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徽宗皇帝のブログ

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現代における反天皇主義とは何か
「混沌堂主人雑記(旧題)」から転載。
批判的な意味での転載である。
私はこの「戦闘教師ケン」とやら(何を正業あるいは生業としている人間かは知らないが)の該博な知識にはかなり敬意を持っていたのだが、まあ、ただの下種である。天皇制(今は政治制度としては天皇制ではない。政治の一部に政治権力から切り離された象徴天皇が存在するだけだ。)に日本の悪のすべての責任を押し付け、その他の責任を不問にするという人間が下種以外の何者だろうか。そういう意味では私はヒトラーやナチスに責任をすべて押し付けたドイツ国民や、ムッソリーニにすべての責任を押し付けて自分たちは被害者だという顔をしているイタリア国民も下種だと思っている。敗戦後の日本人のほとんどは少なくともそうしなかった。それを洗脳だと言うなら、今の時代もまた後になって「あれは洗脳だった」と言うだろう。露骨で下手な洗脳と巧みな洗脳の違いがあるだけだ。(地球温暖化詐欺や新コロ騒動は露骨で下手な洗脳だったが、見事に世界を洗脳した。)
で、問題は、下に書かれたケン氏の思想だが、それは天皇全否定以外は自民党改憲論とまったく同じではないか。軍備拡張など戦争抑止に何の意味も持たないことはマイダン革命以降のウクライナの例を見ても明白だろう。それとも、ウクライナが核武装していたら、ウクライナは無事だったとでも言うのか。戦争とはガチの殺し合いであり、相手が弱いから殺す、というものではない。むしろ軍事的な脅威があるからこそ先に潰すのである。
私は右翼にも左翼にも批判はしない(いや、平等に批判する)が、他者にだけ責任を押し付ける卑劣な人間だけは大嫌いである。反天皇主義者も否定はしないが、正当な議論の上に成り立つ「反天皇主義」を私はほとんど見たことがないのである。単なる「戦争責任」の問題なら、勝った側に戦争責任は無いのか。開戦も敗戦受諾も当時の政治システム上の天皇の権限で行った正当な行為であり、そのシステムは既に消滅している。今さら、死んだ昭和天皇に文句を言っても「天皇という『至高の存在』に文句を言える俺(私)って凄い」と自惚れるだけのことだ。で、象徴天皇制にも文句を言って、「俺は天皇を(心理的に)その座から引きずり下ろした」という下種の快感を味わって嬉しいのか。

おそらく、江戸時代に幕府や藩の無能無策で窮死した人間(特に農民)は膨大だっただろう。だが、江戸幕府の責任や各藩の責任を問う人はいない。今や過去の歴史の話だからだ。だが、戦後80年近くになってなぜ天皇の責任が云々されるのか。その間、三代の天皇は実際の政治にノータッチだったのである。

なお、混沌堂主人雑記とその主人には、貴重な情報源として感謝している。

(以下引用)


戦闘教師「ケン」 華東大乱編 より

上記文抜粋
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ケン先生の(嬉しくない)オルタナティブ
現行の戦後帝政は通常軍備を強化しつつ、中露と敵対する路線を選択したが、財政的には自滅するほかない上、軍事力の上でも全く太刀打ちできないだろう。
中国の軍事費は2020年で日本の約5倍あり、2030年には20倍になる可能性もある。そのため、自民党は「軍事費を5年で倍増」を提起しているが、これは消費税3%分に相当する。
実際には、健康保険で3割、基礎年金で5割が国庫負担という現状があり、本来であれば現時点で消費税を5%程度は上げて負担しなければならないところを、国債=実質借金で賄っている。
その国債は日銀が多く(44%)を保有しているため、利上げができないという自縄自縛に陥り、円安が加速している。円安はインフレを招くが、そこにさらに増税を課すことになる。
日本の軍拡はまさに明治大正と同様の「血税」によって賄われるが、中国にとっての軍拡はさほどの負担ではない。もはや無理ゲーもいいところだろう。
私が提案するオルタナティブとしては、
帝政(天皇制とその憲法)を破棄、核武装しつつ、在日米軍を撤退させた上で、親中寄りの中立(フィンランド的なもの)を宣言する
というものである。
北東アジアにおける緊張の主因は、実は北朝鮮や中国ではなく、
アメリカの衛星国である日本に巨大な在日米軍が駐留していることが、中国、ロシア、北朝鮮にとって(日本人からは想像もつかない)脅威となっている点にある。
在日米軍がハワイに撤退し、「アメリカは南北アメリカ、中国はアジア」と勢力図をきれいに分割できれば、中国にとっての最大の脅威はロシアとインドになるため、日本に対する圧力は激減するだろう。日本が一定の経済力や軍事力を維持すれば、「重要な同盟国」として珍重するかもしれない(中国は兄貴分としての体面を重視する)。
同時に、
イデオロギー的には、明治帝政によるアジア・太平洋侵略の歴史を一切否定する戦後帝政、自民党、霞が関の存在は、アジア諸国の建国伝説(日本の侵略に対して戦って独立を獲得した)を否定するものでしかなく、絶対に受け入れられないものである。
日本が北東アジアで孤立している原因の何割かは、
日本の歴史修正主義=侵略戦争の否定にあるが、その根底にあるのは「天皇(制=霞が関)無謬論」であり、天皇制(皇室、霞が関、自民党、神社など宗教団体ほかによって構成される統治システム)そのものを廃止しない限り、アジア諸国にとって大きな脅威として存在し続けることになる。
確かに安全保障面とイデオロギー面で戦後帝政を浄化すれば、緊張原因は除去できるだろう。
しかし、それは日本自身の安全を保証するものではない。軍事的空白は、それ自体が軍事行動の誘惑を招くためだ。
従って、日本は武装する必要がある。それも自衛隊のような米軍の補助部隊、あるいは国内鎮圧用の傭兵としてではなく、市民・国民に忠誠を尽くす国軍が必要となる。
幸いにして、日本は中国、ロシア、アメリカのような大国とは大洋を介して接しており、どの大国も渡海しての戦力投射は現在のテクノロジーでも難しい。
そのため、従来のフィンランド型のような武装中立も可能かもしれないが、その場合は現在の戦後帝政と同様、中国に対する従属度が高くなるだろう。
そこで、より高度な自立性を確保するためには、核武装が必要となってくる。確かに日本に対して核兵器が使用された時点で敗北するので、日本は核戦争に耐えられる国ではないのだが、比較的廉価で巨大な火力を有すること自体が、発言力=影響力となる。
これはかなりパワー・ポリティクスな考えである上、「被爆国の日本が持つのか」という感情的な反発も予想され、容易ではないが、現状の世界が理想や(自由や平和などの)イデオロギーで成立しているのではない以上、避けられないものとなろう。
そして、それ故に、リベラル派は全く説得力を持たなくなっているのである。

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