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徽宗皇帝のブログ

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第二次大戦と吉田松陰
「第二次大戦の日本の戦犯ランキング」というスレッドにこういうコメントがあって、面白い。
明治維新以後、正確には西南戦争以後の日本陸軍は完全に長州閥の金城湯池となっていて、日清日露戦争以後は完全に夜郎自大状態であったわけだ。
そうすると、彼ら長州閥軍人が崇拝するのは吉田松陰であり、その「世界戦略論」を頭から信じ込んでしまった阿呆軍人は無数にいただろう。
第二次大戦での日本の軍事戦略(と言うより、明治以降の国家拡大・帝国主義路線)が、下の吉田松陰の案そのままであることが上記のことが事実であることを示している。まあ、弱小国家がたまたま日清日露戦争に勝ったために発狂したわけである。
軍人が政治に口を出すとロクなことはない。だから「文民統制」が近代国家の原則なのである。軍人は戦争が自分の地位維持と出世の条件だから、戦争に突っ走る性質がある。死ぬのはどうせ下級兵士だしwww/


(以下引用)



118: 名無しさん 2019/01/17(木) 18:10:42.34 ID:QkYwGaQ10
遠因で言えば吉田松陰やな

吉田松陰『幽囚録』(1854)
「速やかに軍備を整え戦艦大砲を揃えたならば、北海道を開拓し領有権を強め、
隙に乗じてカムチャッカ・オホーツクをロシアから略奪し、琉球を日本へ併合、
神功皇后の時代のように朝鮮を脅迫して属国として、
北は満州、南は台湾、フィリピンを侵略し、欧米列強と対戦すべし」

明治の元勲()が吉田松陰を神格化した時点で詰んでた

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