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徽宗皇帝のブログ

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現今の政治についてのある感想
阿修羅記事より転載。良識のある国民を代表するような記事である。私は新興宗教(神輿をかつぐ連中の金と権力の獲得を目的とする宗教)は大嫌いだが、「本来の」仏教やキリスト教は、そう悪いものではないと思っている。この住職のような人間が世間の大多数を占めるようになれば、日本は必ず変わるだろう。それ以前に、多くの人々が政治について侃侃諤諤の議論を交わし、それによって誰も不利益を受けないような言論風土を作っていくことが大事だと思う。
前から何度も言うように、「床屋政談」こそが民主主義の原点なのであり、政治を専門家の専権事項にすれば、そこで民主主義は終わりなのである。(その結果、長い間に渡って国政選挙では棄権が高い割合に登っており、政治は国民の手から遊離していたのである。今、政治は国民の手で変えられるという機運が高まってきた所である。この機運を我々は守っていかねばならない)


(以下引用)





http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/d4b6be1527e5afe684cfb9c024fa9aa3 
広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
2010年06月04日 14時19分55秒


鳩山首相の突然の退陣表明から二日が経過した。なぜこうなってしまったのか。暗澹たる気持ちが拭えない。昨年の夏、あれほど国民の支持を得て成し遂げた初めての本格的政権交代。満を持して政治の舵取りをしてくれるものと大いに期待していた。それなのにその後の経過は誠に残念でならない。安倍、福田、麻生政権に続き短期政権に終わってしまった。こうも日本の政治が長続きしないのはなぜなのか。誠に嘆かわしく思う。

それまでの政権は国民の付託を得ていないということもあろうが今回の鳩山政権は衆議院の総選挙で文句なしの大勝利のもとでの本格政権であっただけに惜しまれる。もちろんまだ民主党中心の政治は続くものの一つの政権が滅びたことには違いがない。新聞、テレビ、週刊誌は、昨年末には既に辞職という言葉まで登場して鳩山おろしに専念したかのような報道が目立った。国民がこぞって声援した政治家、それをもとにする政府を正当にその政策立案の業績を評価の対象ともせずに、まるで重箱の角をつつくような仕方で些細なことをスキャンダラスにまくし立て批判し、こけおろし、微罪を極悪非道の所行の如くに誹謗を繰り返す。

意味のない世論調査を繰り返し、あたかも国民総意で支持しないということを喧伝する。政治と金の問題では、検察からのリークをあからさまにして、何の後ろめたさも見せない厚顔無恥ぶりで居直る。国民の代表を、期待を集める政府を侮り、侮蔑し、あたかも能力が劣るとの報道を繰り返し、自国の政府を貶めるということの意味をも理解しない者たちは、単なる亡国論者、国を安く見積もって身売りせんがための所行とも言える。なぜ悪口しか書けないのだろうか。前政権までの官房機密費の使途をめぐって、マスコミ関係者に有利な言論形成に使われたとする事実が出てきても全く反省の色も見せないジャーナリズムのあり方こそ質されるべきではないか。

普天間問題では鳩山首相にはかなりの圧力があったことと拝察します。在韓米軍の撤退を表明した韓国の前大統領は非業の死を遂げた。ポーランドの首脳はなぜか航空機事故で多く死せねばならなかった。タイは全くの混迷の状態に置かれて久しい。中川元財務相はなぜ死ななくてはならなかったのか。先頃の韓国潜水艦沈没事故の影響も拭えない。国益を第一に押し切ろうとするところにこうした思わぬ死がともなう。この世の中のあり方に愕然とする。

鳩山首相の所信表明演説、また、施政方針演説の全文を私は読んだ。これまでの官僚の作文を朗読した歴代首相の演説に比べ、そこにはご自身の心があるように思われた。政治は理想と現実の綱渡りであろう。理想も語れないのなら政治家になる資格はない。官僚主導から政治主導へ。従米からの脱却。生活者第一の予算編成。無駄の削減。 惜しむらくはそれを現実のものとするためのスタッフ、技法にすぐれなかったことであろう。ないしは、それを阻止せんがための大国に巣くう管理者たち、その威を借りこの国の中でその利権のために暗躍する名士と言われる各界の人々、その中には官僚も司法検察もマスコミも含まれるであろう、それらの人たちの長年のネットワークを打ち破るのはやはり並大抵のことではなかったということであろう。

政治なんか誰がやっても一緒という観念を植え付け、政治に無関心を決め込む国民が多ければ多いほど彼らにとって都合が良く、どれだけ無駄な税金の使い方をしても、他国に流れてもお咎めなしの体制を作ってきた。昨年の総選挙で今度こそと思って政治を変えようと思った人たちが、これで落胆し、また傍観を決め込むことだけはあってはならない。この度の鳩山首相の退陣はどのような背景から早期退陣に至ってしまったのかと疑問に感じ、新聞、テレビの報道を鵜呑みにせずその背後を読み取り、日本を一つの国家として、あるべき姿に改革していくために今後も関心を持続することが、何よりも日本国に住む者の勤めなのではないかと思う。

仏教では四恩の教えを説く。父母、衆生、国王、三宝の四つに生まれながらに私たちは恩を感じるべきであるという。国王に対する恩、国を守り人々の生命と財産を守る国王に私たちは恩義がある。それが誰を指すものかと言えば実質的なこの国の最高権力者ということになろう。目に見えない、この国にあるものかも分からない者を国王とするわけにはいかない。私たちにとっての国王を私たち自身が守る必要がある。本当に国民のために国を思う政治家をこれからも応援したいと私は思う。


追記 

なお、日本の政治に関して『中央公論』4月号に掲載されたカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」を是非ご一読願いたい。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html 

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