白井総の「永続敗戦論」は未読だが、現在の表世界の言論者としてはかなりハイレベルな人物で、その言論の真摯さは信頼に値することが、下の記事からよく分かる。
政治的論文としては、短いが今年一番の文章ではないか。長く保存し、拡散する価値がある。
日本の戦後史の大きな流れを、(一般人が十分に理解していない)日米の「支配ー従属」関係から論じて「属国」という言葉を広め、理解を深めた功績は副島隆彦などにもあるが、彼は表世界の言論者としては際物扱いしかされていないし、またその人間性の幼児的な部分は、彼の言論の信頼性を危ういものにしている。フクシマに関する彼の言動などもその一つだ。
内田樹なども良い言論家だが、もともと、或るユダヤ人思想家を師として敬愛しているため、世界近現代史におけるユダヤの存在を陰謀論として頭から拒絶している限界がある。
政治を論じて信頼するに足る人間として、白井総が、あるいは現在のナンバーワンかもしれない。
白井総の頭脳の明晰さは、下の文章を読めばよくわかるし、その発言内容が「商売学者」のそれではないことも明白だ。いわゆる「ポジショントーク」はここには無い。むしろ、それを言えば、自分のポジションを失う危険性を冒しての発言であり、その勇気は称賛に価する。
下の記事は、前回の安倍プーチン会談が日本の戦後史や現在の日本の政治状況とどう関わっているかを分かりやすく説明しており、多くの日本人が、とくに一般大衆がぜひ読むべき文章だろう。現在の日本政治の本質が、この文章からよく理解できる。
だが、残念ながら、そういう文章を「読むべき人々」は固い政治記事などほとんど読まないし、体制批判の文章は頭から拒否する人々も多い。
こうした文章が表に出てくることが多くなっただけでも大きな進歩と考えるべきだろう。社会は、少しずつだが変わりつつあるようだ。
(以下引用)
日本の為政者に「独立国」としての誇りはあるのか? プーチンが突きつけた問い
現代ビジネス 12/30(金) 9:01配信
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2016年も終わろうとしているが、年末に起きたいくつかの出来事は、いよいよ筆者が「永続敗戦レジーム」と名づけたものの最終的な崩壊過程を告げているかのように見える。
「永続敗戦レジーム」とは、筆者が著書『永続敗戦論――戦後日本の核心』において詳述した戦後日本の親米保守派による支配体制を指す。
この体制は、第二次世界大戦における敗戦の意味を出来る限り曖昧にすること(「敗戦」の「終戦」への呼び換えに象徴される)によって、戦前戦中からの支配体制との連続性をできる限り維持しようとした。
無論その過程には、東西対立における米国陣営への日本の引き込みという米国の強い意思が介在しており、旧支配層は、アジア地域における米国の最重要のパートナーとなることによって、戦後も支配的立場にとどまることに成功した。
言い換えれば、アメリカの属国になることを受け入れることによって、日本国内での支配権を維持したのである。
この体制は、米国の庇護の下での復興、経済発展という点では多大の成功を収め、戦後日本は「平和と繁栄」の時代として記憶されることになったが、東西冷戦構造の終焉とともに、その土台は失われた。
米国が日本を「庇護」する動機はなくなり、グローバル化の掛け声の下で、むしろ「収奪」の側面が強くなる。関係当事者たちが「世界史上稀に見る長期的で深い友好関係」と自画自賛する日米関係の実態は次のようなものだ。
つまり、権力者たちが対米従属以外の方針をあらかじめ排除することによって権益やポストを保持しているのだ。
この構造を劇的に表面化させたのは、沖縄・普天間基地移設問題をめぐって発生した民主党鳩山政権の退陣劇であった。
この過程では、「米国との約束」を金科玉条、「錦の御旗」として奉じる政治家や官僚が、米国の意思を過剰に忖度することによって、沖縄県人の思いに正面から向き合おうとした鳩山氏を「日米関係を危機に陥れる」と糾弾し、引きずり降ろしたのである。
永続敗戦レジームのもう一つの致命的欠陥にも言及しておく必要がある。それは、戦後民主主義の底の浅さを形づくっているということだ。
A級戦犯の一人に指名された岸信介の首相就任に代表されるように、レジームの支配的中核部に「民主主義的精神を十分に持たない」と戦後直後には指弾された勢力がとどまったという事情は、社会の民主化に自ずと限界を設けることに帰結したが、この現実を劇的に露呈させたのが3.11の福島第一原発事故にほかならなかった。
こと「原子力の推進」という国策をめぐっては、国家とその追随者(代表的には大資本)によるあらゆる専横がまかり通ってきたことに、あらためて注目が集まったのである。
かくして、「失われた20年」によって経済的繁栄のメッキを剥落させた日本は、不徹底な自由民主主義と不健全な対外従属によって蝕まれた惨めな正体をさらけ出した。
この状態を指して、筆者は「永続敗戦」と名づけたのである。それは、あの敗戦の事実を正面から受け止めないがために敗戦状態が終了せずにダラダラと永続していることを指している。
そして、いわゆる政権交代の実質的な無意味性を証明した民主党野田政権の後を襲って成立した第二次安倍政権は、かかる状態に対する一種の開き直りを基盤としている。
ゆえにその方針は、「戦後レジームからの脱却」の掛け声とは正反対に、その実態において、「永続敗戦レジームとしての戦後レジームの死守」であると規定するほかない。
しばしば指摘されている安倍政権の政治手法の強引さは、すでに基盤を失ったレジームをさらになお継続させようとする無理から生じている。
以上のような視角から安倍政権を観察してきた筆者にとって、露プーチン大統領の訪日は、きわめて興味深いイベントであった。
第二次安倍政権の主要政策は、その必然性を『永続敗戦論』一冊ですべて説明可能である(その具体的展開は2015年刊行の『「戦後」の墓碑銘』を参照のこと)。
しかし、北方領土問題の解決に道筋をつけて日露平和条約締結へと踏み出すのだとすれば、それは『永続敗戦論』の図式によって説明できない事象が同政権下で初めて発生することを意味するのだ。
また、そのような方向性が打ち出されることを筆者は期待してもいた。筆者は安倍政権に対して原則的批判者としての立場をとってきたが、それはもちろん「批判のための批判」をしたいがためではない。
『永続敗戦論』では、北方領土問題の解決のためには、「四島一括返還」などという要求は引っ込めざるを得ない、つまりは妥協するほかないことの歴史的背景を説明した。
だが、対外問題、特に領土問題のようなナショナリズム感情を昂進させやすい問題において、妥協の決断を担えるのは、リベラルな政権ではなく、保守政権であることは、歴史がしばしば証明している(仏ド・ゴール政権におけるアルジェリア問題、米ニクソン政権におけるベトナム戦争など)。
ゆえに、筆者は安倍政権に対して、一日も早い退陣を願いながらも、それが存在している以上、一つでも肯定的な財産を残してほしいと期待してきたのである。
しかし、このような期待が、永続敗戦レジームを死守せんとする政権によってはそもそも実現されるはずがなかったことを、今回あらためて思い知らされた。
その上、訪日直前および訪日時のプーチン大統領の領土問題についての発言の踏み込み具合には、驚かされた。だが、以下に見るように、少し考えてみれば、それらの発言は道理に適っているのである。
経過を振り返ってみよう。
12月のプーチン訪日が決まった当初(9月頃)、日本の報道機関(特にNHK)は、「今度こそ本当に大きな動きがありそうだ」という雰囲気を漂わせた。また、ロシア政府とつながりを持つと思われるニュース・ウェブサイト「スプートニク日本」も同様の趣旨のコラムを掲載していた。
包括的経済協力のプランをテコとして、領土問題の原則的解決=平和条約締結へと両国政府が本気で歩み始めていると推測させる報道が相次いだのである。
しかしその後、交渉成果の見通しについての観測は揺れ動き、11月の米大統領選あたりからは、悲観的な論調がはっきりと支配的になった。訪日直前期に至っては、むしろ「何か一つでも出て来くるのか」が議論の焦点となった感すらあった。
そのなかで、ダメを押すがごとく出現したのは、「朝日新聞」12月14日付の次の報道である。
11月に訪露した、安倍首相の側近中の側近である谷内正太郎国家安全保障局長は、パトルシェフ安全保障会議書記が、日ソ共同宣言を履行して2島を引き渡したならば「島に米軍基地は置かれるのか」と問い掛けたのに対し、「可能性はある」と答えたという。
時期と内容に照らせば、ロシア側の熱意が急速に冷めていった最大の要因は、谷内氏のモスクワでの発言に違いないとの観測は成り立ちうるであろう。常識的に見て、自国に武器を向けてもらうために領土を譲渡する国などあるわけがない。
とはいえ、日米安保条約は地域的例外を認めていない以上、歯舞・色丹が日本領となった時点で、そこに米軍基地が置かれる可能性は論理的に発生する。
おそらくは、パトルシェフ氏の問い掛けは、文字通りの問いであるよりもむしろ、日本の独立国としての意思の有無を問うものであった。
なぜなら、日米が対露戦力の増強を本気で図りたいのならば、北海道に米軍基地を新設することも可能であり、これを阻止する絶対的な手段をロシアは持たないからである。
してみれば、ロシア側が知りたかったのは、安倍政権が真剣に交渉する相手に値するか否かということであり、彼らは「値しない」という結論を得たに違いない。
このことは、プーチン大統領の訪日直前の「読売新聞」と日本テレビによるインタビューでの発言が裏書きしている。
プーチン氏の次のような言葉は、国家元首の発言として相当に踏み込んだものであることには、注目されねばならない。
「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどれぐらい実現できるのか見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。我々は何を期待できるのか。最終的にどのような結果にたどり着けるのか」
「日本には同盟関係上の何らかの義務がある。我々はそのことを尊重するのはやぶさかではないが、我々は日本がどのくらい自由で、日本がどこまで踏み出す用意があるのか理解しなければならない。
日本がどこまで踏み出すかを明らかにすることが必要だ。これは二義的な問題ではない。平和条約署名という最終合意のために、何を両国間の基礎とするかによって、結果は違ってくる。これが、現在の露日関係と露中関係の違いだ」
あからさまに言えば、これは「一体あなた方に独自の意思というものはあるのか? 現に独立国でなく独立国たろうという意思すらも持たない国とは、真面目な交渉はできない」というメッセージであり、さらには「中国は独立国だが、日本はそうではない」とも示唆しているわけである。
訪日時の共同記者会見では、プーチン氏はさらに踏み込んで1956年の日ソ共同宣言の直後に起きた「ダレスの恫喝」に言及した。これは、日本が(四島ではなく)二島返還でケリをつけて日ソ平和条約締結へと進むのならば、沖縄の返還はしない、という圧力を当時の米国務長官ジョン・フォスター・ダレスからかけられた事件だ。
この事件は、戦後日本の外交が主体性を持ち得ず、舵取りの最終審級を米国に握られてきたこと(より正確に言えば、米国の意思を過剰忖度することによって自ら主体性を放棄してきたこと)の象徴である。無論、日本政府は、この事件の存在を公式に認めていない。
してみれば、このプーチン氏のメッセージをここでもよりあからさまに翻訳するならば、それは次のようになるだろう。
「あなた方日本政府のエリートたちが領土問題に関して日本国民に隠している重大な事柄について、我が方は百も承知である。約60年前にあなた方が米国から受けた屈辱のなかに、さらになおあなた方は進んでとどまるつもりなのか? そのような誇りなき人々と交渉する意味はない」
果たして、日本のなかの一体誰が、プーチン氏のこれらの発言を非礼で不条理なものとして非難できるだろうか。
『永続敗戦論』では、「ダレスの恫喝」が発生した経緯、東西対立の構造と当時の日米の国力格差からこの恫喝に日本側が屈するほかなかった事情、そして国際関係も国力格差も大幅に変容したにもかかわらず、現在もなお、日本政府の北方領土問題への対応がこれによって呪縛されている様を詳述した。
これらの歴史を踏まえると、プーチン氏の至極当然の苛立ちが見えてくる。
安倍首相はプーチン大統領との親密な関係を繰り返しアピールし、ウクライナやシリアの情勢をめぐって米露関係が緊迫するなかで、あえてロシアとの接近を図った。
ロシア側からすれば、こうした動きは、語の真正な意味で日本が「戦後レジームからの脱却」(すなわち、対米従属の相対化)を模索しているサインに見えたかもしれない。
それだけに、先に見た谷内氏の発言以降、失望の色を隠せなかったのである。
しかし、ロシア側が見落としていたのは、永続敗戦レジームのエッセンスのごとき安倍政権が、文字通りの「戦後レジームからの脱却」などそもそもできるはずがなかった、ということではないか。
プーチン当局としては、一旦は本気になったがゆえに、徒労感は強いであろう。しかし彼らは、3000億円の投資を呼び込むことで、授業料はきっちり回収したのである。
翻って日本側はどうか。
米国自らが「世界の警察官役を降りる」と宣言した世界において、「ワシントンに聞かないとお返事できかねます」としか言えない「ガキの使い」では、もはや世界の誰もまともに取り合ってくれないという事実を学んだ(はずである)。
その授業料は3000億円だった。日露間で何かがともかく前進しているという体裁を取り繕うために、それは持ち出されなければならなかった。その原資は血税であるが、いまだ永続敗戦レジームを支持し続けている無知未熟な者は、「独立国ごっこ」に興じ続ける限り、高い授業料を破産するまで払い続けなければなるまい。
白井 聡
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