「(基地)引き取り運動」とは要するに沖縄米軍基地の「県外移転」だが、受け入れ側が主体的に「引き取る」意思を示すということだろう。はたして、そういう県が出てくるかどうかは非常に疑問だが、この提言自体が何かの「風穴」となるか、あるいは本土側の一般国民に自己反省をさせる機縁にでもなればいいと思う。
米大統領候補のトランプが在日米軍総引き揚げ論を「日本への脅し」として口にしているようだが、これこそ沖縄にとっては渡りに舟というものだろう。在日米軍費用を日本が全部出すどころか、正反対に米国に基地の「家賃」を請求すればいいwww
米軍など、いざ戦争となれば真っ先に日本を見捨てるのは目に見えている。それどころか、日本が米国に反抗しないための「壜のフタ」だと米軍高官自身が認めた発言が昔からある。
(以下引用)
引き取り運動「報道を」 高橋氏、県外メディアに要望
2015/12/3 10:24 | 12/3 10:30 updated
【東京】著書「沖縄の米軍基地『県外移設』を考える」で、在沖米軍基地を県外で引き取るよう主張する高橋哲哉東京大学大学院教授(哲学)が2日、日本記者クラブで講演し、記者ら61人が参加した。高橋氏は「日米安保の恩恵を受ける受益者は本土だが、基地負担は沖縄に負わせている」と指摘した。その上で「日米安保を選んだ政治的責任を取って、米軍基地は本土が負担すべきだ。それでこそ安保が必要かどうか本格的に議論できる」と述べた。
高橋氏は日米安保条約批准時、国会に沖縄からの国会議員はいなかったことなどを挙げ「日米安保は沖縄以外の本土の政治的選択だ」とし、沖縄が選んでいない政治的選択の結果、国土面積の0・6%の沖縄に73・8%が集中している状況を「現在の安保体制の根本的な矛盾が生じている。民主主義的な原理にも反する差別的状況だ」と述べた。
会場から「メディアは『政府と県は話し合うべき』などと書くが、そこから先をどうするか日々悩む」との質問が出て、高橋氏は「大阪、福岡で基地引き取り運動が出ている。メディアは市民の動きを報じて、世論に風穴を開けてほしい」と要望した。
<社説>基地引き取り 本質的議論を深めたい
2015/12/15 06:02 | 12/15 06:03 updated
深く考えさせられる問題提起だった。在沖米軍基地に対する本土での「基地引き取り」のことだ。沖縄国際大沖縄法政研究所が開いたシンポジウムは、この「引き取り」について真っ向から討論した。 全国的には日米安保の支持率は9割近い驚異的な高さに達する。安保とはすなわち日本に米軍基地を置くことを認めることだ。そして県外移設がない限り、これは沖縄に置き続けることを意味する。人口比で1%の沖縄がいくら反対しても、99%の側が肯定するなら、永久に沖縄に基地が置かれ続けるのである。
問題はなぜ本土で安保肯定がこれほど多数であるかだ。1950年代以降、本土の米軍基地は続々と沖縄に移された。例えば普天間基地の海兵航空団も76年に安倍晋三首相の地元山口県の岩国基地から移転したのである。
本土でも60年代までは安保反対派も多かった。肯定派が圧倒的多数になったのは、沖縄に押し込めることで本土で「安保が見えなく」なったからだろう。事件事故も爆音も、犯罪容疑者を逮捕すらできない日米地位協定の不平等ぶりも、だから「人ごと」だ。これらが「見えない」から、修正を求める世論が沖縄以外では高まらない。
哲学者の高橋哲哉氏が「日本人が安保支持という政治的選択をした以上、その負担とリスクも負うべきだ」と指摘したのは、その意味でまことにもっともである。
基地の撤去も地位協定改定も日米間の交渉次第だ。そしてこの交渉は世論の強い後押しがあって初めて可能である。基地をめぐる圧倒的な理不尽を正すには、広く社会が問題を直視し、世論を高めることが不可欠であろう。県外移設こそ、この深刻な問題を真の解決に導く、現実的かつ必要な道筋ではないか。「引き取り論」はそんな問い掛けを含んでいる。
従来、沖縄側は「自分が苦しんでいるものを他人に味わわせるのはしのびない」と、正面からの県外移設要求を避けるのが一般的だった。だがこれは「他人には押し付けないが、自分の子孫には押し付ける」態度ではないか。であれば、われわれも正面から向き合うべきだろう。
基地問題は日本の安全保障のありようを問うだけではない。差別的基地集中を許すか否か、国家の品格も問うているのである。「引き取り論」を機に、全国でそのような本質的議論も深めたい。
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