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徽宗皇帝のブログ

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沖縄県民は金目を選ぶか、反骨心を見せるか
「反戦な家づくり」から転載。
沖縄県知事選については私には何とも判断のしようがないのでこれまで黙っていた。仲井真候補が勝つのは論外だが、その仲井真に勝てそうな形勢の翁長候補ももともと自民党であり、勝った後、県民を裏切って政府と手を結ぶという嫌なシナリオも十分にありそうに思えたからである。だが、とりあえずは政府自民党が推す仲井真が負けた、つまり政府の意思に県民全体として反対し、政府に勝ったという事実を作るのが先決問題だろう、と思っていた。
その後、喜納昌吉がハイサイオジサン、とばかりに舞台に踊り出て、沖縄県知事選を混乱に陥れてしまったのである。
政治家としての喜納昌吉の能力は私には分からないし、「すべての武器を楽器に」という彼のお得意のフレーズはベトナム反戦運動の頃のフラワーチルドレンの尻尾を引きずっている、それこそ頭がお花畑と言われそうなフレーズだな、としか思わないのだが、本気の反戦平和主義者かもしれない。もっとも、「政治家として」どれほどの活動をしてきたか、私にはまったく分からないのだが。
とりあえず、喜納昌吉の出馬は、沖縄県知事選に無用の混乱を持ち込んだのではないか、というのが私の今の考えである。ついでながら、下地幹男などは、泡沫候補でしかない。
まあ、仲井真さえ当選させなければ、後は翁長(多分、彼が当選するだろう)がどういう行動に出るか、県民や国民は厳しく見守っていればいい。できれば、仲井真を大差で破り、県民の意志(自民党政治への批判と反骨心)を日本全体に見せ付けてほしいものである。


(以下引用)


2014-10-01(Wed)

沖縄県知事選  「承認撤回」を公約するのは是か非か

辺野古推進の仲井真現職と、辺野古反対で保革連合を実現した翁長雄志氏の一騎打ちかと思われた沖縄県知事選挙だが、喜納昌吉氏の出馬宣言で、急に外野席が五月蠅くなった。(もちろん私も外野席に過ぎない)

まず、問題を二つに分ける必要がある。
①喜納氏の出馬をどう評価するか
②翁長氏の公約で「承認撤回」を断言するべきか

①については、前記事でほぼ書き尽くしたので繰り返さない。
喜納氏の出馬は間違いである。
ついでに、こんな話も報道されている

喜納氏要請に連合対応変えず 沖縄知事選
2014年9月30日 沖縄タイムス


 沖縄県知事選に出馬を表明した喜納昌吉氏は29日、連合沖縄の大城紀夫会長と会談した。すでに翁長雄志氏を推薦した連合沖縄に対し、喜納氏は支援団体として自らと協力するべきだと指摘。一方で、大城氏は対応は変更できず喜納氏が出馬しないよう求め、この日の議論は平行線に終わった。

 喜納氏は(略) 現時点で2年後の選挙について県連と連合の協力の話し合いができれば、出馬しない可能性を示唆した。

(以上 引用抜粋。原文はリンクを確認してください)

これを読む限りでは、喜納氏の出馬は巷間言われているような<翁長氏に承認撤回を明言させるため>ではなく、<2年後の国政選挙での連合の支援とのバーター>だったようだ。口さがなく言うならば、<2年後に支援しないと知事選に出てやるぞ>という脅迫とも言えなくもない。
しかし該当部分は記事中の文言であり、喜納氏のナマの言葉ではないので、これ以上決めつけることは控えたいと思う。

いずれにしても、現時点で喜納氏の出馬を応援する人は、かなりピントがずれているか、辺野古反対派を負けさせたいか、のどちらかだと断じざるを得ない。

■■

さて、問題は 「公約で承認撤回を断言するべきか」

これも、二つの問題があると思う。
A) 承認撤回という手続きはできるのか
B) 手続きをとったときに何が起きるのか


■ A) 承認撤回という手続きについて

最初に9月13日の翁長氏出馬会見の言葉を確認しておきたい
翁長氏は朝日の記者の質問に対して、このように答えている

「まずは知事選に勝って、承認そのものを私たち県民の力で取り消して、そしてご相談をする中から 取消・撤回のあり方をみんなで力を合わせてやれるように頑張っていきたいと思います。」
(動画→ http://youtu.be/-VUlrQ_jj70 の5分から)

素直に読めば、「取消」はする。「取消・撤回」は力をあわせて頑張る。 と言っているように理解できる。
埋め立て承認の取り消しは、県民の力で知事選に勝利すれば、やる。逆に言えば、県民の力で勝たなければできない。と言っているとしか聞きようがない。

では何故、「撤回」については 力を合わせてがんばる という抽象的な言い方になっているのか。
「取消」 と 「撤回」 は同じではないのか?

会見のこの後の発言を見ていても、翁長氏は「取消」と「撤回」を分けて考えているようだ。
私も不思議に思って調べてみると、行政法によって「取消」と「撤回」は明確にべつのものだったのだ。

こちらのページの一番下のほうにその違いが完結にまとめておられる

行政行為の瑕疵 (行政法)

抜粋させてもらうと

<職権取消>
成立に瑕疵ある行政行為について行政庁が、自ら、自発的に、当該行政行為の効力を消滅させること。 (法律上の根拠は不要)
取消しにより不利益を被る者が出る場合は
・当該行為の成立に相手方の不正行為がかかわっていた場合
・相手方の既得の利益を犠牲にしても、取消す公益上の利益がある場合
に限り、例外的に職権取消しが認められる。


ということで、公有水面埋立法には取消の規定はないけれども、行政法によって行政行為(承認など)を取り消すことはできる。翁長氏が「承認そのものを取消」と言っているのは、この最後の項にあたるのだろう。
承認の過程での瑕疵(まちがい)と、取消す公益上の利益を明示して 取消処分を県として行えばいい。

では、撤回とはなにか

<撤回>
成立に瑕疵がない行政行為について、「新たな事情」を理由として、「将来に向かって」行政行為の効力を消滅させること。 (法律の根拠は不要)
取消と同様、「授益的行政行為」を撤回するには、制約があり(原則できない)
撤回した場合は、補償の要否が問題となる。

つまり承認までの手続きに瑕疵が見つけられなかったときに使うのが「撤回」である。
ただ、原則できない とカッコ書きがあるように、かなり困難な道になる。

以上から分かることは
・承認の過程での瑕疵
・取消す公益上の利益
を明示して行政法に基づいて「取消」をすることが可能

・承認過程での瑕疵が見つからなかった場合
「撤回」をするのはかなり困難

ということだ。


■ B) 手続きをとったときに何が起きるのか

たしかに「取消」手続きは可能だ。だが、見たようにかなり制約は多い。そして、それは承認に関する「受益者」である国との間で真っ向から見解がぶつかる点でもある。

「取消」をした瞬間に、国は県を訴えるだろう。その間は工事は止まる可能性は大きいが、昨今の司法の体たらくを見ていると、「取消処分を差し止める仮処分」なるものもあり得るのかとも想像する。(法的にありうるのかは知りません)
もしそうなったら、裁判の決着が着くまでは「国の権利」が保全されて工事が継続される。

もう一つの可能性は、国が「取消」を無視する ということだ。
一方的に「取消は無効だ」と主張して、知らん顔で工事を続ける。そうなると、県の側が国を訴えなくてはならない。
いずれにしても、裁判で勝つまでは工事は止まらない可能性があるということだ。

さて、最高裁まで闘って、絶対に県は勝てるのだろうか。もちろん、勝つべきだと思うし勝ってほしいと思う。しかし、判決を出すのは、あの最高裁だ。ほぼ、ろくな判決を出さない最高裁だ。
「取消」手続きを、唯一の武器として闘うと言うことは、最高裁に下駄を預けると言うことでもあるのだ。

そして、行政法の制約を考えたとき、最高裁がマトモな判決を出す可能性は、かなり低いと言わざるを得ない。
「承認の過程での瑕疵」 と 「取消す公益上の利益」 を最高裁に認めさせる努力はするべきだが、それで「絶対に勝てる」と言うのは精神主義、特攻主義の誹りを免れまい。

まして、瑕疵を認められなかったから「撤回」をする、というコースは限りなく困難を伴う。
知事の権限と裁判のみでは、ほぼ勝てる見込みがない。その針の穴を通す闘いは、まさに「みなの力で」、運動の力、沖縄だけでなく日本の政権をかえる力をもってしなくては、勝利は覚束ない。

こうして具体的に見て見れば、翁長氏の言う 取消はするが、取消・撤回はみんなの力で ということの意味が分かる。

■ 何が起きるのか その2

さらに、県が承認取り消しをして、国と全面対決になった時に何が起きるか。

自民党政権は、まず間違いなく兵糧攻めをしてくる。
安倍が仲井真に約束した3000億円を7年間、という沖縄振興予算は、現実に基地負担を押しつけられている沖縄にとって受け取って当然の金であり、大田知事時代よりもずっと少ない。
それでも、県の予算は6~7千億円規模であり、振興予算は県民生活にとって大きなものであることは間違いない。どんな汚いことでもやる安倍政権のことだから、これを大幅にカット、ストップしてくるだろう。

通常予算以上の金を積まれて寝返ると言う話ではなく、通常予算の何割もの金をストップされることを心配するのは、保守とか革新とかに関係なくあたりまえのことだ。まして、県政をになう知事を目指す以上は、深刻にとらえるのが当然であり、安易に全面対決を煽るほうがおかしい。

安倍は、振興予算をバッサリ切り捨てておいて 「これは翁長氏のせいだ」「基地反対派のせいだ」「革新が翁長氏をそそのかしたせいだ」とキャンペーンするだろう。その時に、いかにオール沖縄をくずさずに反撃するのか、たぶん翁長陣営はそれを考えているだろう。
公約の表現が、「埋め立て承認を撤回します」から「承認撤回を求める県民の声を尊重」に変わったことの背景には、先に述べた法律上の問題とともに、この兵糧攻めといかに闘うかという問題があるはずだ。

承認取り消しの闘いは、「知事さんがんばって」ではすまない、県民ぐるみの長い苦しい闘いになるだろう。それが分かっているから、「知事がやる」ではなく「みなでやる」ということにこだわるのではないか。

たしかに公約には「承認の取り消しをする」と明記するほうがいい。それに越したことはない。当然だ。
しかし、それを見て「えっ 全面対決になったら振興予算が削られる」と怖じ気づく人もたくさんいるのが偽らざる事実だろう。だからこそ沖縄といえども知事選では自民党が勝ってきた。

そのことを観念的に否定して、多くの中間層をバサッと切り捨ててしまうことが良いことなのだろうか。
外野の私が是とも非とも言い難いが、少なくとも現在の翁長陣営は、保革共闘を優先し、「切り捨てない」という選択をしているのだろう。

重要なのは公約に断言することよりも、断言できる県民のコンセンサスが作れるかどうか、ではないのだろうか。
いわゆる革新系は、一も二もなく賛成するが、保守系というか辺野古は反対だけど国との全面対決もちょっと・・ という中間層にどう納得してもらうのか。ことは市民運動ではなく、勝ちか負けしかない選挙だ。慎重を期すのは当然だと、私は感じる。

外野から「撤回断言しろ-」と叫ぶ人たちは、こうした法律上の困難さ、県民生活の不安を分かって言っているのだろうか。無責任に過ぎはしないだろうか。

■■

以上のような予期されることは、沖縄では充分に意識されているのだろう。
むしろ、あまり声高に言うことで、悲観論になることは避けなければならない。困難だけれども、まず知事選に勝つことで、最初の扉をこじ開けよう という翁長陣営の意気込みや良し である。

わざわざ「困難なところを切り出してみせるこの記事のようなものは、不要なのかもしれない。
が、私を含めた県外、本土の人間はやはり、沖縄がどんなに困難な闘いに挑んでいるのかと言うことを知っておく必要があると思い、あえて書いている。

そして、本土の私たちが、本気で取り組まなくてはならないのは、政権交代だ。
承認撤回を巡る裁判は何年もかかるだろう。その間に政権交代が実現できれば、それが一番の沖縄への支援でもある。

私自身は、辺野古へも選挙応援にも出かけることはできないけれども、政権交代に向けての市民レベルでの足掻きを続けていこうと思う。

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