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徽宗皇帝のブログ

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津波被災地を焼き払うという案
「泉の波立ち」の南堂氏が面白い発言をしているので紹介する。
彼は基本的に保守主義の人間だと思うが、それだけに物事を現実的に見ているという長所がある。その冷笑的発言や敵対する存在への度を越した悪罵、自分の立場に固執するための非論理的発言などは、彼の文章スタイルとして読み飛ばせばいい。彼は時々面白い視点から発言する。それだけでも平凡な良識的批評家よりは知的に有益である。

昔から左翼の理想主義、右翼の現実主義という色分けがあり、リアリストを気取る若者は右翼に肩入れしたものである。しかもどういうわけか、左翼の文章はひどいもので、右翼には名文家が多かったものだから、審美的にも右翼びいきになるのが自然であった。かつての私などもそうである。だが、人はパンのみで生きるものではない。現実主義とは、要するに理想よりもパンを選ぶという動物的生き方にすぎない。私はたいていの人間とは逆に、年をとるにつれて、思想が左翼的になっていった。べつに共産主義を求めるわけではない。この腐りきった日本を、未来の子供たちのために変革する責任が、大人にはある、というだけのことだ。
南堂氏がこのまま権力べったりの保守主義者でいるのか、これから変わることがあるのか、少々興味もあるが、それよりも、下記記事である。

私は、ここに書かれた「ナパーム弾で被災地を焼きはらえ」という発言は一考に値すると思う。津波被害にあった土地は、「人が住んではならない場所」であり、少なくとも「日常生活の場」にはできない。
「ふるさと意識」のために被災地に住むことにこだわっていては、今後もまた同じことの繰り返しである。
すべてを焼きはらってゼロに戻すことによって、未練を振りはらい、新しいスタートを切ることを考えてもいいのではないだろうか。

下記記事には、途中に例の南堂調のくだらない冗談、というより悪罵があり、読む人を不快にさせるだろうが、彼の文章を尊重し、カット無しで、記事コメントも含めて掲載する。


(以下引用)


2011年06月13日
◆ 避難所を閉鎖せよ
 被災地の避難所を閉鎖するべきだ。被災者が「避難所にいればすぐに復興の場に戻れる」と思うのは、ただの妄想にすぎない。実現不能な夢から覚まさせて、真実を教えるべきだ。

 ──
 
 前々項 などで述べたように、被災地の被害はあまりにも多大である。復興には時間がたっぷりとかかる。急激な復興は現実に不可能だ。
 いや、むしろ、復興には時間をたっぷりとかけるべきだし、ことさら急いでもいけない。拙速で粗製濫造の都市を建設するよりは、時間をかけて質のよい都市を建設するべきだ。
 大切なのは、「急ぐこと」ではなく、「よい都市を作る」ことだ。急げば急ぐほど、劣悪な都市ができてしまう。それは最悪だ。
 急いては事を仕損じる。あわてる乞食はもらいが少ない。国家百年の計というつもりで、じっくり腰を据えて考えるべきだ。
 
 ──
 
 さて。被災地では今、不衛生のせいでハエや蚊が発生するという問題が生じている。水溜まりに蚊が湧いたり、魚貝類が腐敗してウジが湧いたりする。通常のハエよりもずっと巨大なハエが飛び回っていて、ハエ取り紙がいくらあっても足りないそうだ。「救援物資にはハエ取り紙を送ってください」という避難所も多い。また、赤痢菌の恐れもあるという。
  → 記事1
  → 記事2
  → 記事3
  → 動画1

 そこで、殺虫剤を撒いたりする。屋外や家屋内に大量に噴霧する。家が殺虫剤だらけというありさまだ。
  → 動画2

 しかしながら、これらで使われる殺虫剤(ピレスロイド系)には、発癌性がある。
  → 検索

 これはかなりはっきりとしている発癌性だから、年間 20 mSv の放射線なんかよりも、ずっと危険な発癌性だ。「飯舘村のあたりの年間 20 mSv の放射線は危険だ!」と騒いでいる放射線オタクみたいな人々もいるが、そんな放射線よりもずっと危険な農薬を大量に浴びているのが被災地の人々だ。
 たとえ避難所の屋内には噴霧しなくても、屋外で大量に農薬を噴霧していれば、それを吸い込む悪影響がある。放射線の内部被曝より、ずっと危険だろう。

 ──

 では、どうすればいいか?
 「こんな不衛生で危険な土地には、住まなければいい」
 というのが、私の提言だ。換言すれば、
 「避難所を閉鎖せよ」
 というのが、私の提言だ。

 動画2のように、家屋が無事に(被害を受けずに)残っているのであれば、そこに住むのは仕方ない。しかしながら、動画1 のように避難所に住んでいる人々は、もはや避難所に住むのはやめるべきだ。
 そして、そうさせるために、「避難所を閉鎖せよ」というのが、私の提言だ。

 ──

 人々がいまだに避難所で暮らすのは、「あと3カ月間ぐらい我慢すれば、再建が進むだろう」と思っているからだ。しかし、それは実現不可能な夢である。日本中の人々が「復興は数カ月で済む」と思っているし、「そうできない菅直人は無能だから、さっさと辞任せよ」と思っている。しかし、「復興は数カ月で済む」というのは、ただの妄想にすぎないのだ。
 現実には、再建には何年間もかかる。そして、その何年間もの間、避難所で暮らすわけには行くまい。どうしても避難所でホームレス暮らしをしたいのであれば、東京でホームレスをやればいい。(……また言った。ひどいイヤミを。  (^^); )

 ま、東京でホームレスというのは、ひどすぎるから、東京のドヤ街(山谷)で、1泊 1000円のボロ部屋に住めばいい。少なくともその方が、避難所でホームレスを送っているより、はるかにマシだ。ウジ虫もいないし、ハエも湧かないし。  (^^);
( ※ なお、どうしてもウジ虫やハエといっしょに暮らしたいのならば、どこかの離島で暮らしてもらえばいい。そこでは、くみ取り式の便所があるだろうから、きっとウジ虫やハエが歓迎してくれるだろう。よかったですね。   (^^);  )
 
 ま、冗談はさておき。
 被災者が避難所で暮らすというのは、あまりにも非人間的だ。なのに人々は、妄想を夢見ながら、避難所に留まっている。
 こういう妄想から目を覚ませ、と告げる必要がある。そのために、避難所を閉鎖するべきだ。

 そして、人々が避難所から立ち去ったあとで、一帯の土地を衛生化すればいい。どうやって? 薬剤を撒くのもいいが、私としては、「ガレキの山に火を付ける」というのを提案したい。(過激ですね。  (^^); )
 具体的には、米軍のナパーム弾(焼夷弾)を使って、一帯を焼き尽くせばいい。東京大空襲みたいなものだ。これで焼き尽くせば、ガレキの処理も簡単だし、衛生化も可能になる。
( ※ 火災の危険性もあるので、入念な対処が必要だが。それでも、放射線以上に危険な発癌物質である農薬をやたらと噴霧するのよりは、ずっとマシだろう。)

 ──
 
 さて。避難所を閉鎖したあと、被災者はどうするべきか? その点は、すでに私が何度も言っているとおり。(仮設住宅などの関連で。)
 つまり、被災者は、故郷を離れて、大都会で暮らすべきだ。そこで生活を再建するべきだ。今のように生活保護かホームレスみたいな生活(もらうだけの乞食生活)をするのではなく、自ら働いて自立するべきだ。
 そして、そのためには、仕事のない被災地に留まっていてはいけない。仕事のある大都会に移るべきだ。そして、新生活のために必要な頭金のみを、行政は援助すればいい。(義援金なども利用するといい。)
 たとえば、東京や埼玉に移って、公営住宅を借りて、毎月数万円の家賃を払いながら、新しい仕事に就く。テレビや家具を買うためのお金は、上記の頭金を利用する。( 200~400万円ぐらいになりそうだ。それだけあれば足りるだろう。)
 この案に対しては、「故郷を捨てることはできない」という反論が来そうだ。しかし、別に、故郷を捨てるわけではない。故郷はもはやガレキの山となったのだ。だから再建までの数年間を、大都会で暮らすだけだ。そして、5年ぐらいたって、故郷の再建が進展したら、その頃になってようやく、故郷に戻ればいい。

 ローマは一日にしてならず。故郷の再建も1カ月や1年では済まない。いったんガレキの山になった故郷は、ガレキの撤去だけでも半年ぐらいはかかる。整地したり何だりでも、1年ぐらいはかかりそうだ。その上さらに、大量の建物を作ったり、公共施設をあれこれと作ったりするのには、何年間もかかる。ざっと5年ぐらいは必要だろう。
 だから、故郷の再建がなるまでの数年間は、故郷を離れて暮らすべきだ。それは決して故郷を捨てるということではない。望郷の念とともに、数年間を故郷とは別の場所で過ごすべきだ。それこそが真に故郷を愛するということだ。
 故郷にすがりついて、故郷から食物を恵んでもらって、故郷の復興の邪魔をすることは、決して故郷を愛することではない。故郷を愛するということは、故郷に何かをしてもらうことではない。故郷の再建のために自ら力を尽くすことだ。そして、そのためには、故郷の再建に必要な金を自ら稼ぎ出すべきだ。遠く離れた土地で必死に働きながら。

 ふるさとは遠きにありて思うもの。その思いこそが、故郷を愛するということだ。故郷を離れるということは、故郷を捨てるということではない。むしろ、故郷を愛するからこそ、故郷を離れるべきなのだ。傷ついた故郷の負担とならないために。


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 [ 付記1 ]
 ついでだが、このような愛情は、人間関係にも当てはまる。
 人が人を愛するということは、相手に何かをしてもらうことではない。むしろ自分が相手に何かをしてあげようと思うことだ。そういう思いがなければ、人が人を真に愛することはできない。
 故郷に対する思いも、それと同様だ。「故郷が好きだから故郷から離れるのはイヤだ」なんて叫ぶのは、ただの子供の発想だ。死ぬ寸前の老人でなければ、もっとまともな大人らしい発想を取ってほしい。
( ※ なお、65歳以上の高齢者なら、どうせ年金生活なのだから、荒廃した故郷にこだわる必要はない。仕事はなくても暮らせるのだから、内陸部の寒村にでも移ればいい。そこからときどき故郷を見物にくればいい。……故郷の再建が実現するまでに、寿命を迎えるかもしれないが、それはそれで仕方ない。被災地でホームレスのまま寿命を迎えるよりは、ずっと長生きできるはずだから、その方がいい。)

 [ 付記2 ]
 逆に言えば、「被災者を避難所から離すべきではない」と唱える人々は、一見、人道的なことを語っているようでいながら、不衛生と農薬によって、被災者の寿命を縮めていることになる。
 そういう連中を「優しい顔をした悪魔」または「善人ヅラした極悪人」という。
 ( ※ 私はその反対です。優しい心で、冷たいイヤミばかりを言う。 ← 「嘘付け! 根性がねじまがっているからだろ!」という陰の声あり。   (^^); ) 


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 【 関連項目 】

  → 仮設住宅を建設するな
  → 仮設住宅は人を殺す

 避難所とは別に、仮設住宅という方針もある。しかしこれも「優しい顔をした悪魔」である。そのことを、上記の二項目で示している。
 また、この方針を是正する方針がすでに取られたことを、次の項目で示している。

  → 《 お知らせ 》(仮設住宅)

 ここで示したように、被災者は避難所を出て、外部の賃貸住宅で過ごせばいいのだ。(原発被害者の避難先である)福島市のあたりでは、賃貸住宅はなくなったが、(津波被害者の避難先である)内陸部の寒村では、まだまだ住宅はたくさん余っているはずだ。また、大都会でも、賃貸住宅はたっぷりと余っている。(原価割れで提供されている。)
 

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 【 関連サイト 】
 
  → 避難所の生活 (動画 by テレビ朝日)

 リアルな動画情報。避難所生活をしているせいで死にそうになった人もいる。疲れのせいで、バイクを運転しながら、顔から道路に突っ込む。
 命をかけてまで避難所生活をしなくてもいいのに。それほどまでに地元に残りたいのか。(死んでも遺骨として残りたい?) …… 親からもらった命を粗末にするな、と言いたいですね。
 
 ──

 テレビ朝日のサイトには、被災地の動画がたくさんあるが、興味深いのは次の動画だ。
  → 津波を浴びた小学校の残骸
  教師の適確な判断のおかげで、子供たちの人命が助かった。危機一髪。
  もし違う判断をしたら死んでいたはずだった、と判明して、冷や汗たらり。


 
posted by 管理人 at 20:09 | Comment(9) | 安全 ・災害
この記事へのコメント
被災地のがれきの山をナパーム弾で焼き払うとか正気ですか?
焼くことで余計有害物質が大気中に放出すると思うし(それこそダイオキシンとかもそう)、被災者の心情を察したら・・・
Posted by あああ at 2011年06月13日 23:35

 だから「過激だ」って書いたでしょ。
 それに、ただの私的な「提案」です。実現するかどうかは全然見通し不明。あなたのような批判はもともと予定されていますし、批判派が勝つ見込みは大いにあります。

 なお、誤解しないでほしいが、被災者がいなくなってからの話ですよ。被災者の目の前でやるわけじゃない。

> 被災者の心情を察したら

 そういう優しい心情が、かえって被災者の命を奪っているのです。
 あなたも心優しい悪魔ですね。被災者におもねって、どれだけ多数の人命を奪えば、ご満足ですか? 
 為政者というものは、国民の命を第1に考えるべきであり、そのために自分が批判されてもいい、という覚悟をもつべきなのです。百万人に非難されて火あぶりにされても、それでも多数の人命を救うべきなのです。
 優しい心を持ちながら人命を奪うあなたとは正反対です。

Posted by 管理人 at 2011年06月13日 23:51

「過激だ」と書いてあるがその前に「提案したい」と書いてあるし、あなたの文面からは本気で焼き払った方が良いと思われても仕方ないと思いますが。
あと、被災地に人がいなかったとしても風向きによっては比較的被害の少ない地域(仙台などの大都市を含めて)に有害物質が及ぶ可能性だってあるし。
所詮あなたの言っていることは某巨大掲示板と変わらないですね。まあネタならば良いんですが。

Posted by あああ at 2011年06月14日 00:06

 ダイオキシンは別に猛毒じゃないですよ。「猛毒だ」という噂は前に流れたことがあるが、今では否定されています。

 室内で殺虫剤を至近距離で浴びるのと、どっちがいいと思いますか? 
Posted by 管理人 at 2011年06月14日 00:09

 なお、何もしないで放置していれば、赤痢や日本脳炎で、大量の死者が出る可能性があります。

 疫病というものを甘く見ない方がいいですよ。一般に、このような被災があると、途上国では疫病の流行で、かなり多数の人命が奪われます。ダイオキシンがどうのこうの、なんていうのを圧倒的に上回る被害が発生します。

 あなたは公衆衛生というものを軽く見過ぎている。被災地における疫病発生の危険性を、もっと深く認識してください。病気で多数の人が死んでからでは遅いんです。
 あなたの発想は、ユッケで死者が多数出た焼き肉屋の発想と似ています。他のことばかりを考えて、病原菌のことをすっかり忘れている。



Posted by 管理人 at 2011年06月14日 00:20

管理人様の御話は「過激だ」と前置きされている通り、比喩を含んだ提言
だと思います。嵐にもまれている船で理性を失った人が刃物を持って暴れ
ていたらどうするか。→ピストルで射殺して外海に捨てる(理性の通用し
ない相手の人権を守るより、正常な人間全員の安全を優先確保するのが
『船長の論理』)とか過激な言い方はいくらでもありますし、管理人様の
御話はメリハリが効いてて唸ってしまいました。
当方最近までネットワーク管理の仕事をしていましたが、ユーザーが(業
務で)使用中の時と、業務時間終了後のユーザーが使用していない時では
障害対策に打てる手立てがまるで違いますものね。実際に管理人様が提言
されている状況になれば、その道のプロがきっと最善の手を打てると思い
ます。
Posted by 七氏井 at 2011年06月14日 02:57

新潟県中部地震クラスの地震だったら、被害地近くに仮設住宅(作るべきかどうか議論の余地はあるが)をすぐ作れるでしょうから、避難所も意味があったかもしれませんが、東北地方太平洋沖地震ほどの地震じゃ、いつまでたっても避難所から出られませんね。
Posted by 井上 晃宏 at 2011年06月14日 07:15

 次の質問にお答えします。答はすでにリンク先で述べられているので、本文中のリンク先を参照。

> 家も仕事も失われ、その上避難所を追い出されたら、いったいどこに行けば良いというのか。

  → 仮設住宅を建設するな
  → 《 お知らせ 》(仮設住宅)

> 現時点で避難所を出て他の場所で自立している者は、最初からそういう甲斐性がある人間ばかりであると思う。避難所に残っているのは、為す術もない連中ばかり。

  → 動画2           (若者も子供もいる、とわかる。)

 何か疑問を感じたら、本文中のリンク先を読んでください。すでに説明済みです。


Posted by 管理人 at 2011年06月14日 19:24

 なお、「被災者はかわいそうだから、避難所に入れてあげるべきだ」という発想は、根本的に狂っているので、勘違いしないようにしてください。

 避難所は、素晴らしいところではなくて、最悪のところです。人間らしい生活のできないところです。夜は寒く、昼は暑く、オマケに虫に刺されて皮膚が痒くなる。満足に眠ることさえできない。( → 動画2 )

 被災者はかわいそうであるからこそ、人間らしい生活のできるところへ移転するべきなのです。そのための環境は、各地で用意されています。(ただし故郷から離れたくない、というだけの理由で、避難所にいたがる。)

 避難所は素晴らしいところだと思う人は、自分が実際に避難所で暮らせばいいんですよ。そこがどんなに悲惨なところか、よくわかるだろうから。
 被災者を避難所に起きたがるにとびとは、善人の顔をした悪魔でしょう。彼らは「被災者のため」といいながら、被災者を死なせてしまう。下記項目を参照。
  → 仮設住宅は人を殺す

Posted by 管理人 at 2011年06月14日 20:52



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