もちろん、そういう「殺処分」は正当である、という見方もあるだろう。つまり、「不労者(働けない人間と働かない人間)を養うのは税金の無駄遣いである」という考え方だ。それが高じると、すべての福祉政策は税金の無駄遣いである、となり、税金の使途は産業振興や公共事業だけという実質的税金私物化が横行することになる。
生活保護の支給の打ち切りが常態化するようになり、それを誰も疑問にも思わなくなったら、次は失業保険や国民年金支給の打ち切り、となることだってあるだろう。取る方は、いくらでも新しい税金の名目が作れるのだから、庶民のほとんどは税金の「タダ取られ」になる。
(以下引用)
生活保護廃止された翌日に自殺 東京立川市の40代男性 弁護士「因果関係強い」
産経ニュース / 2017年4月12日 10時45分
生活保護の廃止決定処分を受けた東京都立川市の40代男性が処分翌日に自殺したとして、弁護士らが11日、小池百合子都知事あてに、原因究明と再発防止を求める文書を提出した。遺書は見つかっていないが、弁護士の宇都宮健児氏は「生活保護の廃止と自殺との因果関係は極めて強いと判断できる」と指摘。一方、立川市は「保護の廃止決定は適切に行っている」としている。
(徽宗追記)偶然に、上記問題に関してタイムリーな映画が日本で公開されるようなので、「前田有一の超映画批評」から紹介記事を転載する。いつも点の辛い前田有一が90点をつけている傑作であるらしい。
あらゆるなりすまし保守、世間知らずの自己責任論者、新自由主義者の総理大臣に「この映画を10億回見ろ」と言っておきたい。見終わるまで彼らが復帰しなけりゃ、世の中少しは良くなるだろう。
はなかなか痛快である。そりゃあそうだ。2時間くらいの映画を10億回見れば、20億時間かかる。その間、安倍総理以下、新自由主義思想の政治家、官僚、経営者、評論家、タレント、ネット工作員が活動現場から消えてくれれば、この日本はどれほど良くなることか。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」90点(100点満点中)
監督:ケン・ローチ 出演:デイヴ・ジョーンズ ヘイリー・スクワイアーズ
世界中で起きている福祉現場の悲劇
日本では、数%に満たぬ生活保護不正受給問題をことさら大きく扱いたがる人々が目立つ。小田原では「生活保護舐めんな」とのメッセージが書かれた自作ジャンパーやマグカップを担当職員らが作って人事異動の記念品にしていたが、この職員を擁護するネット世論が幅を利かせている。
いつからこの国はこんなに寛容の精神がない国になってしまったのか。嘆いている人もきっと少しは残っているだろう。そんな人に「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、この上ない肯定感と自信を与えてくれる傑作である。
59歳のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、長年大工として生きてきた。だが心臓病でドクターストップがかかり、職を失ってしまう。やむなく国の援助を求め福祉事務所を訪れたダニエルだが、あまりに複雑怪奇な手続きと、ドクターストップがかかっているというのになぜか就労不可の認定が下りぬ理不尽さの前に、途方に暮れることになる。
カンヌ映画祭で最高賞パルムドールをとった「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、しかし決して満場一致の選出というわけではなかった。それでも異論の中、これを最高賞に選んだ審査員の目は確かだったと私は思うし、実際この作品のテーマは普遍的かつ今日的である。一度は引退を決意したケン・ローチ監督が、悪化する現実社会にいても立ってもいられずこの脚本を映画化した気持ちもよく理解できる。
本作が描くのは、弱者を保護してやれなどといった、短絡的な問題ではない。
緊縮経済政策とは、真っ先に福祉を削るものだという現実。それにより余裕のなくなった現場の職員たちが、助けを求めてやってくる人々に向き合うことができなくなり、やがて対立する羽目になっている問題。そうした事柄をまずは不条理劇のようにコミカルに描いてみせる。
言い換えれば、逆境においても自らの足で立とうとする誇りある人間を、いかに福祉行政の現場が見下し、打ち砕いているか。世界中でいま起きている、まさにリアルタイムなレポートである。
主人公ダニエル・ブレイクは、決して福祉にぶら下がろうとか、楽をしようと考えている人間ではない。彼が福祉事務所で最初に出会う移民系のシングルマザーにしてもそれは同じだ。
この世界は完璧ではなく、努力をしていても、真面目に働いていてもうまく行かないときもある。そういうときに支えとなるのが福祉であり、それはいわば戦場における病院の如きものだ。傷つき敗れた労働者はここでいったん休み、英気を取り戻し、また社会へと戻ってゆく。そういう存在であるべきである。
だから実際には職員らも心に余裕がなく、無礼なジャンパーを作るほどに追い込まれている。追い詰められた人間を、追い詰められた人間が門前払いする地獄絵図が展開されている。それを助長する政策を、グローバリストの政治家たちが推進する。英国でも、そして日本でも今まさに行われていることだ。
ダニエル・ブレイクは、そんな閉塞感あふれる福祉現場へ必死の抵抗を試みる。彼には長年大工として働いてきた誇りと自信、そこからくる自らの権利への確固たる信念がある。卑屈になることなく、堂々と誤りを正そうとする。
そんな彼が直面する恐るべき壁の高さ、分厚さに観客は驚愕することだろう。彼らはあの手この手で援助を出し渋る。労働者の誇りを粉砕し、乞食のそれへと落とそうとする現実に、序盤のコメディーシーンで爆笑していた観客もやがて怒りで震えるようになる。
私はこの映画を一人でも多くの人に見てもらいたいので、シーンごとの詳細はあえて記していないが、本作における驚きの実態というものは、ケン・ローチとそのチームが英国で取材した事実に基づいている。
いくつも印象的で胸を打つ場面があるが、なかでも貧しくて靴を買えない家の娘がいじめられる下りは涙無しには見られない。世界一の靴を作る国で、靴が買えないだけであんな目に合う家族がある。とてつもなく残酷な話である。
個人的に忘れられないのが、缶詰に食らいつく母親にダニエルが語りかけるセリフと、その後にダニエルが彼女へ生い立ちを語った後のセリフである。あの秀逸な言い回し、ああ、こういう言い方ができるものかと、これを書いた脚本家と監督の知性、人間観察力には頭が下がる思いであった。福祉事務所を訪れるほど弱っている、困っている人に対して、もっとも必要な言葉がこれだと私は思う。
圧倒的な信念で、立場の弱い人たちと彼らの尊厳を守る。「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、なんたるパワフルな映画だろうか。この80歳の英国の監督の才能には、いつもながらに圧倒される。
これほどの傑作を目の当たりにすると、どうしても考えてしまうのが冒頭に書いた我が国の惨憺たる現状である。はたしてこの映画ほどの優しさ、説得力、寄り添う心をもった政治家が、日本にどれほどいるだろう。
英国労働党首はメイ首相に「この映画を見ろ」と、議会で言ってのけたという。私も同様に、あらゆるなりすまし保守、世間知らずの自己責任論者、新自由主義者の総理大臣に「この映画を10億回見ろ」と言っておきたい。見終わるまで彼らが復帰しなけりゃ、世の中少しは良くなるだろう。
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