい抵抗)であったということも付記しておく。

軍部過激派は昭和天皇の無条件降伏承諾の放送を邪魔しようとさえしたのである。軍隊の統制など、関東軍の謀略による戦争勃発から戦争終了までまったく取れていなかったのがあの戦争の実態だ。
戦争末期には太平洋南部戦線の兵士たちさえ捨てられていたのである。まして「軍事行動の足かせになる住民ごとき」彼らが邪魔もの扱いしたのは当然だろう。
うろ覚えだが、戦車隊に所属していた或る兵士が、米軍が上陸した際に、逃げる住民が戦車の進路の邪魔になったらどうするかと隊長に聞いたら、「轢き殺して進め」と言われたそうである。これが日本軍メンタルだろう。戦争の目的が軍隊自体の利害(功績の有無)だけになっていたわけだ。


(以下引用)

2025年05月25日

石破首相が沖縄知事に謝罪

【首相、西田昌司氏発言巡り沖縄知事に謝罪】
 石破茂首相は20日、沖縄県の玉城デニー知事と官邸で面会し「先般沖縄の皆さまに大変申し訳ない発言があった。自民党総裁として深くおわびする」と謝罪した。沖縄戦を巡る自民の西田昌司参院議員の発言が念頭にあるとみられる。
(5月20日、共同通信)
何度でも言うが、石破は近年の自民党出身首相の中では圧倒的に「まとも」である(福田以来か)。
ところが、「まとも」であるが故に、石破が良心的な行動や発言をすればするほど、参政党の支持率が高まり、党内では高市のような安倍派残党がイキり立つ有り様にある。
敢えて言えば、昭和前期の米内内閣を見る思いだ(米内は自己責任なところが多分にあるが)。

「ひめゆり学徒隊」に象徴される女子学徒隊は、そもそも軍事動員する法的根拠を持たなかった。1944年8月に公布された女子挺身勤労令(国会を経ない勅令)は工場などへの動員を可能とするもので、45年3月23日(上陸直前)に閣議決定された国民義勇隊は消火活動、救護活動、陣地構築などへの動員を可能とするものであり、民兵としての動員ではなかった。

米軍の上陸前には本土などへの疎開が推奨されたものの、女子含む学生が疎開しようとすると、教員を中心とする学校側から制止され、家族に嫌がらせが行われた。
だが実際には、前線での救護活動、時には戦闘参加まで行われている。本来であれば、戦闘開始前に補助学徒隊は解散すべきだったが、第32軍はそれを行っておらず、意図的に軍事動員に移行した。

実際に解散されたのは、首里戦線が崩壊し本島南部のガマに立て籠もった6月半ばの話で、それは主に「貴重な食料や手狭の壕を女子学生に使わせるわけにはいかない」という理由からだった。
そして、解散段階で女子学生は次々と自害していくわけだが、それは日本軍が米兵を悪魔化し、「米兵に捕まったら悍ましい扱いを受ける」と洗脳していたがためだった。そして、それは実際に日本軍が中国大陸などで普通にやっていたことだっただけに、真実味があった。
ひめゆり学徒隊(沖縄師範、県立第一高女)の場合、動員240人に対し、死者136人で、死者の8割以上は解散後である。早々に解散しておけば、ここまで死者が増えることはなかったはずだ。全て昭和帝軍の所業によるものである。

どこをどう見ても西田の話に正当性はないはずだが、マスゴミどもは歴史的事実と歴史修正主義を両論併記して報道している。

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